読み物

X-ray氏作

Sorry Japanese only

 

       (13)ロストヒーロー

 

------------------Courage

 

麻帆は、篤が抱きあげる前に気を失った。

激しい痛みと極度の貧血のために、意識が途絶えてしまったようだ。

ぐったりうな垂れた身体を抱くのは困難を極めた。

しかも、上り階段である。

 

篤は、2段目に足を掛けたところで、強烈な足の痛みに襲われた。

気力を振り絞り、無理を重ねてここまで来たが、痙攣する足に今にも崩れ落ちそうな気配を察し、向きを変えた。

 

麻帆を落とすわけにはいかない。

 

「どこ行くんだよ」

 

頭上から、声がした。

 

「上からじゃないと逃げられないぜ」

「半田、お前、無事だったのか」

 

安堵から、思わず篤の唇に笑みがこぼれた。

篤の元に、駆け寄る半田。

 

「もう足が限界みたいなんだ。半田、悪いけど麻帆さん抱いてくれないか?」

 

顔を歪めて篤は半田に頼った。

しかし、半田は申し訳なさそうに首を振った。

 

「悪い、俺も胸とか腕とかイっちゃってて、抱けそうにないんだ。そりゃ、抱きたいけど、それはお前の役目だろ?彼女を離しちゃ駄目だ」

「お前、知ってたのか?」

「二人の態度を見てれば分かるよ。いや、いいんだ。彼女の相手がお前で嬉しいよ」

 

「唐橋先生は?」

「大丈夫。先に行ってもらった」

「山下は?」

「分からない。でも、たぶんお前等を探してると思う。早く行こうぜ」

 

半田は、篤の横に並び、少しでも篤の負担が軽くなるように手伝った。

懐中電灯すら灯さずに上がる、暗い階段。

神経を集中させないと、足が上に上がらない。

半田が来てくれなかったら、自分の力だけで上がることができただろうか。

 

学生時代も今も、いつも困ったときに、半田に助けられているような気がする。

真横に感じる半田の息遣いが頼もしく思えた。

 

窓にバリケードのない三階は、すでに明るくなり始めていた。

正確には、二階よりは暗さが軽減された。と表現すべきであろうか。

 

篤は、初めて見る牢獄のような監禁室を目の当たりにし、戦慄が走った。

いるはずのない人影を感じ、聞こえるはずのないうめき声が聞こえるようだった。

 

「この火事はボヤで治まるだろうな。だけど、まだ何かするつもりかも知れない。篤、油断するなよ」

「ああ」

「足、痛むか?痛いよな。無理するなと言いたいけど、ここは無理して四階まで行こう。ヤツが上がってくる」

 

時折足を止める篤の足を心配そうに見つめる半田。

篤はその瞳に、どれだけ勇気を与えられただろうか。

 

ようやく元院長自宅であった四階にたどり着いた。

-----------------Bosom buddy

 

 

埃だらけの室内は、荒れているものの、家具や生活用品はそのままに残されていた。

時代を感じさせる、足の付いた大型テレビ、毛足の長い絨毯(ラグ)、応接セット。

もし、十分な明るさがあれば、カーペットに染みこんだ、事件当時の乾いた血液まで残されているのが伺えるほど、時を止めた室内であった。

 

疲労困憊の篤は、半田に話しかける余裕すらなかった。

ただ麻帆を落とさないように気遣いながら、ふらつく左右の足を前に出していた。

 

「篤、ヤツが来る。隠れろ!そうだ、その奥の風呂場。そっちがいい。早く」

 

半田が緊迫感に迫られた声をあげた。

素直にその言葉に従い、洗面所の奥の浴室に、身を隠す。

カーテンの無い乾いた浴室は、暗くはなかった。

そっと床に麻帆を横たえて、戦闘態勢で身構える。

 

半田は何処だろうか?

呼び掛ける時間もなく、篤は、近づき迫る宏美の足音を、息を殺して出迎えた。

 

もし見つかってしまったら?

今の自分は、宏美と対等に闘えるだろうか?

武器ひとつない傷ついた身体で、勝機はあるのか?

負けることは全ての終わりを意味すると思われる。

 

祈るような気持ちで潜む篤に、意外にも早い緊張の一瞬が訪れた。

 

「麻帆――――」

「麻帆?ここにいるのか?隠れてないで、俺の前に出て来い!」

 

荒々しく室内を探索する宏美。

何かが壊れ、割れる音。

怒りと悲しみが伺える、麻帆の名を呼ぶ悲痛な叫びが響き渡った。

 

その声と足音は確実に篤の元に近づき、曇りガラスの向こうに宏美のシルエットが映し出された。

この扉が開いた瞬間、飛び掛らなくてはならない。

僅かな時間では、麻帆をバスタブに隠すことすら出来なかった。

扉を開けられた瞬間に、横たわる麻帆は発見されてしまう。

扉の脇の壁に背中を付けて構えた。

 

宏美は右手にハンマーを携えていた。

手術用の小型ハンマー。よし恵の骨を砕いたハンマーである。

 

ガシャーーーーン

 

突如篤の目の前に、蜘蛛の巣が広がった。

宏美のハンマーが、浴室入口のガラス扉を叩いた瞬間である。

 

幸い砕け散ることはなかったが、与えられた恐怖は小さくなかった。

息を呑み、汗ばんだ拳を握り締める。

そしてゆっくりと扉がスライドする。

…と思われた瞬間、

 

バターーーーン!!

 

絶妙のタイミングで奥の部屋で、扉が閉まる音がした。

音に敏感に反応して、素早く身を翻す宏美。

 

半田が?

半田がおとりになって宏美を引きつけてくれたのか?

 

数分後。

篤はまだ動けずに居た。

身構えたままの数分間、篤は半田の無事を祈った。

オレは半田を信じている。

いつも頼りになるヤツだから、今回もきっと…。

 

宏美が戻ってくる気配はなかった。

恐る恐る篤は、扉を開けて脱衣所に出た。

そこには、半田が洗面台に寄りかかるように立っていた。

 

「半田、お前、大丈夫だったのか?」

「ああ。ヤツは下に行った。苦しいけどなんとかヤツから逃げられそうだな」

 

窓のない脱衣所は、埃臭く薄暗かった。

しかし、篤には、半田の笑顔がはっきりと見えた。

 

「なぁ篤、煙草持ってねぇ?」

 

こんなときに?

意外な気もしたが、しりもちをついて座り込み、胸に差したクシャクシャになったセブンスターを抜き取った。

一本を自分で銜え、残りはパッケージごと半田に差し出した。

半田のジッポーが近づき、顔を寄せあって火を点ける。

 

紫煙を吐き出しながら、半田を見ると、「ん?」と言いたげに、目を開き、はにかむように笑った。

いつもと同じ半田だが、なぜか違和感がある。

どこかが違う?

 

 

------------------The scenario of life

 

 

「何か、オレ等すげー余裕じゃねー?」

「かもね」

「半田、お前今日、すげーカッコイイよ」

「そうか?自分が主役の人生だからね、たまにはそういう日もないと困るよ。お前が演じるドラマほどカッコイイシーンは少ないけど」

 

「オレもカッコイイ役やりてー」

「お前だって十分カッコイイぜ。まだこれから地獄の下り階段が待ってるわけだし。お前が活躍するのはこれからだ」

 

あの頃のままの笑顔。

両足を投げ出して座るポーズは、部活の休憩時間と何も変わってない。

 

「半田、ジャケット脱いでみろよ」

 

黒いジャケットが、なんとなく重そうに見えた。

半田は逆らわずに、ジッパーを下ろした。

 

「これは…」

 

そこには、真っ赤に染まったTシャツがあった。

胸元、腹部、どこから出血しているのか分からないほどの血液の量だった。

 

「嘘だろ?なんだよ、これ…。痛くねぇのかよ?」

「痛くない。たぶん、俺、もう死んでるんじゃないかと思う」

 

ありえない!

そんなわけがあるはずない!

 

「篤、俺、お前に頼みがあるんだ」

「冗談だろ?」

「心配するな、もういいんだ。いいことも悪いことも、俺はできることは精一杯やってきたからいいんだよ。たぶん…ここに来たときから、こうなる運命だったんだ」

「何言ってんだよ!」

 

「篤、この病院は不思議な場所(とこ)だよな。いろんな声が聞こえる…やりたいことをやりたくてもできなかった人たちの声が。俺たちは、自分の意思でここへ来て闘ったんだ。逃げることもできたし、拒むことも出来た。だけど、俺は自分で決めたんだ」

 

どこか寂しそうに語る半田の横顔は、泣いているようにも見えた。

 

 

「そんなこと、当然じゃないか。だからって死んでいいわけないじゃん。だいたい諦め良すぎ。オレたちまだ25なんだぜ」

「俺だって、そう思ってたさ。山下に刺されるまで」

 

「ああ、もう死ぬんだな…って思ったら、いろんな記憶が蘇ってきた。だけどそれは、不思議なことに嫌な記憶なんてひとつもなかったんだ。手術室で死んでいる俺が、ここでお前と話ができる奇跡でさえ、俺は嬉しいよ」

「そんな…お前は、オレ等を逃がすために犠牲になっただけじゃねーか」

「違う、そうじゃない」

 

「そうじゃないんだよ、篤。たとえ結果がそうであっても、それは俺の意思なんだ。自分が決めたことを最後まで諦めずに貫く、それが大切なんだ。誰のためでもない、自分のために」

「言ってる意味が分からない」

 

「そうか?本当はお前も分かってるはずだよ。ただ逃げているだけ。お前が嫌だと思うこと、つらいこと、苦しいことを自分の責任において全てを受け止めるんだ。自分のために。それが、生きるということの意味だと俺は思う。

迷ったり、立ち止まったり、それは仕方が無いことだけど、現在の自分に自分が納得できないとしたら、自分のせいだ。そうだろ?

どうすればいい?失望するなよ、探すんだ。今できること、やらなくてはいけないこと、やりたいこと。俺が死んでもお前たちを守りたかったように、お前も探すんだ」

 

「半田…」

 

「分かるよな、頑張れよ。それから篤、俺の最後の頼みなんだけど、俺の両親(オヤ)に俺の死が優しく伝わるように協力してくれ。頼むぜ」

 

半田は、篤の肩を叩いた。

 

これが幻?しっかり触れるじゃないか!半田が死んだ?何かの間違いだ。

この病院が半田のファイナルステージ?

冗談じゃない。

麻帆さんも目を開けて、半田を見てくれよ。

ちゃんとここにいるよな?

 

「篤、立て!山下が地下に向かった。何かする気かもしれない。お前はお前のやるべきことをしっかりやれよ。麻帆さんを頼んだぞ。じゃあな」

 

ほんの一瞬視線をそらしただけなのに、もうそこには半田は居なかった。

半田が居た場所に残された、くしゃくしゃになったセブンスターと銀のジッポー。

オレは夢を見ていたのか?

 

「あ…篤君……」

「麻帆さん!」

 

いつしか麻帆が起き上がり、こちらを見ていた。

 

「今、ここに半田がいたよな?オレに説教タレて、カッコつけた半田がいたよな?」

 

麻帆は静かに、目を閉じていやいやをするように首を振った。

 

なぜ?

半田、お前は本当に死んだのかよ?

 

 

-------------------Final stage

 

 

篤は麻帆を抱えて、非常用出口である螺旋階段の頂上に立った。

 

冷たい空気、白い空。

遠くに野鳥の鳴き声が響いた。

 

今、この一瞬に出来ることを精一杯やる。やり遂げる。

 

篤は、意を決して階段を下り始めた。

 

「篤君、ありがとう。迷惑かけてごめんね。みんなは?」

「分からない。半田は、自分は死んだって言ったけど、オレは信じてない」

「うん、きっとみんな無事だよね」

 

篤には黙っていたが、麻帆の夢の中にも半田は現れた。

何かを言い残すわけではなく、ただ笑って手を振る彼の姿がまだ鮮明に瞳の奥にあった。

仕事帰りに「お疲れさま」と挨拶するような半田の笑顔。

麻帆は過去に、友人を不慮の事故で亡くしたときにも似たような経験をしていた。

 

私のためにたくさんの人が犠牲になった。

唐橋先生は無事だといいけど。

篤君もこんなに無理して…。

 

「篤君、ごめんね」

「麻帆さんのせいじゃないよ。悪いのはみんなあいつじゃないか」

「篤君、会えて嬉しかった。あなたが来てくれて、私、本当に感動したわ。ありがとう。今日のことはずっと忘れないから」

「え?」

「大好き」

「ああ、うん…」

 

「でも…私、耐えられない。実の兄が、こんな…こんな酷いことして。それにやっぱり、私…。どうしても…骨折している患者さんに抱えられて逃げ出すことが耐えられないの…」

「え?聞こえない」

「私が篤君にしてあげられること…」

 

麻帆は一瞬の隙をついて、螺旋階段の高い手すりにしがみつき、篤の腕を踏み切った。

凍えた篤の腕をするりと抜けた麻帆の身体は、宙を舞う。

美しい弧を描き、重力に逆らわずに、緑の木立に向かって落下して行った。

 

「嘘だろ…」

 

そのときだった!

 

ドーーーーーン!!!!!!

 

突如、建物が揺らぎ、凄まじい爆音が轟いた。

篤も大きな衝撃に揺らぎ、手のひらを着いて倒れこんだ。

 

地震?

それより麻帆だ。

ここは何階だろう?

4階?あるいは3階か?

 

麻帆が飛び降りるという突然の出来事に、衝撃は隠せなかったが、篤は自分でも驚くほど冷静にそれを受け止めていた。

そして再び、感覚を失うくらい痛む足を引きずり、立ち上がった。

 

「今、オレに出来ること、しなくてはならないこと…」

 

煙?

鼻をつく煙の匂いと、激しい炎が手すりの隙間から階下に広がるのが見えた。

 

 

 

 

 

宏美は、驚いていた。

「僕が作り出した性格に支配された?」

 

凄まじい爆風と爆音の中、不意に意識が戻ったような感覚であった。

素早く判断し、とっさに鉄の扉を閉めなければ生命にも関わっていただろう。

あろうことか、第二の自分は、配電室のスイッチを入れ、ボイラー室に火を放った。

未だ電気が通っていることも気づかなかったが、使われ無くなって十数年を経た石油類備蓄タンクのことなど、考えもしなかった。

恐らくは、タンクの劣化により漏れ出した石油が気化して、部屋の中に蔓延していたのであろう。

 

自分の中に住む破壊力のある男と、優しい看護師の存在は、自分自身でうまくコントロールして使い分けていると自負していた。

少なくとも、人格分裂が始まって以来一度も、他の人格になったときの記憶が無いということなどなかったからだ。

それなのに…。

 

支配されるのか?自分が自分に?

 

宏美は初めて、人格分裂の恐怖を感じた。

そして、全てを焼き尽くそうと燃え広がる炎から逃げるように走り出した。

 

すでに一階は、有毒ガスを含んだ煙が充満しつつあった。

先ほど自分が放火し、自然鎮火したと思われたバリケードもまた、くすぶっていた炎を復活させて黒い煙を吐き出し始めた。

 

宏美は走った。

しかし、どんなに速く走ろうとも自分自身からは逃げられはしないのだ。

 

 

next