読み物

香里

Sorry Japanese only

『骨折のおまじない』

 

「ったくもう、リカはほんと、ドジなんだから」

ベッドの横で、ママはぷりぷりしながら言った。

「階段から落ちて骨を折るなんて、はずかしいわ。しかも両脚とも骨折してギプス、その上長期入院なんて、ほんとにもう」

「そんなこと言ったって…」

口答えするあたしの両脚は、ベッドの上のパイプから両脚を吊り下げられている。左脚は膝下からつま先まで、右脚なんて太腿からつま先まで、固いギプスが巻かれているのだ。もちろん、少し動かせば悲鳴を上げるくらい痛い。右腕には点滴の針。ベッドからまったく身動きできない状態なのだ。両脚にギプスをはめられて吊り下げられてる状況って、ちょっと情けない。

「まあまあ」

お医者さまが、笑いながら言ってくれる。

「頭を打っていなくてよかったですよ。左脚は足首の骨折と靭帯の損傷、右脚は骨が二本とも完全に折れてますし、靭帯も切れていますからね。全治六か月といったところでしょう。しばらくは動けませんね。絶対安静です」

「ええ、ありがとうございました」

ママが上品に頭を下げる。

「やさしそうなお母さんだね」

お医者さまがあたしに言う。あたしは思わず、プッと笑ってしまう。

「こんなのウソですよ、ほんとはすっごい…」

あたしの言葉に、ママはにこやかな表情のまま、あたしの右脚を、ギプスの上から、バシバシッと叩いた。あたしは思わず、

「いったーーーい!!」

と叫ぶ。

「え?なあに?リカったら、大丈夫?」

「ほんとに痛いんだってば!ママ、骨折なんだよ!?もおー!…ったーい」

とぼけるママに、痛がりながらもぷりぷりと怒る私を見ながら、お医者さまは笑って出て行った。

 それを待っていたあたしは、さっそく甘える。なんといっても、大怪我人なんだし。

「ね、ここの病院って、きれいだねー。新築なのかな」

「そうねー、いいわね、ホテルみたいで。ママも泊まっちゃおうかな」

「いいんじゃない?隣のベッドあいてるし」

二人部屋なんだけど、もうひとつのベッドには入院患者がいないのだ。

「ママ、あたし、おなかすいたー」

「何言ってるの。骨折してるのに、のんきなんだから」

「骨折してても、おなかはすくよお。売店で何か買って来てー。ほら、あたし、歩けないんだからあ」

「まったくもう、さっきまで、痛い痛いって大騒ぎしてたくせに…」

ママはぶつぶつ言いながらも、

「すぐ戻ってくるわね」

と言って、お財布を持って出て行った。なんだかんだ言って、ママはあたしに甘いんだ。一人っ子の一人娘だし。

 あたしはリモコンでテレビをつけた。まだ昼間なので、ワイドショーをやってる。ぼーっと見ているうちに、なんだか眠くなってしまった。

(ママ、遅いなー。何やってんだろ…)

とろとろと眠っていたら、廊下が騒がしくなって、はっと目が覚めた。時計を見ると、なんと一時間以上経っている。

「うっそー、すっごい寝ちゃった。それにしてもママ、どうしたんだろー」

独り言をつぶやいていたら、病室のドアががらっと開いた。看護婦さんが、ストレッチャーを引いて入って来る。入院患者みたい。

(なーんだ、1人部屋じゃなくなっちゃったな…。ま、いっか。どんな人だろ)

ストレッチャーを覗き込んだ私は、その患者さんと目が合う。恥ずかしそうに、ちらりと舌を出した、その人は…。

「ママ!」

そう、ストレッチャーの中の女の人は、病院着のママだったのだ!

「どうしたのよ!?」

ママは、情けない声で言う。

「リカー。ママも、骨折しちゃったー」

「ええ!?なにそれー!?」

看護婦さんが苦笑いしながら説明してくれた。

「売店に行く途中のエスカレーターで、つまづいて、下まで転がり落ちちゃったのよ。びっくりしたわー。脳波には異常ないけど、リカちゃんと一緒にしばらく入院ね」

「ええ!?ママも入院?!?」

「そうよ。骨折してるんだもの」

「もう、ママも骨折するなんて…」

ストレッチャーをベッドの横につけて、上のシーツをとると…。

ママは右腕の上腕から手のひらまで、それに左脚の膝上からつま先まで、真っ白いギプスをはめられていた。私は足の痛みをこらえ、上半身をできるだけ起こして、ママを見た。

「いやだー、腕と足!?ママ、大丈夫!?」

「大丈夫じゃないわよー。もう、最っ低。うー、いったぁい…」

ママは、情けない声で言う。看護婦さんたちが笑いながら、シーツの端を持った。

「それじゃ、ベッドに移しますからねー。いち、にの、さん!」

「きゃあー!動かさないでー!痛いー!!」

ママは大騒ぎしながら、私と同じように、脚を吊り下げられ、腕も器具でベッド脇に固定される。その間ずっと、痛いー!だの、きゃあー!だの叫んでいるものだから、私は顔が真っ赤になってしまう。

「ちょっとママ、恥ずかしいじゃない。そんなに大騒ぎしないでよ」

「だって痛いんだもんー!」

点滴を腕に刺されて、同じように身動きできなくなったママは、子供みたいに言った。

「それじゃ、お大事にね」

看護婦さんは出て行った。

「ね、パパには連絡した?」

「うん、さっき、連絡してもらったわよ。もうすぐ来ると思うけど」

「びっくりするわよね」

「そりゃするわよー。かわいい妻と娘が、大怪我してギプスしてるのよー?」

「あーあ、ケーキ買って来てくれないかなー」

そんな話をしたり、テレビを見たりしているうちに、パパが病室に入って来た。

「おい、大丈夫なのか!」

「あ、パパー。大丈夫じゃないよー」

そりゃあそうだ。ふたり合わせて脚が三本、腕一本の骨折だもの。ギプスに包まれて吊るされた脚の間で、パパはおろおろしてる。

「リカは、両脚骨折だって?」

「うん、そう。それに、靭帯も切れてるんだって。全治六か月」

「うわー、半年か。大怪我だな。ママは?」

「私は腕と脚の骨折。ねえ、ちょっとこっちに来てよー。いたぁい」

ママは甘える。ほんとにもう。

「とにかく、災難だったな。でもまあ、時間はかかるけど、治るんだろ?よかったよかった」

パパの言葉に、あたしとママはカチンときて、一斉に攻撃する。

「何がよかったのよ!」

「そうよ!すっごい痛いんだから!」

「パパも一回骨折してみれば!?」

ママは興奮して、思わず骨折している右腕に力を入れて上半身を起こしてしまい、

「うー…いったぁい…もー…」

と、右腕をさすりながら半泣き状態だ。こりゃだめだ、と私は溜息をついて、パパと相談する。

「ねえ、あたしはこんなんで歩けないし、退院してからもしばらく車椅子なんだって。ママだって松葉杖だし、第一右腕がしばらくギプスで動かせないでしょ?なんにもできないじゃない?あたしは腕使えるからまだいいけどさあ…パパ、どうする?」

「大丈夫だよ、そのくらい。パパだって家事くらいできるしさ」

パパはこともなげに言う。

「それより、リカ、大丈夫か?両脚ともギプスなんて…学校の階段で転んだんだろ?学校に抗議してやる」

「いやだ、やめてよ。あたしがドジっただけなんだから」

「それにしても、ギプスってすごいな。固いのか」

パパはあたしの右脚のギプスを、こんこんと叩く。それが、ちょうど骨折していた箇所だったので、あたしは思わず悲鳴をあげる。

「いっ…ったぁいいいいー!!」

思わず涙が滲んでくる。

「ああ、ごめんごめん。大丈夫か?」

「いたたた…。もう、ママもさっき叩いたんだから!それでそのあとエスカレーターから落ちて骨折したのよ。パパも骨折したって知らない!」

「まさか。家族そろって骨折なんて、ありえないよ」

パパは言った。

「それもそうよねえ」

あたしも言って、笑う。笑うと響いて痛い。あたしはまた、いたた…と顔をしかめる。それからしばらく話をして、パパは帰って行った。

「あーあ、おねだりできるのはパパだけかー」

「リカは車椅子に乗れば動けるんでしょ?買い出し係はリカね」

「何言ってるのよ。絶対安静って言われたばっかりよ?ママの方が怪我は軽いじゃない。あたしは骨三本折れてるし、靭帯だって切れてるけど、ママは骨二本でしょ!」

「えー、でも、ママは右腕は脱臼骨折だもん!骨折の上に脱臼してるのよ!?」

「でも、あたしは両脚ギプスで吊ってるんだから、動きづらいのはあたし!…あう…いったぁぁい…」

「ママは利き腕が使えないのよ。不自由なのはママ!…うっ、いたたたた…もう!」

なんて子供っぽい言い争いをしていたら、サイドテーブルのママのケータイが鳴った。

「ったく、誰よ。腕が痛いのに…」

ぶつぶつ言いながら、ママは電話に出る。

「もしもし、…え、はい、夫でございますけれど…ええっ!事故!?」

あたしは思わずがばりと起き上がり、いたたた…、と顔をしかめ、脚をさする。

「それで、怪我は…?ええ!骨折!?両腕の!?」

えーっ!パパも骨折…!?ったく、家族そろって…?

ズキズキと痛む脚をさすりながら、私はふと思い出し、サーッと青くなった。

 ママは、あたしの右脚のギプスをバシバシッと叩いたあと、エスカレーターから落ちて骨折した。パパは、さっき、あたしのギプスをぽんぽんって叩いて…。骨折?

 まさか、ただの偶然よね。

「それで、どこの病院ですか?え、N総合病院に転院?」

ええー!?N総合病院って、ここじゃない!

 家族そろって、骨折で同じ病院に入院かー…。恥ずかしいなあ、もう。

 次の日のお昼、パパがあたしたちの病室にやってきた。看護婦さんに車椅子を押されて、なんと上半身全体がギプスで固められている。両腕を空中に広げた感じで固定されていて、支柱のようなもので胴体から支えられている。かなり重傷っぽい。

「もう、パパってば、大丈夫なの!?」

「うん、突然車がバックしてきてね。しかしまあ、怪我で済んでよかったけど。しかし、家族そろって骨折かー」

そう、家族あわせて、脚三本、腕三本の骨折で、みんなギプスだもの。笑っちゃう。ママがはしゃいで言った。

「ね、でもパパは移動できるのよね。買い出し係はパパ!」

「何言ってるんだ。売店まで行くことは何とかできるけど、この両手じゃ商品も取れないし、財布から金も出せないし、買ったものも持てないじゃないか。骨折なんだから、重傷なんだよ。痛みもあるし」

「それもそっか…。ははは、パパってば、ロボットみたい…いたた」

「ふざけたこと言うな。ったく、リカは同じ両方骨折でも、脚なんだから幸せな方だよ。こんな、両腕スパイカギプスじゃ、テレビもひとりでつけられないし、本も読めないし」

「へえ、それ、スパイカギプスっていうんだ」

するとそこへ、トントン、とドアがノックされ、女子高生の集団ががやがやと入って来た。

「リカー、だいじょうぶー?」

「あ、絵美子、優香、こずえー!」

友達がお見舞いに来てくれたのだ。パパはママに向かって、

「それじゃ、ちょっと外に出てようか」

と言った。ママもうなずく。

「そうね、それじゃはじめて、車椅子に乗ってみようかな。みなさん、ごゆっくりね」

そして、痛いー!動かさないでー!とか何とか大騒ぎして車椅子に乗り込み、病室を出て行った。なんか、うちにいるみたい。友達もびっくりしてる。

「ね、家族全員骨折しちゃったの?」

「そうなの、ほんと恥ずかしいー」

「でも、悪いことは重なるっていうからねー」

「そうそう。リカ、両脚骨折しちゃったんでしょ?うわー、痛そー!」

「うん、骨折だけじゃなく、靭帯も切れてるんだって」

「えー、靭帯も!?すっごい痛そう…。階段で足すべらせただけでも、そんな超大怪我しちゃうんだー。気を付けないとねー」

なんて話して、買って来てくれたお菓子なんかを食べてたら、絵美子がカバンから油性ペンセットを取り出した。

「ね、お願い」

「え、なに?」

「ギプスに落書きしていい?」

あたしは少し迷ったけど、ダメなんて言われてないし、第一ギプスってなんか真っ白で物足りないから、うなずいた。

「うん、いいよ!」

「ほんと?やったー!」

「あたしも描きたい!いい?」

「もちろんいいよ」

三人は大騒ぎしながら、両脚のギプスに落書きした。『早くよくなれよー』とか『両足骨折中!危険!』とか。絵とかもいっぱい描いて、それを見て大笑いしてたら、もう夕方になってた。

「じゃ、そろそろ帰ろうか」

優香が言った。あたしは、がっかりしてしまうけど、仕方ない。

「そっか…。また来てね」

「うん、絶対来るよ!」

そのときだった。あたしの心に、ふと魔が差した。

 昨日、ママもパパも、あたしの右脚のギプスを叩いて、骨折した…。

 まさかとは思うけど、もしかして…。

「ね」

あたしは、思いきって言ってみた。

「お願いがあるんだけど…」

「え、なに?いいよ」

「なんでも言って」

みんな、明るく言ってくれる。あたしは、ちょっと罪悪感だけど、大丈夫だよ!と思って、言う。

「ギプスしてるとさー、すっごい中がかゆいんだ」

「えー!そうなの?」

「うん。実はね。特に右脚なんて、蒸れちゃって」

「へえー、そんな苦労があるんだ…。それで、どうしたらいい?」

「うん、掻けないからね、ちょっと、ぽんぽんって、叩いてくれる?」

みんな、さすがにためらって、顔を見合わせた。

「でも、痛いでしょ?」

あたしは、わざと元気に言った。

「大丈夫。ほんとはもう、そんなに痛くないんだ」

「え、そうなの?」

「うん。それよりもかゆくて」

「わかった」

こずえがほっとしたようにうなずいて、ぽんぽん、とギプスを叩く。あたしは思わず、ウッ、と顔をしかめる。やっぱり…痛いかも…。それを見たこずえがあわてる。

「あ、ごめん!大丈夫?強く叩き過ぎた?」

「ん…、大丈夫」

「ほんとに?」

「うん。やっぱまだ、痛いみたい…」

「あたりまえだよー、折れてるんだからね!」

「無理しないで、静かにしてなよ!」

「じゃ、またね」

三人は、帰っていった。

 その夜、あたしはどきどきしてたけど、こずえからは、元気そうなメールが来ただけだった。あたしは、ほっとした。やっぱり、偶然だったんだ…。

 

 なんて、安心した次の日。

 午前中、ママは検査に行ってしまい、あたしは病室に一人。話相手がいないと、すっごくヒマ。まだ動き回る許可も下りてないし。ママばっかりズルい!って思いながら、昨日お見舞いにもらった雑誌をぱらぱらめくってたら、ドアがノックされた。

「はーい、どうぞ」

パパかな、って思って返事をしたら、ドアを開けて顔を見せたのは、何と、制服を着たこずえだった。

「こずえ!どうしたの?学校はー?」

「ん、ちょっとね」

こずえは言って、病室に入って来た。あたしは思わず、こずえの左手を見つめたまま、固まってしまう。

「こずえ…手、どうしたの?」

「これ?」

こずえは、照れたように笑って言った。

「今日の一時間目の体育、バレーだったんだ。突然ボール飛んで来て、思わず変なふうに返しちゃったらさあ、指が変な方向に曲がっちゃったの。すっごい腫れてきたし、痛くて痛くて、早退して病院来たの。そしたら、薬指と小指、脱臼骨折だって!今、ギプスしてきたんだぁ」

あたしは、声が出なくなる。こずえの薬指と小指は、ギプスでしっかり固定されて、包帯を巻かれ、何倍も大きく見える。こずえは胸のあたりで指を上に向けている。すごく痛そうだ。

 あたしのせいだ…。

 あたしは、うつむいてしまう。こずえ、あたしの怪我を心配して来てくれたのに、あたしはこずえに、こんな大怪我させてしまった。

「あ、でも、全然大丈夫!」

元気がなくなったあたしを見て、何か勘違いしたのか、こずえは明るく言った。

「リカの怪我より、全然軽いもん。左手だしさ、けっこう普通に生活できるよお!リカは大変じゃん。両脚骨折でしょ?早く治して、学校来てよ。リカがいないとつまんないもん」

そして骨折した手をヒラヒラ振ったが、やっぱり痛いみたいで、ちょっと顔をしかめ、右手でギプスに包まれた指を、そっと包んだ。

こずえの優しさに、あたしはジーンとなってしまった。そして誓った。

 もう絶対、このギプスを、他人に叩かせたりしない…って。

 

 お医者さまとか看護婦さんは触っても骨折してない訳だから、ただ触るのなら問題ないみたい。それでもあたしは、なるべくギプスを触らせないようにした。

 他の子たちもお見舞いに来てくれたけど、ギプスには触らせない。

「まだ痛いんだ、骨折だけじゃなく、靭帯も切れてるし…」

とか言ったら、みんな同情してくれて触らない。

「両脚骨折なんて、ほんと大変だね、リカ」

「あたしも足折っちゃったことあるんだ。片足だけど…。でも骨折って、ほんと、痛いよね…しかも両脚だもん」

「痛む?何かほしいものあったら、言ってね」

とか言ってくれて、ちょっといい気持ち。痛いフリって、いいかも。

 左脚なんてもうほとんど痛くないんだけど、痛いフリしてたら、お医者さまも心配して、

「うーん、もう少しこのギプスで様子を見ようか」

とか言ってる。

 その間に、パパとママはどんどん回復してて、ママなんかもう、腕はまだ三角巾で吊ってて痛々しいけど、脚は膝下のギプスになって、松葉杖で歩き回ってる。パパもスパイカギプスから普通の両腕ギプスになって、両腕を三角巾で吊ってるだけになった。

「リカの怪我は、なかなかよくならないのね」

「やっぱり、靭帯なんか切ってると、骨折より時間がかかるんだな」

なんて、二人は話してて心配そう。

 それでも、あたしも車椅子でけっこういろいろ徘徊できるようになった。両脚ギプスはやっぱり、病院内でも目立つ。片脚ギプスをはめて松葉杖で歩いてる人とかにも、気の毒そうな目で見られるし。うーん、やっぱあたしって、大怪我人なんだなー、なんて納得。みんな優しいし、ギプスって、けっこういいかもね。

 

 やがて、あたしの退院の日になった。

 パパやママは、もう退院してて、家にいる。もちろん家事は全然できないから、親戚の清子おばさまが来てくれてるらしい。

 あたしは、車椅子に乗ったまま、病院を出て、清子おばさまの運転する車に乗った。でも、車に乗るのも一苦労。右脚はギプスで固めてて膝が曲がらないし、左脚だって痛くないけど、まだギプスしてる。あたしは、痛いフリがクセになっちゃってて、車椅子から車のシートに乗るのも大騒ぎだった。

「リカちゃん、大丈夫?」

清子おばさまと看護婦さんが、両側から体を支えてくれる。

「大丈夫よ。ちょっと、動きづらくて…」

あたしは何とか後部座席に乗り込んで、家に向かうことができた。

「まったく、家も大騒ぎよ」

運転しながら、清子おばさまが言う。

「パパは両腕が使えないし、ママは松葉杖だし、腕もまだ痛むみたいだし…。リカちゃんは両脚がそんなで、まだ歩くのは当分無理で、車椅子生活でしょう?ほんと、大変よね…。まだ痛い?」

「いいえ、もうそうでもないわよ」

清子おばさまの心配そうな顔に、あたしは思わず言った。

「ほんとは、そんなにもう痛くないわよ。ただ、お医者さまが大げさなだけ。ほら、大丈夫大丈夫」

そう言ってあたしは、自分の右脚のギプスを、上からポンポンと叩いた…。

「ああっ!!」

思わず声を上げたあたしに、清子おばさまが驚いて振り返る。

「どうしたの!?痛かった?」

「う、うん、ちょっと…」

「顔色が悪いわ。車、停めましょうか?」

「大丈夫よ、おばさま」

言いながら、あたしは、顔から血の気が引いていくのを感じていた。

 右脚のギプスを、叩いてしまった…。

 

「さ、着いたわよ」

家に着いたあたしは、思わず、「げっ」と心の中で呟いた。

 そう、懐かしい二か月ぶりの我が家なんだけど、問題はうちの構造。うちは、玄関に入るまでに、十段ほどの階段があるのだ。

「ああ、階段ね」

清子おばさまが言った。

「姉さんが帰って来たときも大変だったわよー。ほら、腕も脚も骨折してたでしょ?私が横で支えてたんだけど、痛い怖いって大騒ぎ」

そして、あたしを見た。

「リカちゃんは、どうしましょうか…」

「あ、あたし、大丈夫」

あたしは言った。

「手摺りをつかんでいけば、何とか昇れると思うわ」

「そう?でも、本当は車椅子じゃなきゃ移動できないくらいなのに…」

「大丈夫。たった十段だもの」

あたしは笑いながらも、心の中は不安で一杯だった。

 

 手摺につかまり、手に全体重をかける。脚の筋肉は、思ったよりずっと弱ってるみたいで、ガクガクした。あたしは一歩ずつ、階段を昇った。おばさまが、心配そうに見てる。

 曲がる左脚を先に上の段にかけて、それから右脚をのせる。それを一段ずつ…。うん、なかなか順調。あたしは、割とスムーズに階段を昇った。

 そして、あと二段というとき。

 左脚を次の段にかけようと、腕に力を込めたとき。疲れていた腕が、いきなり、がくん、となった。その途端、右脚に全体重がかかる。痛みが全身をつらぬき、あたしは思わず、悲鳴をあげた。

「きゃああああっ!!」

その悲鳴とともに、バランスを崩したあたしは、階段を転がり落ちていった。

 

「リカちゃん!リカちゃん!」

おばさまの声がきこえる。あたしは、うっすらと目を開けた。

 あたし、階段から落ちたんだ…。

 起き上がろうとして、全身の痛みに、思わず

「うう…」

とうめき声が漏れた。脚だけじゃなくて、お腹も腕も、ぜんぶ痛い。

「今、救急車を呼ぶわね。頑張って!」

おばさまの声が、どんどん遠くなっていって、あたしは、気を失った。

 右脚のギプス、やっぱり、骨折のおまじないだったんだ…。

 

 そして今。あたしはまた、入院してる。

 あたしの怪我は、更にひどくなってしまった。両腕、両鎖骨の骨折。肋骨も何本か折れて、それに両脚の大腿骨を骨折してしまった。左脚の足首の骨折も、治りかけてたのにまた折れてしまったし、右脚も元通り。あたしは文字どおり、体をギプスでぐるぐる巻にされ、ミイラみたいになってる。両腕スパイカギプス、両脚は錘をを吊り下げて固定してて、トイレにも行けないから、管を入れられてる。すごく痛々しい姿になってるみたいで、友達も落書きするどころか、こっちを見るのをためらうくらい。

 それでもあたしは、何だか、満足してる。

「リカ、すっごい痛そう…」

「かわいそう…早くよくなってね」

「全身骨折なんて…ひどい怪我」

「リカ、超痛いだろうけど、元気だして」

「ギプスなんて、かわいそう。しかも全身に…」

「せっかくよくなってたのにね…また骨折しちゃうなんて」

その言葉に、あたしは弱々しく答える。

「ん、ちょっと、まだ痛いの…」

「ありがとう、早くよくなるね」

「そうね…両腕両脚骨折なんて、ほんと、運が悪いよね」

「うん、痛みはまだ取れないんだけど、がんばるね」

「そうね、ギプスって、重いし、体も全然動かなくて…無理に動かすとすごく痛いし」

「ほんとだよね、せっかくよくなると思ってたのに…」

動かせる頭だけをお見舞い客に向けて、あたしはなるべく痛々しくふるまう。そして、痛みにもだえるように

「うう…」

と呻いてみたり、

「ごめんね、まだ寝てるだけでも痛くて…」

と涙を滲ませてみたりする。するとみんな、すごく優しい。

「無理しないで。またお見舞いにくるね」

と言ってくれる。

 大怪我人は、なかなか大変。すっかり回復したパパやママの前では、ワガママ大爆発なんだけど。みんなの前では、不慮の事故で体中を骨折して元気をなくしてる、しおらしい子になるの。

 あたしは、また退院できるくらい回復したら、右脚のギプスを叩いてみようかな、なんて、思ってるんだけどね。