読み物

香里

Sorry Japanese only

『アルバイト』

 

 あたしがしのぶさんにナンパされたのは、夜の街でだった。友達と遊んでたら、友達は彼氏に偶然会って、どこかに行ってしまった。あたしは1人でつまんなかったから帰ろうとしたら、しのぶさんが声をかけてきたのだ。

 しのぶさんは、和服を着てて、30歳くらい。おミズの人って感じ。

「もしよかったらお茶でも飲まない?」

ってしのぶさんが言うから、

「いいよ」

ってあたしは言った。あたしたちは近くのファミレスで話をした。

「名前はなんていうの?」

「かずみ」

「かずみちゃん、学生?」

「大学生」

「バイトしない?」

「しのぶさんのお店で?」

「いいえ、個人的に」

「家政婦とか?」

「興味ある?」

あたしがうなずくと、しのぶさんはファミレスを出て、自分のマンションにあたしを連れて行ってくれた。

 しのぶさんのマンションはすごい高級そうで、夜景がすっごく綺麗だった。

「こんなとこで、何したらいいの?」

「一度やってみてくれる?」

「いいよ」

「じゃあちょっと、こっちの部屋に来て」

あたしがしのぶさんの後についていくと、しのぶさんは奥の部屋のドアを開けた。暗い部屋。もしかしてレズ?ってちょっと疑ったけど、電気がついたとたん、その疑問は吹き飛んだ。

 その部屋の中央には、ベッドがあった。普通のパイプベッドなんだけど、普通じゃないのは、固定器具が置いてあるところ。

 そう、固定器具っていうのはつまり、骨折してギプスとかしてる人が、足を吊ってたりする、あの器具。ベッドの横には車椅子。松葉杖もある。あたしは思わず、聞いてしまった。

「しのぶさん、1人暮しって言ってなかった?」

「1人暮しよ」

「だって、誰か怪我してるんじゃないの?」

「ううん、これはあなたが使うのよ」

「ええっ!?」

あたしは思わず、しのぶさんを見てしまう。

「あたし、怪我なんてしてないよ?」

「知ってるわよ。でもあなた、ギプスが似合うと思うわ」

「ええー?」

似合うとか言われたって、似合うとかいうものなの?もしかしてヤバい人についてきちゃったのかなー?

「骨折したことある?」

「ないです」

「いちどギプスしてみない?」

「ええー?」

「バイト代は、一日一万で」

私は驚いて言葉が出ない。それってすごい魅力的。ギプスするだけで一万円なんて、すごい。

「それじゃあ…一回だけ」

あたしはうなずいた。

 しのぶさんは、あたしの足にギプスを巻きつけていく。包帯みたいなものに水をひたして、つま先から膝下にかけて巻いていく。思ったより簡単。これがカチカチになるらしいけど、なんか足がホカホカしてる。

「でもなんか、怪我もしてないのにギプスを巻くなんて、変な感じ」

「つもりになったらいいのよ」

「つもりー?」

「あなたは今、足首を骨折してるのよ」

「えー?」

そんなこと言われてもさあ。

「さ、ギプスが完成したわよ。これを使って歩いて」

そう言ってしのぶさんが差し出してきたのは松葉杖。使い方はなんとなく想像できるから、あたしはぎこちなくそれを使って、歩いた。なんかほんとに怪我した気分。そのぎこちなさがリアルだったみたいで、しのぶさんも何だか満足そう。

 あたしはそのギプスをつけたまま、夜中までしのぶさんのところにいた。別に何をするんでもない。あたしが松葉杖を使って立って歩いたりするのを見てるだけで、しのぶさんは満足らしかった。

 あたしはギプスをはずして、一万円と合鍵をもらって、帰った。

 

 次の日から、あたしはしのぶさんのマンションに行った。見よう見まねでギプスを巻いて、しのぶさんが帰ってくるのを待っている。足とか腕とか、いろんなギプスをした。三角巾で吊ったりとか、松葉杖をついたりとか。あたしもなんかハマってきちゃって、ギプスの他に包帯を巻いてみたりした。両足にギプスをして車椅子で出て行ったときなんか、しのぶさんは興奮しちゃって大変だった。

「かずみ、その足どうしたの!」

ごっこ遊びだから、あたしも合わせる。

「しのぶさーん、両足とも骨折しちゃったのー」

「ええ!?一体どうして」

「模様替えしてびっくりさせようとしたんだけど、ひとりでサイドボード移動しようとして、足の上に落としちゃったよー」

「どうしてそんなことしたのよー?痛いでしょう!」

「痛いよーお」

「車椅子押してあげるわ。かわいそうに…」

こんな感じ。やってる内に、あたしもほんとに怪我してるような気分になっちゃって、理由を考えるのも楽しくなってきた。

 

 最初のうちはそれで結構満足してたんだけど、一か月もすると、なんとなく物足りなくなってきた。やっぱ遊びは遊び。本物の怪我にはかなわないのよね。

「しのぶさん、あたし、ほんとに怪我してみようかな」

ある夜、あたしは言った。しのぶさんは、え?って感じで、あたしを見た。

「私はそうなったら嬉しいけど、でもかずみは、痛いの嫌じゃない?」

「うーん、まあ、あんまり痛いのは嫌だけど、捻挫とかヒビ入るくらいなら、いいよ」

「学校にだって支障出るでしょ」

「松葉杖とかついて大学行くのも、結構楽しいかも」

「そう?…それじゃ、ちょっと考えておくわね」

しのぶさんはそう言った。

 

それから数日後。あたしの携帯に、しのぶさんから電話がかかってきた。

「かずみ?今から出て来れる?」

「いいけど、どうしたの?」

「ほら、このあいだの、ほんとの怪我の話」

「ああ」

「やってくれる人見つけたのよ」

「ええ!?」

それはつまり、あたしの骨を折ってくれる人ってこと??

「無理は言わないけど、会うだけ会ってみない?」

「会うだけなら…」

あたしは言った。

「それじゃ、今からマンションに来て」

 

てっきり、マッチョな男の人がいるのかと思ったのに、いたのは女性だった。ショートカットで、結構美人。

「本当に怪我したいなら、いいわよ」

なんてその人は言った。

「でも、あとから面倒なことはやめてよね。階段で転んだとか言ってよ?」

「もちろんよ」

しのぶさんが言った。

「でも、かずみ、本当にやる?」

あたしは、うなずいた。なんか、断れない雰囲気なんだもん。しのぶさんてば、嬉しそう。

「治療費は出すわよ。それに、バイト代も弾むわ」

そう言われると、なんか、これも仕事のうちかも、って思えてきちゃう。

「それで、どこを怪我したい?」

あたしとしのぶさんは相談して、左腕と右足をお願いすることにした。さすがに骨折は痛そうだから、右足はヒビを入れるくらい、腕は捻挫にする。

「病院に行ったら、とにかく痛がるのよ?そしたらギプスしてもらえるから」

そう言いながら、その人はまず、あたしの腕をとった。そして突然、ありえない方向に、グキっ!て曲げた。

「ぐううっ!!」

あたしは思わず、目をつぶってうめく。痛い!!

「かずみ、大丈夫?」

しのぶさんが聞いてるけど、あたしは声も出ない。捻挫ですらこんなに痛いのに、骨折なんてどれだけ痛いんだろう。

「どう?」

「いたい…です…」

ちょっと涙が滲む。見ると、左手首はどんどん腫れてきた。すごい。

「次、足ね。痛いわよ。しのぶ、手握ってあげて。それから、タオルをかませて」

そこまでするの!?あたしは恐怖で一杯になる。左腕はズキズキと痛む。

 うつぶせに寝た。しのぶさんが音楽をかけてくれる。なかなか始まる気配がないなー、と思ってたら、突然、右足に、訳のわからない激痛が走った。

「ぐううっ…!うぐ…ぐぅぅぅぅっ…!あう…っ!」

「もう少しよ、がんばって、かずみ」

しのぶさんの声がきこえるけど、あたしは痛みで返事をするどころじゃない。涙が出てきた。なんて馬鹿なことしちゃったんだろう…。

「さ、いいわよ」

あの人の声がして、タオルが口から外された。息がやっと自由にできるようになって、あたしは声を絞り出す。

「ぁがあ…うう…しのぶ…さん…いたいぃ…」

「ああ、こんなに汗が出て…痛いでしょう、かわいそうに」

しのぶさんは汗をふいてくれる。あたしの足はしびれるような激痛で、動かすこともできない。

「病院に行きましょう」

「だめ…痛くて…立てない…」

「私が病院まで背負っていくわ。病院でも私が説明するから、かずみは何も言わなくていいのよ」

あたしは、頷くのがやっとだった。

 

 病院につくまでの車の中でも、振動が伝わるたびに、痛くて痛くて、あたしは呻き続けていた。病院につくと、すぐに車椅子に乗せられ、レントゲン室に運ばれる。

 その結果、左腕はひどい捻挫、右足は亀裂骨折していた。

 アドバイス通り、あたしは「痛い」を連発し、医者も呆れるくらいだったけど、ギプスを巻くことになった。

 腕にはSAC、足は膝の付近に亀裂があるということで、膝上までのLLCをはめた。

「松葉杖、使えそうですか」

「ええ、たぶん…」

あたしは、左腕を吊り、右腕に松葉杖を持って、しのぶさんに支えてもらいながら、診察室を出た。

「会計済ませてくるから、座って待ってて」

あたしは待ち合い室の椅子に座って待つ。手足にギプスは、ちょっと目立つ。足は曲げられないから投げ出してるし、手は吊ってるし。かなり痛々しいことになってるんだろうな。固定して、痛みはやわらいだけど、移動はつらい。

 しのぶさんが戻ってきた。あたしは何とか立ち上がる。

「大丈夫?」

「うん、何とか」

「痛くない?」

「痛いことは痛いけど、平気」

「ごはん食べていきましょうよ」

「うん」

あたしたちは、タクシーに乗った。あたしは足を伸ばさなきゃ乗れなかったので、しのぶさんが前に乗り、あたし1人で後部座席を占領する。

「姉妹ですか」

「ええ」

「妹さん、骨折ですか」

「ええ」

「いやー、痛そうだな。手も足も折っちゃったの」

「はい、しばらくは1人じゃ動けないんで、姉に付き添ってもらってるんです」

「なんでそんな大怪我したの」

「自転車で転んじゃって」

「ええ?大変だな。全治どのくらいなの」

「三か月です」

「いやー、お大事にね」

そんな会話をしているうちに、レストランについた。

 ウエイトレスが、大怪我をしている私を見て、少しぎょっとしたような顔をする。席に案内されるときも、気を使われてるのがわかって、いい気持ち。

「しばらくうちに住んだら」

しのぶさんが言ったので、あたしはうなずいた。あのベッドもあるし、大学も近いし。

 

 次の日、大学へ行くと、みんながびっくりしたように私を見た。

「ちょっと、かずみ、どうしたのその怪我!」

「自転車で転んじゃって、骨折したのよ」

「えー!折っちゃったの!?痛そー」

「うん、でも動けないこともないし」

「でも、大変じゃない!車椅子借りて来てあげるよ」

友達が借りて来てくれた車椅子に乗って、あたしは大学の構内を歩いた。みんな驚いたような目で見ている。いい気持ち。ちょっと知り合いの子は、みんな声をかけてくれるし。

「かずみ、骨折したんだって?」

「うわ、大変じゃない!」

「どのくらいかかるの?」

「病院通ってるんでしょ?入院とか、しなくてよかったの?」

そんな感じで、みんな優しい。マンションに帰れば、しのぶさんがいるし。

 帰ってきて、あたしが松葉杖をついて「おかえりー」って出ていく。

「かずみ、無理に動かなくていいのよ。座ってなさい」

「いいのいいの。大丈夫よ」

「そんなこと言って…骨折なのよ?大丈夫じゃないでしょ」

「大丈夫だって。…あ、痛っ」

「ほらごらんなさい。大丈夫?」

「うん」

あたしはテーブルにギプスの足をのせる。

「大学、どうだった?」

「うん、車椅子で移動してるから、楽よ」

「明日病院の帰りに、どこか寄って買い物しましょう」

「うん」

次の日、病院の帰りに、あたしは車椅子に乗り、しのぶさんがそれを押してくれて、デパートに行った。みんな、えーって感じで、大怪我したあたしを見てる。狭い売り場では松葉杖を使って、あたしはちょっと演技をする。スカートを持って店員さんに聞く。

「これ、試着していいですか」

「はい、どうぞ。…大丈夫ですか」

「ええ」

あたしは試着室に入る。そして、スカートをはこうとしてよろけたふりをし、

「ああっ!」

と転ぶ。店員さんが外から声をかけてくる。

「大丈夫ですか?」

「ええ、あの、ちょっと、開けてください…」

開けると、あたしは痛そうに足をさする。

「あの、すみません、やっぱり試着は…ごめんなさい」

「いえ、いいですよ。立てますか」

そこに、しのぶさんがやってくる。

「かずみ、大丈夫?さ、つかまって…」

「ええ…」

あたしはしのぶさんの肩に手をかけて、何とか立ち上がる。店員さんは、おろおろして見ている。

「すみません、ほんとに」

「いいえ、いいんですよ。骨折ですか。大変ですね」

なんて会話をして、あたしたちはお店を出る。

 

それから二週間くらいして、腕のギプスが外れた。足のギプスはそのままだけど、あたしたちはこのギプスを利用して、旅行に出ようなんて話をしている。松葉杖とかギプスとかいっぱい持って旅行なんて、わくわくする。

 この怪我が治ったら、少し間を置いて、また折ってもらおうね、なんて話してるし。やっぱりほんとの怪我はリアリティあるから、あたしもしのぶさんも、すっかりハマっちゃった。

 このアルバイトいつまでも続くといいな、なんて思いながら、あたしは今日もギプスをはめた足を痛そうにひきずって、松葉杖で歩いてる。