読み物



Sorry Japanese only
白い檻
september.10.2002

最終章

 今年も後一ト月あまり、と云う季節に医師の前島は学生時代の顔ぶれで、久方振りに夜の盛り場で酒を飲んだ。

宴が終わり「それじゃあ、又来年。」と言って、男達は別れて往った。

皆夫々家庭を持ち、男の帰りを待っている家族が居る。

前島は一人取り残されたような気分で、久しぶりに夜の街をうろつく気になった。夜の街には前島の青春の想いが

其処かしこに残っていて、今でも時々女を買う事がある。

暗がりから、若い女の声が前島に呼びかけた。

「あら、先生お久しぶり。」

「ああ君か、何ヶ月ぶりかな。君、身体は大丈夫かい。」

以前、前島は此の若い娼婦が苦しんでいるのを助けた事が有った。名前をチカと言った。

「ええ、お蔭さんで、今日は遊んでくの。」

「如何しようかな、新しい子でもいるのかい。」

「うーん、あんまり代わり映えしないな。

あ、そうだ、それより先生に話したい人がいるんだ。」

「なんだい話しって、性病なら専門じゃあないよ。」

「違うよ、そう云うのじゃないの、あのね最近現れる人なんだけどね、そんなに若くないけど、とっても綺麗な人なんだけどね、体中に火傷の跡があってお嫁に行けなかったんだって。

そいでもやっぱり男が欲しいんだって、そいでね顔とか腕とか体中に繃帯まいてるんだけど、男の人たちもやっぱりミイラみたいだって気味悪がってさ、あんまり寄り付かないんだ。                      でもさ顔の繃帯してないとこなんて、ホントに綺麗なんだよ。だからさ、先生お医者さんでしょ、火傷の跡綺麗にしてくれるお医者さん紹介してやってくんないかな。」

「それは気の毒だな、でも火傷の跡は難しいんだ。まあ今より幾等かまし、位の事は出来るかもしれないけどね。

それに、火傷の跡は治療じゃなくて美容整形のほうだから随分お金がかかるよ。」

「お金ならいっぱい持ってるみたいだよ。なんたって

稼いだ金、みんなあたい達に置いてくんだよ。」

「ほう、そいつは・・・、」

「ねえ、だからさ気の毒に思うんなら、美容整形でもなんでも話ぐらいしてあげてよ。」

前島は繃帯に覆われた姿で夜の街に立つという

哀れなその女に興味と同情を抱いた。

「うん、分った。その人呼んでおいで。」

「マミイちゃん、今日来てるかな。」

「その人、マミイっていうのか。」

「うん、ミイラみたいに繃帯ぐるぐる巻きにしてるから

あたい達そう呼んでるんだ。あ、来てる来てる、

ほら、あそこにいるよ。」

チカの指差す先の、ほの暗い街灯の下に、女は、いた。

 その夜も夫人にはまだ客がつかないが、その事は彼女には当たり前の事で、繃帯を巻いた哀れな美しい姿を人眼に曝して夜の街にいるだけでも、彼女は満足するのだった。

「マミイちゃん。」と呼びながらチカが小走りにやって来る、チカの後ろからは、ゆっくりと男が歩いて来る。

女の数が足りない時、チカは男に夫人を押し付け、男が

彼女の姿を嫌がらなければ客になるが、そんな事はめったに無く、大概怖気を震って逃げ出すか、罵声を浴びせられるのだった。

そして、今夜もそんな男をチカが拾って来たのだろうと思い、彼女は彼等の方へ身体を向けた。

 薄明かりの中に繃帯を巻いた美しい女の顔が浮かび上がり、前島の方にゆっくりと視線を巡らせた女の目が、驚愕のために大きく見開かれた。

篠田夫人はその場に凍り付いたように立ち竦み、

前島は彼女の腕をしっかり?んで、小声で囁いた。

「奥さん、その恰好は如何したんですか。もうすっかり治ったはずですよ。」

夫人は忘然と目を見開いた儘、唯前島を見ている。

二人の徒ならぬ雰囲気に、チカは肩を竦めて立ち去った。

前島の力が緩み、夫人も眼を伏せ大きく肩で息をした。

「貴女はこんな所で何をしてるんですか。」前島は柔らかく言ったが、夫人は俯いた儘、小さく首を振るだけで何も答えない。逃げ出したいのだが脚が竦んで動けない。

「ちょっと、今から僕の病院へ来てください。」

「え、今からですか。」と、夫人はやっと顔を上げた。

「ええ、そうです。奥さんの話を聞くのにはちょうど良いでしょう。」と突き放すような口調で前島は言った。

束の間の沈黙の後に、彼女は諦めたように

「分りましたわ、先生のお喋る通りに致しますわ。」

と答えた。

「待ってて下さい。タクシーをひろって来ます。」

「いえ、わたくしの車がありますから、それでご一緒いたしますわ。」

月も無い夜道を二人は暫らく無言の儘歩き、夫人の車を止めた処に着いた。

彼女はダイムラーのドアに鍵を差し込もうとしたが、前島との遭遇ですっかり気が動転し、上手く鍵孔に入らない。

見かねた前島が手を出し

「どれ、僕に貸しなさい。運転も僕がした方が良いな。」

「ええ、お任せいたしますわ。」諦めたように、力無く

前島に鍵を渡した。

車のヘッドライトが夜の闇を鋭く切り裂いてゆく。

前島は後部席座った篠田夫人の姿を、ルームミラーに捉えて語りかけた。

「僕には大体想像つきますよ。」

「あの、あたくし、・・・。」

「奥さん、貴女はサド侯爵の恋人ですよ。」

「あの、サド侯爵って、あのフランスの・・・。」

夫人は一瞬、怪訝な面持ちで運転席の前島の顔を見た。

「ええ、そうです。所謂サディズムの元祖ですよ。

但し、貴女はその相手です。酷く扱われる事に歓びを覚える質の人です。」

「・・・そんな事・・・。」

「そんな事、違ってますか。正直に言ってください。

別に、僕は奥さんを責めている訳じゃないんですよ。

唯、医者として奥さんの今の気持ちを、説明しているだけですよ。」

「・・・あの、あたくし、・・・おかしいんです・・・

身体が・・・繃帯巻いてると・・・男の人に・・・

繃帯巻いて・・・抱かれると・・・。」

夫人は途切れ途切れに言葉をつないだ。

「貴女のような人は珍しく無いんですよ、貴女も識っているでしょう、縄で縛られるとか、鞭で叩かれるとか・・・

貴女の場合は、縄の代わりに繃帯という訳ですよ。」

思いついた様に、夫人は繃帯を解き始め、手にした繃帯を何か不思議な物でも見るように見つめ

「あたくし、・・・気違いかしら。」

「そんな事はありませんよ、唯、性の趣向が他の人と一寸

変っているだけですよ。」

夫人は前島の言葉を虚ろな表情で聴いているだけだった。

「兎に角、あんな所へ行くのはお止しなさい。」

「でも、・・・あたくし、もう・・・元に戻れませんわ。いけない事だとは頭では分っているんですけど・・・」

夫人は手巾で目頭を拭った。

前島は「人は・・・、人間という生き物は皆、心の内に

魔物を飼っているんです。普段は自分でもその魔物に気ずかずに居るのですが。」と呟いた。

 

 深夜の寒寒とした診察室に明かりが点き、夫人は軽く瞬きをした。

「さあ、此処へお掛けなさい。」と前島は診察椅子を顎で示した。

「あの、・・・一体・・・、」

「今日は、何人客を取ったんです。」

夫人は囚われた獲物のように項垂れて、椅子に座った。

「あ、あの、今日は先生が・・・。」と小さく答えた。

「僕が最初の客になる筈だったんですね。」

彼女は黙って肯いた。

「ああいう所に来る男達の中には病気を持ってる奴も  いますからね、此処で出来る検査をしてあげますよ、

本当は専門の所に行ったほうが良いんだが。」

と、言うなり前島は無造作に夫人の着物の裾を割り  「足を拡げてください。」と彼女の秘密の部分を幾分手荒く診察し、やがて「僕の診たところじゃ、まだ大丈夫なようです。後でちゃんと検査を受けてください。」

夫人は目を閉じたまま、前島の声を聞いている。

「貴女みたいな金持ちの奥さんが、なにもあんな危ない所に行かなくても男は手に入るでしょう。それにああ云う所は時々警察の手入れが有りますからね。貴女が捕まったりしたら、赤新聞が大喜びで書き立てますよ。

そうなりゃ、貴女ばかりでなく御主人もえらい恥をかく事になりますよ。」

何時しか、夫人は手巾で眼をおさえ嗚咽をあげている。

「・・・あの人とは、・・・夫とは別れますわ。    そうすれば私の身がどうなろうと、あの人には関係ありませんもの。それに夫が帰ってきても、もう私には前のような暮らしは出来ませんわ。私が変ってしまったんです。」

萎れた煙草を口に咥え、前島は汚れたカーテンを開け、 ガラスの外の暗い闇を見つめた。

(夜の闇は朝が来れば消える、この女の闇は何時消えるのだろう。いやこの女の闇はまだ始まったばかりだ、この女の行く手には、もっともっと深く暗い闇が待っている。 

 

 やがて「繃帯を巻き直してあげますよ。」ぽつんと前島は呟いた。

夫人はハッと愕いたように顔を上げて前島を見つめた。

「貴女の望をかなえて上げますよ。」

前島の大きな手が、意外な器用さで夫人身体に繃帯を巻いてゆく、両足両腕そして頭から顔へと、最後に前島の手が頚に掛かった時、彼女の頭の奥が痺れたようになり、もう自分を抑えきれづ、前島の洋袴の前開きに包帯を巻いた手を伸ばした。

「いけない、そんな事しちゃ駄目だ。」

以外に強い力で、女の腕が男の拒絶をおさえこみ

払い除けようとする前島の手は、呪縛がかけられたように力がはいらない。

繃帯に包まれた女の頭と手がゆっくりと動く。

繃帯に白く縁取られた美しい女の顔がうっすらと桜色に上気し、濡れた黒い葡萄の粒のような双眸が、怪しい光をたたえ前島を吸い込む様に見上げる。

何時しか、前島が診察椅子に座り、広げた両足の間に跪いた夫人が前島の身体を優しく翻弄する。

女の繃帯に包まれた白い顔の、それだけ一層鮮やかに赤く彩られた脣が男のメりを何度も呑み込んでは、その都度に繃帯を巻いた手が、熱いメりを慈しむように弄る。

(此の女は、もう俺の知っているあの淑やかな奥さんじゃあない、今此処にいる女は自分で自分の欲望を抑えきれ 無い、一匹の雌の獣だ。)

蛍光灯の、無機的な冷え冷えとした光のもとで

診察椅子だけがギシギシと音を響かせ、部屋に漂うクレゾールの臭いが肺を締めつける。

(分っていたのだ、俺には分っていたのだ。

あのほの暗い街灯の下で此の女の白い繃帯を巻いた顔を見た時に、こうなる事を俺は知っていたのだ。)

痛ましい姿の女の肉体を貪る、むごい倒錯した遊戯。

女の狂ったような痴態に誘われて、男の精神も軋み、やがて縺れあった儘、深い闇へと堕ちて行く。

 

 寒々とした真夜中の診察室のベッドの上で、男は女の身体に白い繃帯を幾重にも巻いてゆく。

女の両手と両足をベッドの端に縛りつけ、頭から顔そして頚に繃帯を巻きつけた時、女は「お願い、もっときつく巻いて。」と喘ぎながら言った。「駄目だよ、これ以上きつくしたら死ぬよ。」既に女の眼は焦点を失い、

「いいわ、構わないわ、死んでも良いわ。」      全身を繃帯で覆われた、狂い女の異形の美しさに囚われた男は、喘ぎ身悶えする女の身体を深く貫き、倒錯の歓喜に

満たされ脈打つ熱い命の滴りを放つ。

 俺は何時か此の女を絞め殺すだろう、そして此の女は其れを無意識のうちに望んでいるのだ。

この女は死ぬほどの苦痛と歓びを、同時に獲ようとする貪婪な雌だ。

彼女に巻いた繃帯は蜘蛛の糸のように、俺を捕らえて離さない。もがけば、もがくほど絡みつき俺を虜にする白い柔らかい檻の様だ。そして交接を終えた雄の蜘蛛のように、この雌蜘蛛に命を貪られるのだ。  

 

                      完