読み物

X-ray氏作

Sorry Japanese only

 

 (14)ファイナルステージ

 

-------------------Memory

 

唐橋は、乱れた呼吸のまま、苦しげに薄目を開けた。

頬を斬るような冷たい風、夜露にぬれた草。

廃虚病院の螺旋階段の下に、うずくまっていた。

 

確か、麻帆を連れた篤が去り、半田が宏美に挑んだとき、すでに自分はもう駄目だと、諦めたように思う。

半田が宏美に、メッタ刺しに突かれ、血の海に沈んだとき、自分も意識を喪失した?

いや、しかし、今、自分が病院の外に居ると言うことは、宏美が去った後の出来事は、幻ではなかったのだ。

まるで夢物語のような、おぼろげな記憶。

 

血まみれの半田にもたれるようにして下りた、非常階段。

あれほどの出血量で半田は無事なのだろうか?

記憶が正しければ、半田は宏美に心臓にとどめを刺されて倒れたように思ったが。

 

半田はどこにいる?

篤は麻帆を抱いて非難できたのだろうか?

ぼんやりとする意識をはっきりさせようと、幾度も強く瞬きをした。

 

相変わらず呼吸が苦しい。

しかし生きているからこそ感じる苦しみなのだ。

肋骨骨折が原因で、僅かながらも肺から空気が漏れているのだから仕方ない。

 

火事!?

きな臭い煙が割れた窓から溢れ出し、炎が見え隠れしている。

ふと見上げた螺旋階段。

 

「あっ!!」

 

その刹那の瞬間に、人間が唐橋の頭上より落下した。

それは激しい加速度で、木立に引き込まれるかのように消えた。

 

麻帆???

 

唐橋もまた、傷ついた身体を起こし、よろよろと立ち上がった。

この状態で動くことは、生命の危険にも関わるということは熟知しているが、医者として、人間として動かずにはいられなかった。

 

 

-----------------Selection

 

 

階下に唐橋の姿を確認した篤は、たった今、下りてきた階段を上り始めた。

 

違う…何かが違う…。

オレは何をやってたんだ?

何故、オレは、手術室で半田が飛び掛ったときに、助けなかった?

いつも、いつも半田に任せて逃げてばかりで最低じゃないか!

足の痛みよりも痛い強い想いは、まっすぐに煙の中に突き進んで行った。

 

「半田…」

 

手術室はすでに、炎が指を伸ばし始めていた。

「半田、お前は死んでない。絶対死んでない。どこだ?どこにいる!!」

 

悲痛な叫びを内心で燃やしながら、白い煙をかき分けた。

狭い視界、苦しい呼吸。

這うような姿勢で視線を落とすと、手術台の真下に転がる半田を見つけた。

 

「…絶対、オレが助けるから頑張れよ」

 

ぐったりとした半田の腕を、力いっぱい引き寄せた。

半田の右手から、ポロリと携帯電話がこぼれた。

 

「聞こえるか?逃げるぞ!早く、起きろ!」

 

半田に呼びかける篤。

熱いものが込み上げて、篤の頬は涙に濡れた。

 

おびただしい血液が床に広がり、篤の服をも朱に染めていく。

 

「半田、行こう、外へ逃げよう。オレ、絶対お前が生きているって信じてた。大丈夫だろ?動けるよな?」

 

ぐったりとした半田の唇がかすかに動いた。

 

「ありがとう…」

 

長い睫の隙間に覗く細く開いた瞳は動かなかったが、篤は最後まで死力を尽くして戦った半田に、勇者(ヒーロー)の姿を見た。

 

「お前をこんなところにひとりで置いていくわけないだろ」

 

半田の腕を自らの肩に掛けて、よろめきながら来た道を戻った。

炎の勢いは増し、ぐったりとした半田と、満身創痍の篤を追い立てる。

しかし篤は、幾度転んでも素早く立ち上がり、出口を目指した。

 

何度も「もう駄目だ」と気力が尽きかけた。

しかし篤は負けられなかった。これ以上自分との戦いに負けられない。

命がけで戦ってくれた半田が、それを許すはずはない?

 

しかし、半田の腕は「もういいよ、お前だけ逃げろよ」と言うように、するすると抜け落ちてしまう。

そのたびにその腕をぎゅっと握り締めた。

 

4階。

螺旋階段にも、黒煙と熱風が押し寄せる。

 

手すりに寄りかかり、半田の身体を引きずる。

一段一段確かめるように踏みしめながら。

 

篤は、この廃虚病院の中に人生を見たような気がした。

払った大きな代償、どうにもならない非なの自分の姿が、映る廃虚病院。

肝心な場面で逃げ出した自分への報い、手離してから気づく、本当に大切なものの価値。

そして、嫌と言うほど味わった敗北感(マイナス)勇気(プラス)に変える術…。

 

この廃虚病院に集結した偶然と軌跡こそが、今、篤の中で何かを伝えていた。

 

 

 

------------------Final chapter

 

 

飛び掛る火の粉が舞う1階のバリケード。

半田を引きずりながら篤は、かろうじて潜り抜けた。

熱く、はかなく燃えてゆく廃虚病院。

 

振り返り、燃え盛る炎を見上げる篤は、半田とともに地面に大きく倒れこんだ。

なだらかな傾斜面に、逆らうようにして停められた唐橋の(セダン)の陰に身を隠した。

 

まるで魔法がかけられたかのように燃え広がる病棟。

 

これで終われる。

夜明けが来る…。

 

しかし、次の瞬間、篤の視界に飛び込んできたそれは、終わりを告げる(カーテン)ではなかった。

 

オレンジに焼ける廃虚病院。

火葬場の煙突を連想させる高い階段に煙る黒煙。

その螺旋階段から、吐き出された、蠢く宏美の姿を篤は捉えた。

 

「半田、ちょっと待ってろよ」

 

半田はもちろん、麻帆のことも気になるが、宏美をこのまま見逃がす訳には行かない。

そっと半田の肩から腕を抜いた。

うつぶせになって、膝に力を込める。

もう一度立ち上がるために。

 

血だらけの手のひらが、泥にまみれた砂利を握り締めた。

 

「くっ…」

 

それが篤の限界であった。

歩けないはずの左足は、とうに限界を超えた働きを終えていた。

その非力な左足を支えた右足さえ、ついには限界に到達した。

 

炎の中から飛び出したシルエットは、やがて地上に降り立ち、真っ直ぐに篤に向かって大きくなっていった。

勝負にはならないだろう。

それでも、決して目はそらさない。

ぷるぷると震える両腕の筋肉が、四つんばいになった篤を支えている。

立ち上がることもままならない篤に、更に宏美は近づく。

近づく…。

 

篤は、最後の力を振り絞って、宏美に飛び掛った。

 

篤の指先は、宏美の靴に手が触れたが、空を掴んでそのまま倒れこんだ。

軽やかに走り抜ける宏美。

宏美の視界には、篤が映っていなかったのか?

 

宏美は、セダンのドアに手を掛けた。

乗り込み、ドアを閉めて密室になったとたん、自らの衣服から発する異臭を察した。

キーを捻り、エンジンをかける。

それと同時に運転席のパワーウインドウを下ろした。

 

ガソリン?

灯油?

むせ返るような油の匂いが宏美を包んだ。

 

 

「逃げるなよ、オレ、もう立てねぇんだから」

篤は膝を持ち上げた。

立ち去ろうとする宏美を前にして、戦う術は何もない。

 

「諦めるなよ、篤」

 

半田の声が聞こえた。

 

「篤君、頑張って」

 

麻帆の声までもが耳の奥で響いた。

 

篤は、開いた窓に向かって、ポケットから出したジッポーを夢中で投げ込んだ。

 

 

宏美の身体は、一瞬にして炎に包まれた。

半ドアに中途半端に閉じたドアは、開くことなく唐橋のセルシオは、その先の爆発まで、宏美を導いて走った。

 

ドーーーーーン!!!!!

 

その爆音が耳に届いた瞬間に、篤の意識が力尽きて途絶えた。

 

 

-------------------A sad notice

 

 

篤が目を覚ましたのは、翌日のことだった。

入院中ということもあり、M中央病院に搬送されていた。

 

「ここは…」

 

深夜であった。

見慣れた病室内。

廃虚病院で起こった全てが夢であったのではないか?と錯覚するほどにそれは、ごく日常的な景色であった。

しかし、体中の裂けるような痛みが、夢でなかったことを教えてくれる。

 

麻帆さんは?

半田はどうした?唐橋先生は??

 

無造作に手を伸ばして、酸素マスクを剥ぎ取った。

半身を起こし、ベッドから這い出すことも考えたが、右腕に突き刺さった点滴の針に気づき、そっと指を伸ばしてナースコールボタンを押した。

運良く、深夜勤でコールに応対したのは、主任看護婦の北村であった。

 

「どうされました?」

 

無機質な言葉が、スピーカーの奥で震えていた。

やがてナースシューズを擦りながら、足早に篤の元へ駆けつけた北村が現れた。

 

枕もとの蛍光灯が点けられた。

北村は、篤の腕を取ると、腕時計を見ながら脈拍数を数えた。

その表情を押し殺したような顔色にも、隠し切れない困惑と焦りが滲むのを、篤は読み取っていた。

 

「北村さん、教えてください。小西さんは?半田は?先生は?」

 

篤は、顔を歪めながら起き上がり、北村を見つめた。

 

「三原さん、今回は大変だったわね。大丈夫、小西さんは一命を取りとめたわ。唐橋先生も、昨日手術を終えて今、ICUにいらっしゃる。大丈夫よ」

「半田…半田は?」

 

北村は視線を落とし、首を横に振った。

 

「半田…」

 

篤の腕には、まだ半田の肩を支えた感触が残っていた。

夢から覚めたように、急速に冷えていく残像。

 

「半田さんは立派でしたよ。発見された時は、もう亡くなっていたけれど、彼が救援を呼んだからこそ、皆さんが助かったのですから」

「半田が救援を呼んだ?」

「ええ。半田君に呼ばれた警備会社の方が、消防と警察に通報してくれたそうです。半田さんは、ほぼ即死だったというのに、亡くなる前に携帯電話から…」

「携帯?圏外の廃虚で携帯?」

「病院という場所は不思議な場所ですからね。私は半田さんの強い想いが電波を繋いだと思いますよ。奇跡でしょうね」

 

北村は、かつての同僚の死を悼み、涙ながらに語った。

 

即死??

半田が死んだ??

いつ?オレは半田の遺体を抱えて走ったというのか?

手術室で半田がオレに言ったアリガトウは、幻だったというのか?

 

 

「山下宏美さんも生きてここへ運ばれました。しかし、夕方、苦しみながら亡くなりました。死んでも償えない大きな罪を犯したのですから、当然なのかもしれませんが、目の前で命の灯火が消えてゆくというのは、悲しいものです」

 

北村にとって山下宏美もまた、同僚であったのだ。

 

「麻帆…小西さんは?」

 

「彼女も重症です。幸い、意識はしっかりしていますが、酷い創傷と骨折のため動けません。非常階段から飛び降りたそうですが、木立に受け止められて助かったそうです」

「そうですか…よかった」

 

あの高さから転落したのに無事であったのは、不幸中の幸いであろう。

しかし、それでも篤は、麻帆に対して申し訳ない気持ちでいっぱいであった。

 

「明日、彼女には会えますか?」

「そうですね、相談してみます」

 

「先生は?」

「唐橋先生?」

 

北村は、何かを思い出すように瞳を閉じてから、ゆっくりと篤を見つめた。

 

「それにしても、唐橋先生には驚かされました」

「唐橋先生ったら、自分も重症だというのに、起き上がり、救急処置室で山下さんに詰め寄ったのですから…。本当に、凄まじい気迫でした」

 

「炭化した山下さんの身体を揺すり、涙を流しながら…」

 

北村は言葉に詰まった。

 

「三原さんの安否も気遣ってらっしゃいました」

 

「そうですか。オレ…僕は大丈夫だと伝えてください」

 

「この町始まって以来の大事件ですし、芸能人である三原さんも関わっていると知れて、テレビや新聞記者が押し寄せ、かなりの騒ぎになっています。明日にでも事務所の方がみえると思いますが、お気をつけ下さい」

 

付け加えられた最後の一言が、篤に重くのしかかっていた。

芸能界。

マスコミ…。

 

北村が去った後も、篤は起き上がったまま眠ることはなかった。

 

 

 

-------------------The hidden thought

 

 

麻帆は大きなシーネで右足全体を固定され、さらに左腕は大きなギプスで固められていた。

打撲や擦過傷が多数あるものの、螺旋階段から転落したことを思えば軽症であった。

それでも、包帯だらけでベッドに固定された姿は、ミイラのようであり痛々しく見えない筈はない。

静か過ぎる真夜中の病棟。

狭い個室で一人きり、事件の事を考えていた。

 

山下に責められ、篤、半田、唐橋の3人の男たちに守られ思われた自分は、女として最高に幸せな経験をしたのだろう。

 

そっと健康な右手で、胸元に折れ曲がる左腕のギプスに触れてみた。

少し懐かしいザラザラとした感触。

首を持ち上げて、挙上された包帯で包まれた足に視線を移した。

大きなシーネの板から僅か除く足先。

真っ白い包帯に包まれ固定されたそれは、寝返りひとつ打つことはできない。

 

麻帆は足を動かしてみようと、そっと力を入れてみた。

 

ズキン

 

「ああっ」

 

突き刺されるような、鋭い痛みが全身を駆け抜けた。

と同時に、下半身に甘いうねるような心地よい甘味な感覚が走った。

恐る恐るヴァギナに指を伸ばすと、ねっとりとした雫が溢れ出し、更なる快感を求めて腰が激しく疼いた。

 

ああ、そんな…はしたないわ…私…。

強い痛みに感じているの?それともギプスに包まれたかわいそうな自分の姿に?

 

麻帆は新しく生まれた喜びに驚きを隠せずにいた。

 

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