第20話


「雛、今日もイイ天気だぞ。」

そう言って病室のカーテンを開けたのは、遠藤伊織だった。

大きな窓からは、光がまぶしいほどに入ってきて、

雛の茶色い髪を、ますます茶色に見せた。

「雛・・お前の誕生日もうすぐだろ。」

雛からの返事はなく、点滴の音と小鳥の囀りだけが耳に届く。

「・・早く目ぇ覚ませよ・・。」

遠藤伊織は、雛の手をぎゅっと握り、一滴の涙を流した。




半年前。

屋上から飛び降りた二人は、運良く木の上におちた。

下に並んでいた木がクッションの役目をはたしたおかげで、二人とも、一命はとりとめた。

ただ、不思議なことがあった。

雛も、遠藤伊織も、同じような木の上に、同じようなスピードで落ちたのに、

遠藤伊織の怪我は、雛に比べればあまり大したことが無かったのだ。

これには、医者も何ともいえないらしく、ただ「不思議だ」と繰り返すばかりだった。



雛は、後頭部を強く打ったらしく、未だ意識がハッキリしない。

ハッキリしない、というか、意識がないのだ。

遠藤伊織のほうは、腕や足に大怪我をしたものの、

頭のほうは全然大丈夫だったので、すぐに意識が回復した。

怪我も、普通の人より回復が早く、今ではほぼ完治している。


証拠も根拠もないけれど、間違いない。

雛が遠藤伊織を守ったのだ。

これは、研究とかで答えが出るようなことじゃなくて、

きっと、大昔からソンザイする、人間の本能からくるチカラなのだとあたしは思う。




「琳、もう行くの?」

「うん。っていうか、もう3時だし。」

「そうね。雛に早く起きろって言っておいてね。」

「クスクス・・わかった。」

あたしは、雛が入院してすぐに高校を辞めた。

高校へ行っても、同じような毎日の繰り返しで、あまり意味がないと感じたからだ。

お父さんもお母さんも、佐久間くんも、反対はしなかった。

そして、今は、フリマでアクセサリーを売ったり、

夜間のコンビニのバイトをしたりという、のんびりとした生活を送っている。


病院についたのは、午後4時すぎだった。

雛の病室のドアを、コンコンコンと3回たたいた。

すると、中から「はい。」という遠藤伊織の声がきこえた。

ドアを開けると、遠藤伊織は、花瓶に新しい花を入れているところだった。

「・・いつもアリガトね。」

「べつに、感謝されるようなことしてないよ。」

「・・・。」

「さっき、雛の手をにぎってたら、少し握り返してきたんだ。」

彼は、嬉しそうに笑ってそう言った。

「本当?」

「それも、前よりも強い力で。」

「意識が戻ってきてるんだね!嬉しい。」

あたしは、雛の頬に手を当てた。

「ねぇ雛。もうすぐあんた16よ?

 早く目ぇ覚まさないと、誕生日プレゼント買ってあげないよ!」

かるく頬をつねった。

「そうだぞ雛。寝たままだったら、俺も買ってやんねーからな。」

遠藤伊織は、雛のサラサラの髪を撫でた。


あたしは、3ヶ月前のある日のことを思い出していた。




雪混じりの雨が降っていて、とても寒い日だった。

そのとき、すでに遠藤伊織は、腕は完治していて、

右足の複雑骨折が完治すれば退院できる、という状態だった。

あたしは、いつものように、雛の病室を出て、

隣の遠藤伊織の病室をノックした。

何回かノックしたが、返事が返ってこないので、

「入るよー。」と言い、ドアを開けた。

そこで、あたしが目にしたものは・・・。

「な・・何してるの!?」

あたしは、思わず手にもっていたバッグを床に落とした。

彼は、歯を4cmほど出したカッターを右手に持って、

自分の左手の手首を、今にも切りつけようとしていたのだ。

あたしは、急いで走っていき、遠藤伊織の手からカッターを奪った。

「何やってんのよ!!」

遠藤伊織は、暗い顔をして下を向いた。

「・・にやってんのよ・・。」

あたしの声は震えていた。

「・・なが、雛が言ったんだ・・・。」

あたしは、その声にハッとして、顔を上げた。

遠藤伊織は・・泣いていた。

「あいつ、天国でみつけてって、そう言ってた・・。

 だから・・俺は、みつけてやらなきゃいけないんだ・・。」

「雛は・・雛はまだ生きてるのよ!!

 あんた一人で天国行ったってねえ、雛はココにいるの!

 天国で雛を見つけられるわけないじゃない!」

あたしは、ハァハァと息を切らしていた。

「どうせ、もう目覚めないんだろ?」

遠藤伊織は、あたしの目をキッとみつめ、責めるように吐き捨てた。

バシンッ

すごい音が、病室に響いた。

言葉よりも何よりも先に、手が出てしまった。

「いてぇ・・女に殴られたのは・・初めてだ。」

あたしの目には、たくさんの涙がたまっていて、

目の前にいる遠藤伊織の姿まで、潤んで見えていた。

「・・んたが、あんたがあきらめてどうすんのよ。

 あんたが諦めてたら、目覚めるもんも目覚めないってのよ。

 いいかげんにしなさいよ。雛をもっと信じてあげてよォ!!」

あたしは、彼の肩をつかんで、前後に揺らした。

今、ここにいるのは、あたしより年下の、弱い少年なんだ。

そんなことは判ってる。判ってるけど・・。

「雛は、あんたのことがすきよ。本当にすきなのよ。

 いつでもどこでもあんたと一緒じゃなくちゃだめなの。

 だから・・あんたがココにいる限り、雛は死なない。

 あんたが天国に行っちゃったら、雛も天国に行くだろうし、

 あんたが地獄に行っちゃったら、雛だって地獄へ向かうの。」

あたしの言ってることはメチャクチャだ。

理論も根拠も何もあったもんじゃない。

それでも・・それでも、本気でそう思うから。

雛の、遠藤伊織に対する愛ほど強いものはないと思うから。

「お願いだから・・雛が目を覚ますことを祈ってあげて・・。

 ねぇ・・お願い・・。もう、死のうなんて思わないで・・。」

遠藤伊織は、あたしの腕を掴んで、顔を胸にうずめて、

大声を出して泣いた。




「・・やね、亜矢音!」

遠藤伊織の声で、あたしは現実に戻った。

「あ、ごめん・・ぼーっとしてた。」

「まァたヤラシィことでも考えてたんだろ?」

遠藤伊織は、イヤミに笑った。

「な・・何よバカ!最近まで義務教育だったくせに!」

「義務教育はカンケーねえだろ。」

また、ニッコリと笑う。

・・・よく、ここまで立ち直ったなぁ・・。

3ヶ月前までは、本当に凹んでて、あたしと出会ったころとは

まるで別人て感じだったから、こんな元通りになっちゃうなんて、

ちょっと信じられないくらいだ。

もしかしたら、雛がまた彼を救ったのかもね。


「・・もう5時じゃん!あたし帰らなきゃ。」

やばーい・・佐久間くんに何か作ってあげようと思ってたのに・・。

「おう、わかった。じゃあな。」

「ばいばい。」

そう言って、病室のドアを空けようとした瞬間・・

「ん・・。」

かすかな声がして、あたしは立ち止まった。

・・・え?

「・・・うん・・。」

また、同じ声。

あたしは、恐る恐る、後ろを振り返った。

「ひ・・な・・?」

遠藤伊織は、雛の手を握ったまま、硬直していた。

「今の声・・雛の声だよね?」

遠藤伊織は、ただ、コクンとうなづく。

「雛・・しゃべった?」

「うん・・。」

「う、うそぉ・・雛・・雛ァ!」

「雛!起きろ!雛!!」

あたしたちは、必死で雛の名前を呼び、手を握った。

しかし、何回やっても、さっきのような反応はなかった。


「はぁ・・だめかぁ・・。」

「でも、確かに声をだしたよな?」

「うん!絶対雛の声だよ!」

「よかった・・本当に、もうすぐ目がさめるんじゃねえか?」

「・・うん、うん!」

「雛ァ・・早く目え覚ませよ?」

遠藤伊織は、また雛の手を強く握った。

彼の、雛を見るときの視線は、とても暖かい。

安心して、雛のことをまかせたくなるくらい、愛情に満ちていると思う。

「そ、それじゃ、かえるね。」

「おう。」

「ばいばい。」

半年振りに雛の声を聞いて、あたしは喜んでいた。

うれしくて、うれしくて、電車に乗る前に、

佐久間くんやお父さん、お母さんに、雛が喋ったことを電話で伝えた。




佐久間くんの部屋へ行ってすぐ、あたしは肉じゃがを作り始めた。

「肉じゃがかぁ。冬の夕食ってカンジだなあ。

 なんか手伝うことある?」

佐久間くんが、隣に立って、そう行った。

「ううん。ビールでも飲んでゆっくり待ってて。」

「あー。肉じゃがも琳も早く食いてー!」

「ばーか。」

彼の小さなキッチンで、慣れない手つきで何かを作りながら、

他愛も無い会話をいっぱいする。

これが、今のあたしにとっていちばんのしあわせだった。


だけど・・本当は、もっと大きな夢があるの。

まだ誰にも言ってない。あたしだけの秘密。

『佐久間くんと一緒に暮らしたい』



ゴハンを食べ終わって、食器をぜんぶ片してから、

ソファーでくつろぐ彼の隣に座った。

「ねーえ。」

「何だ?」

「1ヶ月10万で、暮らしていける?」

「大丈夫だとおもう。」

10万とは言ってみたものの、

バイト代は、1ヶ月7万しか入らない。

「・・じゃあ、7万は?」

「んー・・ちょっとイタイかな?家賃あるし。」

「家賃はヌキで!」

「・・それだったら5万で大丈夫なんじゃねえの?」

「ホント!?」

「なんで急にそんなこと聞くんだ?」

あたしは、少し恥ずかしくなった。

どうしよう・・言うべきだよね・・。

「あ、あのね・・。」

「ん?」

あたしの目を覗き込むように見られる。

あー、余計言いにくいよ・・。

「あの・・あたし・・。」

「・・?」

「あたしさ・・。」

・・だめだ。やっぱり言えない。

ココに住みたい、だなんて・・あてつけがましいよね。

どうしよう・・。

「家を出たいのか?」

「え!」

「違うんならいいけど・・。」

「あ、いや・・うん。」

よく判らない返事をしてしまった。

すると佐久間くんは、いつもの笑顔で言った。

「・・ココに住むか?」

「へ?」

思いがけない言葉に、あたしは動揺してしまった。

だって、あたしが今言おうとしていた言葉を、

そっくりそのまま返されたようなカンジで・・。

「や、イヤならいいけど。」

ちょっとだけ頬が赤くなる彼を見て、あたしは思わず吹き出した。

「クスクス・・。」

「笑うなよ、もー。」

「佐久間くんだって笑ってるじゃない。」

「ははは・・。」

「・・いいの?」

「・・いいよ。」

「・・ほんと?」

「・・ほんと。」

「・・迷惑じゃない?」

「・・迷惑じゃない。」

「・・ほんと?」

あたしが、もう一度そう訊くと、彼はキスをして言った。

「・・ほんと。」

あたしは、嬉しくて、胸がいっぱいで、それだけで満足だった。

顔を見合わせては笑って、また笑って、小さなこどもみたいにはしゃいでしまった。





それから、2週間後。

雛の、16歳の誕生日。

あたしが佐久間くんの家へ行く日。


「ほんとに、何にもできない子で・・。お世話になります。」

「掃除、洗濯、料理くらいはできますので、よろしくお願いします。」

お父さんもお母さんも、佐久間くんに深々とお辞儀をした。

「いえ・・そんな・・。」

返答に困る佐久間くん。

「もう、二人とも。嫁入りじゃないんだから!

 大げさなのよ。こんなに近いのに。まったく・・。」

そんなことを言いながら、いちばんドキドキしているのはあたしだった。

あぁ・・あたしってば、ちゃんと家事できるのかな?

肉じゃがとハンバーグとカレーしか作れないんじゃ・・・。

「琳まで固くなってどうすんだ。」

佐久間くんは、笑って、あたしの頭に手を乗せた。

「肉じゃがとハンバーグとカレーだけで十分?」

「十分十分。」

彼は、ニッコリと笑った。


「それじゃ、今までお世話になりましたー。」

あたしは、いちおうお父さんとお母さんに深くお辞儀をして、

佐久間くんと手を繋いで歩いていった。



「それにしても、スゴイよな。」

「え?何が?」

「同棲したいって言って、即OKって・・。」

「変な親よねー。」

「大事な長女なのになあ?」

「佐久間くんだから安心してるんでショ、どうせ。」

「それならいいけどなあ。」

「クスクス・・。」

「あ、それと。」

「ん?」

「肉じゃがとハンバーグとカレーだけじゃ不満。」

「えぇえ!あたし何にも作れない・・。」

「はは。作らなくていいよ。」

「え?なんで?」

「肉じゃがとハンバーグとカレーと琳で、俺はお腹いっぱいだから。」

「もー、エッチ!」

「はははは。」


佐久間くんと、こんなことを言い合える日が来るなんて、思ってもいなかった。

あたしは、肉じゃがもハンバーグもカレーもいらない。

佐久間くんが隣に居てくれるだけで、お腹いっぱいになる。

そう言おうとしたけど、はずかしいからやめた。



♪チャララ・・・

ケータイの着メロが鳴った。かけてきたのは、遠藤伊織だった。

「・・もしもし?」

『あ、亜矢音!今すぐ病院来てくれ!』

遠藤伊織は、とても息が荒くて、すごく驚いているような口調だった。

「え?何?雛がどうかしたの!?」

あたしは、心配になって、訊いた。

「え?どうしたんだ?」

佐久間くんが、聞いてくる。

『雛が、目を覚ましたんだ!』

「うそ・・。」

『うそじゃねえよ!ちゃんと、意識があるんだ。』

「うそ・・でしょォ・・?」

「琳、どうしたんだ??」

もう、何も考えることが出来ず、

あたしは佐久間くんにケータイを渡してしゃがみこんでしまった。

『もしもし?亜矢音?聞いてるか?』

「もしもし。」

『どうもはじめまして・・?』

「雛がどうかしたのか?」

『あ、雛が目を覚ましました。』

「え・・。本当に?」

『本当です!今すぐ病院に来てくれませんか?』

「今すぐ行くから、そこで待ってろ!」

佐久間くんは、電話を切って、あたしの右手を繋いだ。

「え・・、え?どうするの?」

「決まってるだろ、病院行くんだよ。」

「え・・だって荷物・・。」

「そんなのあとでいいから!!」

あたしは、混乱と動揺で訳がわからなくなってしまっていた。

だって、誰もが一度は諦めかけたのに・・雛が・・。



重たい荷物を持ちながら、あたしたちは病院へ着いた。

あたしたち二人は、急いで雛の病室まで走った。

そして、病室の前で・・。

緊張して、手に力が入らない。

ドアを開けられない・・。

どうしよう・・。

「琳、おちついて。」

「うん・・。」

ゆっくり、ゆっくり、あたしはドアをあけた。

いつもと変わらない光景・・。

違うのは、雛が起き上がっていること。

一歩一歩、ゆっくりと近づいていく。

そして・・、雛の顔に、手を触れられるくらいの距離まできたとき・・。

「琳ちゃん・・。」

「雛・・。」

「琳ちゃんだ・・おはよ・・。」

前と変わらない、日常の一コマにありそうなそのセリフが、

どんなにあたしの胸に響いたかは、誰にもわからないだろう。

あたしは、雛の肩を抱いて、泣いてしまった。

いつのまにか、お父さんやお母さんも来ていた。

みんな、目に涙をためながら、笑顔になっていた。




柳坂駅の南口を出て、重い荷物を持ちながら、

あたしと佐久間くんは手を繋いで歩いていた。

「ねえ。」

「ん?」

「こんなに、いいことばっかり続いていいのかなあ・・。」

「なんで?」

「わかんないけど・・。不安になってくるよ。」

あたしがそう言うと、彼は、ぎゅっとあたしを抱きしめた。

「佐久間くん・・。」

「不安になんてなることはないよ。

 今、こんなにしあわせでいられるのは、

 いくつもの悲しいことを乗り越えてきたからなんだ。

 ずっとしあわせが続くと思って生きてればいいんだ。」

「うん・・うん。そうだよね。それでいいんだよね。」




あたしは、7歳のとき、誘拐事件に巻き込まれてから、

正常な左目と大切な妹を失い、笑顔さえも失いかけた。

そんなあたしに、佐久間くんは、光を与えてくれたのだ。


彼のくれた小さな光は、あたしの瞳の奥で、しっかり輝いている。


あたしの左目に大きな傷をつけて、

もう何も見えなくしてしまった運命の神様へ。

佐久間くんと出会わせてくれて、ありがとう。


あたしは今日も、『しあわせ』を吸って生きてゆきます。



おしまい。