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Sorry Japanese only


スコリオーゼ女学院10/25 UP
一八八○年四月。 イングランド東部の深い森にかこまれたポルスター伯爵邸の一室で、アンはいつもよりも少し早く眼をさました。
昨夜は、伯爵家の一人娘、アンの十八回目 の誕生日を祝うパーティが邸の願間て夜おそくまで盛大にひらかれていた。

そして明日はいよいよパリへ勉強のために出発しなければならない。

アンはサィドテーブルの鈴を鳴らすと立ちあがって窓をあけた。 庭園のみずみずしい緑がしみいるように眼に映る。 「おはようございます。昨夜のおつかれはおとれになりましたか」 小間使のマリーがアンの部屋着を持ってあらわれた。

「とてもいい気持。叔父様はもうお目ざめになって?」 アンの両親は数年前にこの世を去った。

今では叔父のジェームス・ボルスター伯爵だけがただ一人の親族である。「はい、さきほど。ただ今ば書斎でパリの先生とお話をしていらっしゃいます」 「ああ、私の先生。明日は出発ね。今日は忙しいでしょう。

早く朝のお支度をさせてちょうだい」 マリーは手ぎわよくアンマリーは手ぎわよくアンの肌着を着かえさせ・ピンクのサテン地で張った娘らしいコ ルセットを持ってアンの背後にまわった。 「今日はいつもよりきつく締めていいわ。

パリてはお行儀がとてもきびしいそうだから、コルセットをきちん とつけていないと先生におこられるわね。きっと」 「はい」 マリ−はコルセットの締め紐を思いきり引き絞る。 「お前とも当分、お別れだわね。

一諸に連れていけるといいんだけど。叔父様にもう一度お願いしてみようか しら」 「ありがとうございます。でもお許しはいただけません」 「どうして?」 マリーの両眼には涙がいっぱいあふれている。 「どうしたの? 一緒に行けないとしたって又すぐに帰ってくるわ」 「いいえ、姫様がおきのどくだ……」 「おかしなマリーね。

私達が年ごろになってパリへ勉強に行くのはすこしも珍らしいことでほないわ。今まで は家庭教師に教えてもらっていたけど、こんどは立派な学校で寄宿舎にはいってみんなと一緒に勉強するのよ。パリには従妹のエリザべスもいるし、私はすこしも淋しくなんかないと思うわ」 「その学校のことでございます。アン姫様は本当に何もごぞんじないのですか」 「学校? スコリォーゼ女学院というのよ、スコリオーゼってどういう意味だか知らないけど、ドィツ語のよ うだからドイツのえらい先生がパリにつくった学校じゃないかしら。

なんでもヨーロッパのいろいろな国から貴族やお金持の娘ばかり五十人も集まって勉強しているんですって」 「そのスコリオーゼでございます。伯爵様は姫様に何もおっしゃらないのですね」 「お前は何か知っているの?」 「はい、みんな私が悪いのでございます。どうぞ、姫様お気のすむように罰してくださいませ。皮の鞭でも何でもお受けいたします」 アンはマリ−の手をとって、ソファに坐らせてやった。 「さあ、おはなし」 「1カ月ほど前でございます。私が浴槽で姫様のおからだをおながし申しました。

その時姫様のおせなかがすこし曲がっているように思えたのです」 「ああ、おぽえているわ。お前が、側弯症じゃないか、なんて一言って」 「はい。あの時はすぐに私の眼のあやまりだということがわかりました。姫様がおからだを横に曲げて坐っていらしたのです」 「そうだったわね」 「私はそのことをあとで召使い仲間に話しました・なにげない話のつもりだったのです。 でも、そのことが伯爵様のお耳にはいりました。

そして、先月、ヨアヒム先生が姫様のおからだを診察なさったのです」 「でもヨアヒム先生にはよく診察していただくわ。一年に何度もよ。あの時だって、そう一言えばせなかを丹念に診てらしたけど何もおっしやらなかった……」 「私は昨夜、伯爵様付きのバーバラから聞いたのです

パ−バラは伯爵様とヨアヒム先生のお話を立ち聞きしたとかで……。アン姫様は側弯症なのだそうでございます。スコリオーゼとはドイツ語で背椎側弯症のことで、パ リの学校は側弯症を治療しながら勉強も教える特別な学校だそうでございます」 「まあ、ても、叔父様はどうして話してくださらないのかしら」 「はい、バーバラも立ち聞きを見つかってひどく叱られたうえに、固く口留めをされたということです」 アンの胸は早鎧のように鳴った。

思ってもみなかったことだ。この私が側弯症−あのいまわしい、恐ろしい病気。背骨が次第に曲がっていって、成長するにつれてますますひどくなって、ついにはせむしになってしまう病気。しかも、今だに原因が不明とか。 「大丈夫よ。そんなに心配することないわ」 「私が悪いんです…・:」 マリーはポロポロ大粒の涙をこぼし、大声をあげて泣きじゃくっている。 「私が悪いんです。

私がよけいなお喋りをしたぱかりに、ヨアヒム先生の誤診にきまっています。 姫様みたいにおきれいなからだをした方が側弯症だなんて、うそにきまっています。姫様のおせなかはちっとも曲がってなんかいません。うそです……」 「ありがとう。パリへ行って診てもらえぱわかることだわ。誤診だったらすぐにかえってくるから」 でも、どうしてジェームス叔父はアンに病気のことを話してくれなかったのだろう。

いやな話だから、というだけの理由で話をするのを避けたのだろうか。アンが泣き叫ぶのを見るのがつらいからといったそんな理由で。アンにはよくわからなかった。 ただ、ジェームス叔父は、亡くなった父とは兄弟のはずなのに性格が全く逆で、何か影のある暗い感じの男なのだ。アンも何げない会話のあいまに、ヒヤリとする氷のような、冷いものを何度か感じたことがあった。「いいわよ。聞かなかったことにしといてあげるわ。お前やバ−バラが叔父様から鞭をいただいたりしたらかわいそうだから。それにもし、ヨアヒム先生の診断の通りだったら、私も早く病気をなおしたほうがいいわ。いずれにしてもまだ初期でしょう」 アンは無理に笑顔をつくって見せた。

「でも、姫様、側弯症の治療法はそれは恐ろしいものだそうでございます。コルセットや ギプスや……」 「コルセットなら今でもはめているわ」 「そんな、そんなものじゃないのです。もっと大きくて固くて重くて、それはとても…」 「大丈夫よ。パリに着いたらすぐに手紙をあげるからね」 翌日、アンは伯爵家の四輪馬車で一人パリへ向かった。 叔父のジェームスは玄関まで見送ってくれた。しかし、アンのからだのことについては ひと言も喋らなかった。 絹のような雨の降る、暗い日だった。

二 スコリオーゼ女学院はパリの郊外、馬車で三十分程の小さな森の中にあった。 灰色の石のへいを高くめぐらした広大な建物である。 鉄の門がゆっくりとひらかれ、馬車が前庭に入った時、アンはこの冷い石のへいにへだ てられた一角のなかで、何か想像もできないことが行なわれているようだ、と直感的に判断した。 おそらく昔は個人の邸宅であったろうと思われるその建物は、主るで全体が海の低に沈 んでいるかのように深く静まりかえって、女学院というような華やいだかんじはどこにも 見当らない。

案内を乞うと、アンは直ちに応接室へとおされた。やがて室にあらわれたのは、白髪の いくらかまじった五十年配の婦人である。 「シュミット・オルガ・シュミット。この学院の院長です」 ほほ骨の出た、いかつい感じの老婦人である。名前を聞く前から、アンは、ドイツ人だ な、と思った。 「こちらはシュトロハィム博士。ここの生徒の治療のほうを担当しています。博士はスコ リオーゼ治療の世界的な権威です」 診察もしないで女院長はアンを病人ときめてしまっているらしい。 「レディ・アン。ここではあなたをこう呼ぶことにしまししょ

。あなたはこの女学院へス コリオ−ゼの治療と勉強のためにいらっしゃった。ここの設備はあなたに充分満足してい ただけると思います。今日から入学するあなたに、まず、一つだけ約束していただくこと があります。それはここの女学院の規律、規則は絶対に守っていただく、ということ。

ス コリオーゼの治療は、なれるまでほんのすこし苦しいことがあるかも知れません。だから こそ、生徒全員がお互いに規律を守って勉強し、治療をしていかなければならないのです。 いいですか、レディ・アン。ここには公爵のお姫様も世界一のお金持の令嬢もいらっしゃ います。しかし、治療中には、あなたの伯爵令嬢という身分も忘れていただきます」 アンは思いきって口をひらいた。

「あの、最初に私のからだを充分に診ていただけませんか。本当に病気かどうか……」 「もちろんですとも。充分に調ぺますよ」 今度はシュトロハイム博士が答えた。 あから顔の、でっぷりと肥って、すっかり禿げあがった大男である。 「レディ・アン、心配することはありませんよ。スコリオーゼは非常に多い病気だ。このヨ−ロッパにも何万人、いや何十万人いるかわからないくらいだ。

殊に、レディのような 上流階級のお嬢さんに大変多い病気でね。 最近は沿療方法も進歩しているから安心して私にまかせなさい。 ここに二、三年いれぱ必ずよくなりますよ」 アンは寄宿舎に案内された。 壁を白くぬった、清潔な、しかしいかにも病院といった部屋である。

三人で一部屋を使 い、部屋ごとに女中が一人つく、ということだ。 鉄製の粗末な寝台が三台置かれているだけでほとんど調度らしいものもない。 アンの部屋の仲間はフランス娘のミーナとドイツ娘リザ−、二人とも勉強に行っている らしかった。部屋の女中はヒルダ。ついこの間まではどこかの農婦だったのだろう。いか にも力の強そうな女だ。 アンはヒルダに手伝わせて荷物を解きにかかった。 「まあ、見事なレースだね。

でも、これはここじゃいらないね」 ヒルダは不作法にアンの衣裳を見て笑う。 「でも、それ、ネグリジェでしょう。今夜かう、使うのよ」 「ふん。今夜ね。でもここにはここの制服がありますからね。それにあんたもいずれギブスをはめるんだ。そうしたらこんなもの着ら れるわけがないだろ」 ヒルダはアンのからだに手をのぱすと衣服をぬがせにかかった。 「ふん、かわいらしいコルセットをして。こんなものもここじゃいらないんだよ」 はぎ取るようにしてアンの衣類をすべてぬがしてしまうと、小さく丸めた布地をポンと 放ってよこした。



白地に太く紺のしまを染めた目の荒いゴワゴワした布である。 「それが制服だよ。早く清なさい」 アンは手に取って拡げてみた。奇妙な型をした、制服とはとても考えられないしろもの である。 肩からエプロンのようにかけて、やっとからだの前面をおおい、両腕を袖にとおすと、 せなかに三つほどついたホックで留める、ただそれだけのものである。 「あの、これを?」 アンは泣きそうになった。 「制服だよ。ここの」 「いやです、私はこんなものいやです」 「いや? だけど規則だね。お前さんはここの生徒でしかも患者なんだからね。

それとも 規則を守らないつもりかい」 「規則、じゃ他の皆さんもみんなこれを・…」 「当りまえさ、世話をやかせずに早く着るんだよ。」 アンはしかたないと思った。すぐに叔父へ手紙を出そう。病院を代えてもらおう。 「じゃ、肌着を取ってください」 「肌着? 何を言っているんだい。ここでは患者は肌着は許されていないんだよ。お前さ んは今、そのために裸になったんじゃないか。

じかにその制服を着るのさ」 「これ、これだけですか」 「先生がたがいつでも患者のせなかをすぐにみられるようにしておくのさ。その制服は便 利にできているんだよ。ホックをちょっとはずせぱすぐせなかが出てくるのさ」 アンはおずおずと制服を肌につけてみた。 荒い布地がアンの柔らかい皮ふをかむ。 「あの……」 アンは制服のスカートの部分を要求した。 制服の丈は恐ろしく短かく、やっとももの上部がかくれるくらいしかなかったのだ。

「スカート? そんなものはないよ。制服はそれだけさ」 「でも、これじゃあんまりひどすぎます」 アンはほほを真赤にして、せいいっぱい抗議した。 「なにを言っているんだね。今にお前さんはギプスを巻く。そうしたら、下の始末も自分 の手ではできなくなるんだよ。その時、私達が面倒でないように、制服は最初から短かく してあるのさ」 アンは気が遠くなりそうだった。 「寒くはないはずだよ。

この邸は暖房には充分に気をつかってあるんだから」 たしかに、全く裸に近い格好にもかかわらず寒くはなかった。しかし、昨日までは想像 もできなかったみじめな姿である。 「さあ、お前さんの仲間を見にいこう」 アンはだまってあとにしたがった。 三 薄暗い廊下をいくつも曲がって、ヒルダが立ちどまったのは「体操窒」と書かれた一扉の 前である。 ヒルダのうしろからこわごわ部屋の中をのぞいて、アンは息をのんだ。

鏡のようにみがかれた床の上を白いからだがはい廻っている。アンよりもずっと若い少 女が五人、一列にならんで大きな円をえがきながら床の上をはっているのだ。 彼女たちの唯一の着衣である制服は部屋の隅へひとまとめにぬぎ捨ててあった。 あさましい姿のまま、少女たちはけもののように、四つんばいになって、ぐるぐる廻っ ている。もうずいぷん長時間続けているのだろう。

少女の顔は上気し、呼吸も荒く乱れている。 体操はいつ果てるともなく続く。恐らく、輪の外に長い棒をかまえて立っている女教師 の許しがあるまでみだりに止めることはできないのだろう。 少女たちは手のひらと膝に、皮のスリッパのようなものをくくりつけている。

「あなたもやりますか?」 アンを見つけて、中年の女教師が近づいてきた。手に皮のスリッパを持っている。 「いえ、あの……私はまだ診察が……」 「そう。

こわがらなくてもいいのよ。これはせなかの筋肉を強くするための体操です。病 気が初期の、年も若い患者に効果があるんだけど、あなたはもっと厳しい治療が必要かも 知れないわね」 ヒルダが次ぎに案内したのは「教室」だった。庭に面した窓から明かるい光が差しこ み、教壇ではフロックコートの教授が講議をしている。授業はヨーロッパの歴史のようだ。 目を生徒たちの座席に転じたアンは危なく声をたてそうになった。

生徒は椅子に縛りつけられている。 アンと同じ制服を着た女生徒、およそ二十人が机に向かって坐っている。しかし、その 脚と腰と肩は皮のぺルトでしっかりと椅子に縛りつけられているのだ。それだけではない 椅子の背には絞首台のような柱が一本立てられ生徒のあごには、皮製の首輪がしっかりと はめられてロープで柱に吊り上げられている。生徒たちは下を見ることも横を向くことも できない。

「皆さん。今日からこの学院へ入られたイギリスのアン・ボルスタ−さんです」 突然、教授がアンを紹介しはじめた。 「あの、皆さん、ごきげんよう。どうぞ、よろしく……」 「よろしく」 奇妙な発音の返事がかえってきた。 皮の首輪に押えられて生徒たちは口をひらくこともできないのだ。

黒い皮があごに厳し く喰い込んでほほのゆがんでしまった少女もいる。 「この懸引椅子もここの博士の発明さ。みんな曲がったせほねを上に引きのぱしながら勉 強しているのだよ」 ヒルダが得意そうに説明をする。 「あの皮の首輪、あれにはこれから毎日お世話になるからおぼえておくといいね、 『グリ ッソン氏の係蹄』というんだよ」 教室を出るとアンは診察室へ連れていかれた。


やっと診察をしてもらえるのだ。この恐ろしい学院から逃がれるためにはシュトロハイ ム博士に病気ではない、と認めてもらうしかない。 アンは神に祈って博士の診断を待った。 博士の前に立たされ、助手の手がせなかのホックにかかったと思ったとたん、アンの制 服はパラッと足許の床に落ちてしまった。

「さあ、せなかを見せて」 それからしばらくの間、アンはせほねを押され、たたかれ、前後左右に曲げられ、さん ざんにもて遊ばれた。教授と助手はアンのわからないドィツ語でしきりに話している。 やがて教授はアンを正面から見つめて宣告した。 「立派なものだ。充全な側弯症だね」 アンは眼の前がまっくらになった。 「君は年をとっているから、かなり程度の高い治療が必要だ。明日から早速はじめてあげ よう。

心配することはないよ」 アンは涙があふれてくるのをどうしようも かった。 「あの…。…」 「なに、治療の期間かね。それは、私にもわからない。二年か三年、いや五年かかるかも 知れない。私の扱かった患者には二十年治療を続けたのがいた。まあ、ここにはあらゆる 治療器械がそろっているから、安心してまかしておきなさい。君は規則を忠実に守って治 療を従順に笠ければいいのだ」 アンは遂に声をあげて床に泣きくずれた。

タ食はとてものどを通らなかった。 アンは泣きながらジェームス叔父に手紙を書いた。夜、同室のミーナがやさしくアンをなぐさめてロピーへ連れていってくれた。 そこには制服を着た少女たちが十人ほど静かにくつろいで雑誌などを眺めていた。大きな声で話をするのは禁じられているのだそうだ。


みんな笑顔でアンを迎えてくれた。 「ここにいるのは休息期間の人達よ」 「休息期間?・」 「キプスを巻かれたり、器械べッドに入れられたり、きびしい治療が統くと一週間くらい休息期間が与えられるの」 「ミーナ。あなたはいつからここに?」 「そろそろ一年になるわ。

一年のあいだ泣かなかった日なんて無いくらい」 ミーナは十七歳。お父さんは南フランスで大きな農場を経営しているのだそうだ。 「アン。あなたには悪いけど、今夜、私、声をたてるかも知れないわ」 ミーナがわぴるように言った。 「今夜から、私、寝台で懸引されるの。なれるまでは苦しいわ。私、弱虫だから声をだすかも知れない。お疲れなのに悪いわ」 「そんな、私のことなどどうぞお気になさらないで」 その時ロビーへ一人の娘がはいってきた。 アンは悪いと思いながら、その姿をじっと眼で追ってしまった。

ギプスというものなのだろう。その少女は腰から胸、首に至るまで、まっ白い、固い石膏で固められているのだ。 ギプスの上端は、高いカラ−のように彼女のあごから後頭部にまで達している。ギプスであごを突き上げられ、顔は正面の上方を向いたまま、きっちりと固定されているのだ。

横を見ることもできず、、少女はまっすぐに歩いてピアノに向かった。 固いギプスのからだをピアノ椅子に置いて、彼女のしなやかな細指からやがて柔らかいウインナワルツの調べがロピーいっぱいに流れてきた。 「彼女は今、あれでも休息期間なの。又、矯正がばじまると、両腕も、ことによったら脚までギプスで固められてしまうでしょう。

そうしたら彼女のピアノも聞けなくなってしまうわ」 あんな重いギプスをはめられて、それでも休息期間なのだろうか。 「彼女の名前はエレナ・ユンべルク。オーストリアの公爵のお姫様よ」 「エレナ?・まあユンべルク家のエレナ…」 アンは思わず大きな声を出してしまった。

ユンべルク家とボルスター家は遠い親戚にあたる・・エレナとは幼い時、なんどか一緒に 遊んだ記憶もあるのだ。 アンはピアノのそぱへ飛んでいった。 譜面を見ることもできず、エレナは視線をピアノの上に掛けられている絵画に固定して夢みるようにピアノを弾き統けている。 彼女の首はギプスでせり出されたように細く長く伸び、胸の部分には二つの九い窓があけられてレモンのような乳房が顔をみせている。

「エレナ、しばらくね、ごきげんよう」 「まあ、アン……」 アンやエレナ、貴族の娘たちは、挨拶するとき、ごきげんよう、とのみ言うようにしつけられている。  しかし、この場合、いかにも不自然だった。エレナはほとんど口を開くことができず、会話も充分にはでぎないのだ。

二人はすこしずつ自分の話をし、手を取りあって思いきり泣いた。 エレナはアンと同じ十八歳。もう二年もこの女学院にいるという。最近ではピアノを弾くことだけが心の慰めになっていた。二年間にさまざまな治療をうけ、器械の中で失神したことも数えきれないほどだという。 そして手をかえ品をかえ、いろいろな形をしたギプスを柔らかい肉体に試みられた。

連日、休みなくギプスで責められ、しかもその間は制服すら着ることを許されない。 話を聞きながらアンはこれからの自分の運命を想像し気も遠くなる思いだった。 ミーナに連れられて、アンが寝室に帰ったとき部屋の模様はだいぶ変っていた。アンのべッドは中央、白いシーツできちんと整えられている。そして右側、ミ−ナのぺッドはシ ーツも柔らかいマットレスもない。

鉄のべッドの上にはただ一枚の大きな板が置かれているだけだ。その板の中央を丸木舟のような形をした白いギプスが占領している。 「これがギプスべッドよ。私は今夜からこの石のお舟にすっぼりとはまって寝るの」 ギプスべッドは、ミーナのからだにきっちりと合せてつくったもののようだ。

左のべッドには、もうリザが寝ていた。 アンは近かよって挨拶する。しかし、リザばろくに返事もしてくれなかった。 彼女もエレナのようなギプスをからだに巻かれている。

あごから胸、腰、更に両脚の膝まで。 自分のちからでは全く動くこともできない。 リザが口をきかないのはギブスが苦しいからだろう、と思いアンはそっと傍を離れた。 「さあ、寝ていないと叱られるわ」 ミ−ナはべッドにはいあがると、自分からギプスべッドの中へ入った。 ギプスはミーナの頭の上から首、脇腹をとおって両の足首まで、彼女は両脚をニ十度ほどにひらいて、ぴたっとギプスの殻に入ってしまった。

ギプスの殻はミーナのからだの線と全く同じに、驚ろくほど精巧につくられ、彼女が自分の意志で動かせるのはもはや両腕だけになってしまった。 「アン、あなたも早速この石のお舟を作られるわよ」 扉があいてヒルダが入ってきた。小さな車を押している。 車の上にはあの黒い皮の首輪、さまざまな長さの皮帯、皮紐、それに重そうな鉄の錘がいくつも積まれている。 「さあ、斜面懸引ですね」 ヒルダはミーナに近づいた。手には黒皮の「係蹄」を持っている。 ミーナはギプスべッドから頭を持ちあげ、おとなしくその首輪をはめてもらった。

係蹄はミーナのあごと後頭部にきっちりと当てがわれ、耳の下の留金で締められる。更に長いロープが係蹄の先端に結ぱれ、ロープはミーナの頭上にあるべッドの鉄柱をまたいで床にたらされた。 鉄の錘が、ロープの先端にくくりっけられる。ぐい、とミーナのあごが上に引かれた。

しかし、その辺はまだ序のロだった。 ヒルダがべッドのハンドルを操作すると、ミーナの頭の方が高くあがり出した。べッドも、板も、ギプスぺッドも傾斜する。板とギプスぺッドの間には数個の滑車が仕込んであった。 ガラ、ガラと音をたて、ギプスはミーナのからだを乗せたまま足のほうへずり落ちようとする。そのからだを逆に引き上げようとするかのようにヒルダはロープの錘をどんどんふやしていく。

「さて、今夜は十五キロくらいにしとこうかね」 「いや、いや、お願い…・」 とぎれとぎれの哀願がミーナの口から洩れた。 「いや、許して、十キロ、十キロにして、お願いでず、ヒルダさん…」 係蹄に押えられ、必死の言葉が続く。 「だめだね。十五キロだよ。がまんしてみるんだね」 べッドの傾斜はますます急になり、頭上の錘はどんどん増えていく。 十七歳のミーナの体重と、それよりも重そうなギプスぺッドと、この二つがずり落ちよ うとするちから、それとロープに結ぱれた十五キロの鉄の錘、これらのつりあいがとれた ところでべッドは傾斜をするのを止め、ヒルダの作業も終った。上下に走る強いちから、 それを支えているのは、ミーナの細い首なのだ。哀れにもその首はのぴきっていた。 「くうーっ…」 黒皮の係蹄がほほに喰い込み、もうミ−ナは口を開くこともできない。

ギプスべッドには要所要所に黒い皮のべルトがついていた。 ヒルダは次ぎに、そのべルトでミ−ナのからだをギプスに縛りはじめた。足首、もも、腹、,胸と肩、更に額までも黒いぺルトがギプスに縛りつけていった。 なんというむごいことをするのだろう。係蹄に引っ張られ、ギプスの殻に挟まれてミーナは頭を動かすことはできないのだ。その額まで、なぜ縛る必要があるのだろう。

更に幅の広い皮帯がミーナの胸に、脇腹に巻かれ、べッドのサイドに錘がくくりつけられ、彼女のやせぎすのからだは左右からも引き絞られた。 「くっ、くー っ、う、っ …」 よほど苦しいのだろう。ミーナの口からは低い坤き声が断続して洩れてくる。 「し上うがないね。そんなに泣くようじゃ、腰の用意もしておいたほうがいいね。夜半に起こされちゃかなわないから」 「あっ、あーっ、い、いや……」 ヒルダの言葉にミーナは動かぬからだをよじって、はげしく拒否の意を示した。 そんなことにはおかまいなく、ヒルダは数枚の布と青いゴム布を持ってきた。そのゴム布の形をみてアンはほほをまっ赤に染めた。 あれだ、赤ちゃんが使う尻のオムツだ。

ミーナは、あんなはずかしい物を腰に着せられる。 ヒルダはなれた手つきで、ミーナのももの皮べルトをいったん解くと、腰を浮かさせ、ギプスとの間に布をはさみ込んだ。ギプスのためにひろげられた脚のあいだに布が詰めら れその上から青いゴム布が、ぴっちりとはめられる。可哀いそうにミーナは赤ちゃんと同じに扱かわれて何の抵抗もできないのだ。 アンはリザのほうをみた。彼女は、天井を向いて知らん顔をしている。アンは気がついた。 リザの尻にもやはり青いゴム布が巻かれているのだ。さき程はギプスのほうに気をとられていたが、そのこんもりと盛りあがったゴム布の様子は、やはり赤ちゃんのように何枚も布を重ねられているのだろう。

ヒルダはミーナのゴム布を左右の締め紐でぎっちりと締めあげ、ポン、ポンと平手でたたいてみて満足した。たしかに女学院の制服は便利にできている。腰の部分をちょっとまくりあげるだけで、こんな作業も楽にできるのだ。 ヒルダは最後にミーナの手首をつかむと左右にひろげて皮帯でべッドの金具に縛りつけた。 「なぜ、手まで縛るんです。それじゃあんまり・…」 アンはたまらなくなって抗議した。

「お前さんはだまっといで。明日は我が身なんだよ。手を縛っておかないと夜、自分で懸引具をはずしてしまうからさ」 「そんな……」 ヒルダは丸い皮の輪を持って今度はアンに近づいた。犬の首輪そっくり、鉄の鎖までついている。 「さあ、べッドに寝て、首を出しな」 犬の首輪はアンの細い首に巻きついた。 「べッドにつないでおかないと、お前さんがミーナの懸引をはずしてしまうといけないからね」 犬の首輪には小さな錠がかけられた。 「いやです、はずして、私、ミーナさんにはなにもしませんから」 「ふん、あてになるものか」 ヒルダは鎖を短かくしてべッドの頭部につないだ。 「お願い、いやです、こんなもの……」 「うるさいね。

おだまり。静かにしないとここには口にふたをする道具だってそろっているんだよ」 ヒルダは出ていった。 犬の様に首輪をつけられてアンはべッドへあおむけに寝ている。涙が止めどもなくあふれでてシーツをぬらした。 「あーっ、あっ、あうーっ……」 ミーナの苦しみもだえる声が低く続いている。 「本当にうるさいね。ミーナの泣虫にはいやになっちやうわ」 突然リザがしゃべりだした。 「苦しいのはお互いさまさ、病気なんだからしょうがないじやないか。泣いたからって痛いものは痛いんだよ」 「でも、リザ……」 「ボルスターさんも疲れているのにお気の毒ねえ、眠られやしないでしょう、隣りであんなに泣かれちゃ」 「私は、私はかまいません。ミーナは苦しそうだわ、そんなにおっしゃらなくても」 「アン、私はここにもう、四年もいるんだよ。泣いたってしょうがないのさ。側弯症の治療法は伸ばすか、押しつぷすか、固めてしまう
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