COME BACK

 

 

 

A

 

 あれから10年も 忘れられた Big Wave

 遠くに揺れてる あの日の夢

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 紛れもなくサザンオールスターズの忘れられた BIG WAVEの最初の1節。そう、僕にも実現したい10年前の夢がある。そして、今、それが実現しようとしている。僕は久々の感覚に自然に笑みがこぼれた。思い起こせば、この夢をかなえるまでどれだけの涙を流したのだろう…思い起こせば、本当に辛い思いで。しかし、今となっては最高の思いでかもしれない。

 

 

 

 BIG WAVEのようにその存在を忘れてしまいたいあの事件。それは、今から、6年半前のある日。高校卒業を3ヶ月後に控えた11月。アメリカの大学に進学する予定の僕と林は仲良くテニスをしていた。僕らは中学時代からずっと組んでいるダブルスのパートナーだ。そして、今も部活は引退したが2人でテニスの練習を中学生の指導を兼ねながらしていた。

 

 今日は、11月最後の金曜日。中1の選抜メンバーの練習の指導をする日だ。今日は朝から北風が強く、寒かった為、僕は念入りにウォーミングアップをしていた。その後、15分間走り込んだ後、練習は始まった。

 練習が始まって30分ほどたった。僕達は、対人のフォーメーション練習のやり方を教えていた。僕達の教え方が未熟なせいかなかなか分かってもらえなかった。しょうがなく、実演をしている時だった。僕は右サイドに流れたボールをキャッチし、戻ろうとした時だった。何かを引きちぎったような音とともに右膝に激痛が走った。僕は、一瞬、やばいと思ったが何とか動けたのでそのまま続けた。しかし、痛みに耐えきれず、僕はその場に倒れこんだ。それを見た林が駆け寄ってきた。普段はあまり感情を出したがらない僕が痛そうな顔をしているのはただ事じゃないと悟ったのだろう。僕の顔を見るなり、後輩に練習をするようにいい、顧問の山田先生にケータイから電話をかけた。山田先生は電話にで、すぐに来てくれた。山田先生は、僕の右膝を見るなり、やっちゃったな〜と一言つぶやいた。

「ゆう。お前の家は世田谷やったけ?」

「はい。」

「俺、そっちの方で膝の良い先生知ってるから連れていったるわ。林、ゆうと自分の荷物もまとめろ。お前も病院まで行くぞ。」

そう、山田先生が言い放つと、大急ぎで事が動き出した。山田先生は、車を用意に走り、林は僕の荷物と自分の荷物をまとめた。僕は、呆然と悪いなと思いながら、痛みをこらえていた。

 5分ほどして、山田先生が松葉杖と包帯、副木をもって、戻ってきた。保健室から借りてきたらしい。副木と包帯で右足を固定して、松葉杖を差し出してくれた。僕はこのまま正門に出してきてある山田先生の車まで歩いた。正門まで歩く間にすれ違う人たちの視線が少し気になった。何人か同じ学年の人にもすれ違い、そのたびにどうしたのと話かけられ、少し恥ずかしいような微妙な心境だった。

 

 僕は、山田先生の車に乗り、第三京浜でそのまま北に向かった。夕方だった事もあり、少し渋滞している。車内で、思い出話が始まった。良く考えたら、3年半前にもこんな事があった。僕と林が全国大会前の合宿でぶつかって怪我をし、やはり山田先生の車で病院に運ばれた。結局、その怪我が原因で僕らは全国大会に出場できず、中学生としてのテニス人生が終わったのだ。何か、その時のシチュエーションと重なったのだ。山田先生は少し面白おかしくその頃の話をした。僕は、少し、痛みが和らいだ気がした。そして、そんな話をしているうちに病院に着いた。大川病院と言うわりと大きな病院だ。うちからもバスで来れるし、山田先生がまだプロの選手だった頃に良く通っていた病院で膝の専門の先生にも3年間診てもらっていたらしい。電話をしておいてくれたらしく、すぐに診てくれた。膝がかなり内出血していた。先生は少し僕の膝を触り、激痛を走らせながら微妙に動かした後、ACLだねと言った。僕はその単語の意味はその時分からなかったが、何かまずい所なのかなと先生の表情から悟った。

「とりあえず、内出血してる血を抜くから。本当ならレントゲンとMRIで詳しく調べたい所だけど、内出血がひどいから今は無理。うん、とりあえず、抜くから」

と言って、注射器を構えた。先生が注射器を刺すと血が抜けてくる。最初怪我した時よりずっと注射の方が痛かった。1本で足りず、注射器3本分抜いた。かなりの量だ。120ccも抜いた。

 抜き終わると先生が説明を始めた。

「膝には4本の靭帯って言う骨をつないでる筋肉みたいなのがあって、そのうちの前十字靭帯って言う膝を縦に支えているのと内即即副靭帯って言う膝が外側に行き過ぎないようにしてるところを断絶してるかもしれないね。後、半月板って言う膝が滑らかに動くのを助けている部分も痛めてるかもしれない。詳しくは、MRIを撮らないと分からないけど、MRIは内出血が完全に収まってからだから1週間は撮れないんだ。ただ、これだけ内出血が酷いのは、多分、前十字靭帯を断絶したからだと思う。前十字靭帯の中には血管が通っていて、切れると激しい内出血が起こるから多分それが原因だと思う。あくまで推測だけど…」

先生の話を聞いた僕は恐る恐る質問した。

「それって、治るまでどれくらいかかるんですか?」

「そうだね。前十字靭帯が切れてると、手術が必要だから難しいね。普通に歩けるようになるまで半年。スポーツ復帰まで1年。後は、周りの状況によるけど、まあ1年半は診ておいたほうが良いかも。」

僕は、膝と手術と靭帯と言う言葉でつながった。よくよく考えると前十字靭帯は、僕の彼女の有季が去年怪我したところだ。有季は怪我から半年でバスケには復帰したものの元通りにはプレーする事は出来ずにそのまま引退したのだ。何か、少し、寒気がした。

「とりあえず、しばらく、腫れがひくまではシーネって言うので固定するから。で、腫れがひいて、MRIが撮れたらギブスをする事になるから。」

と言って、僕の足に、副木をあて、包帯で固定した。そして、さっき学校で借りた松葉杖と違う別の松葉杖を借りて、診察室を出た。すると、そこには両親と有季が待っていた。林の電話でかけつけてくれたのだ。

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Written By M