第2話


僕は少し嬉しかった。久々に感動してしまった。自分のためにわざわざ来てくれたのだ。父親の職場にしても有季の学校にしても決して近くはない。有季にいたっては京葉線、山手線、東横線と何度も乗り換えを繰り返して来てくれているはずだ。

「大丈夫?」

「骨折なの?」

「どれくらいで治るの?」

怪我人に対して言うであろう、ありがちな疑問形の言葉が僕の回りを飛び交う。僕は人から心配されている自分が少し嬉しかったと同時にこんな大怪我をしてしまって松葉杖の男になった自分が少し恥ずかしかった。が、僕は飛び交う質問に1つ1つ答えた。

「大丈夫。」

「骨折じゃない。膝の靭帯断絶かもしんないって。腫れが引いたら、再検査。」

1年とかなんとか。治る時が来れば治るよ。」

と返した。

が、その時、有季が青ざめた顔で僕を見たのだ。

「え、靭帯断絶って、まさか、ACL?」

ACLって何?」

僕は思わず、分からない用語に間髪いれず聞き返した。

「前十字靭帯」

「うん、そう。それと内即即副靭帯と外側の半月板。」

「それって、手術必要じゃん。」

「らしいね。でも、検査しないと。分からない。」

この会話を聞いて親まで青ざめてしまい僕はどうすべきか真剣にわからなくなってしまった。

 

家に帰る車の中は少し暗かった。親もさっきの会話が聞いたのか暗く、僕に怪我の詳しい話を聞こうとしなかった。いや、聞けなかったのかもしれない。憂鬱な空気の中で母親が一言切り出した。

「また、テニス出来るんでしょ?」

「知らない。でも、相当酷い怪我らしい。良く分からないけど。でも、そのうち治るよ。いや、治らないと困る。あせったってキリがないし、どうしようもなかった。」

 

 家に帰ると、僕は思わぬ、弊害に気付いた。階段だった。うちの家はマンションの1階でそう言う意味では階段がないのだが、家の中に階段がある。僕の部屋とリビングが地下にあって、トイレや玄関が1階にあるのだ。良く言う所のメゾネット構造だ。家に帰って部屋に入るためには階段を降りないと行けない。しかも、トイレに行きたい時は階段をいちいち上がる必要がある。少しではなく、かなり不便な構造だ。階段を降りようとするが、怖くてたまらない。膝が曲がらない為、うまく階段に足をつけられない。手すりは片側にしかなく、いざと言う時に怖い。僕は恐怖と戦いながら普段は5秒で通過してしまう所を1分かけて丁寧に降りた。

 そして、部屋に着き僕はやっと落ちつけた。やっと、落ちつく自分の住処に帰りやっと我に返ることが出来た。気付くと、テニスのジャージを着たままだった。僕はとりあえず部屋着に着替える事にした。しかし、その着替えさえも困難だった。右足が曲がらず、ズボンがなかなか脱げない。そして、また、はく事さえもままならなかった。

 僕はこれも普段の10倍近い時間をかけてすませ、ケータイに目をやった。サブディスプレーに不在着信5件と言う文字と未読メッセージを示す未アイコンが表示されていた。誰だろうと思いながら、サイドキーを押すとテニス部の後輩だった。噂って早いなと僕は思いながらケータイを開けると、スカイメールやロングメールのマークがあり、まるで1日全く見てなかったような状態だった。メールボックスを開けると17人から「大丈夫?」とか書かれたメールが来ていた。噂って早い!僕はそう確信すると少し笑ってしまった。一人一人に定型文のような返事をすますと、僕は、自分が昔怪我した時に友達から言われた言葉を思い出した。「怪我すると痛いけど、でもみんなのヒーローになれるんだよね。なんか、少し羨ましい。だって、なんにもしなくてもみんなが寄って来て話しかけてくれるんだもん。」彼は、いわゆるいじめられっ子であんまり友達もいなかったからそう言ったんだろうなと僕はその当時思っていた。あの時からメールが飛躍的に発展した現代、確かに彼の言うことが正しかった気がする。怪我人はやはりヒーローなのかもしれない。僕自身、メールの行き来はかなり多いほうだが、同じ事で17人の友達からメールをもらった事などない。みんなが僕の事を心配してくれているのだ。何か、少しいい気分になり、足に巻かれている包帯をなでてあげた。

 病院で看護婦さんに言われた通り、足をクッションの上に乗せて寝ていると、母親がやってきた。

「お風呂どうする?」

僕は、少し拍子抜けした。お風呂の事など忘れていた。こんな状態で入って良いか微妙だし、足に厳重に巻かれた包帯は果たして外して良いものか分からない。昔、足を汚した時は、ギブスをぬらしちゃまずいと言う理由で入れなかった。今は足にギブスはないが、果たして包帯を外して良いものか分からないし、腫れあがっている膝をどう風呂で処置すべきかも全く分からない。

「とりあえず、頭だけ洗面所で洗うよ。お風呂は辞めておく。」

と、答えた瞬間僕は寒気がした。洗面所までは階段があるのだった。

 

 僕は、疲れていつもより早めにベットに入った。11時過ぎであった。こんな時間にベットに入るのは久々だったが寝れるかどうかは別だった。ベットに入った途端に、激しい痛みが僕の全身を襲った。とにかく痛い。膝の中から気持ち悪いようなずきずきするような良く分からない感覚がこみ上げてきて、僕の睡眠を妨害する。耐えられず、今日病院でもらったロキソニンを飲んだが、その効果は薄かった。元々、ロキソニンは頭痛時などにたまに服用しているが、こんなに効かないのは人生初めてだ。僕にとって最強の痛み止めと思っていたロキソニンが効かないと言うのはただただ驚くしかなかった。

 僕が痛みで苦しんでいるとケータイがなった。サイドキーを押すと、

ロングメール受信

川田有季

と表示が出た。有季からのメールだ。ぼくはあわてて見ると、こんなメールだった。

[件名]

大丈夫?

 

[本文]

痛み大丈夫?

前十字靭帯断絶っての

は驚いたよ☆まさか、

ゆうがそんな怪我する

なんて思わなかった。

多分、今、痛いよね?

でも、うちもそうだっ

たけど、すぐ引いてく

るから心配は無用☆心

配なのは、やっぱ手術

だよね?でも、膝の怪

我から復帰してるスポ

ーツ選手は多いわけだ

し、うちも一応復帰し

たわけだから、それも

心配ないよ♪うちは、

ゆうが治る事祈ってる

から♪痛みに耐えて頑

張って☆そしたら、痛

みに耐えて良く頑張っ

たって言って上げる(

笑)

久々に有季から受け取る長いメールだが、長さ以上に彼女のタイミングの良さが嬉しかった。痛くて我慢出来なくて、痛いと叫びたくなる時にタイミング良くこんなメールをくれる。これが彼女の僕が好きな所だ。少し、愛を感じてみたりした。そして、目は涙で潤った。僕は、ありがとう。大丈夫。ガマン、ガマン!とだけ返し、ケータイをマナーにしておいた。

 少し、気分が良くなったはずだが、やはり痛みは引いてくれない。この痛みには愛の力も勝てなかった。巨人は原監督のチーム愛の力で優勝したとか世間は言うのに、痛みには愛は勝てない。それほど強い痛みなのだと僕は思った。

 

 

C

 

 結局、痛みと戦いながら、僕の膝の怪我1日目が終わり、新しい日がやってきた。今日は、学校。公立なら完全週休2日制で休みのはずが、うちはそう言うわけにはいかない。学校がある。僕はそう言い聞かせ、朝食を食べながら、朝刊に目をやった。膝を怪我したと言う以外、何もない普通の朝だった。スポーツ面も見ながら、独り言を言うのも変わらないし、松井のFAのニュースを見ながら、どこ行くんだよ、メジャーじゃなくてダイエーに来い、と言いたくなる自分の存在も普段とはまったく変わってなかった。

 

学校に着くと、825分だった。山田先生から昨日、学校に着く前にケータイに連絡を入れろと言われていたので連絡を入れておくと駐車場で僕の上履きを持って待っていてくれた。駐車場から職員玄関を通り、エレベーターへ向かった。やはり、松葉杖は疲れる。もう、11月最後の日だと言うのに汗をかいてしまう自分がいる。担任の先生も心配して出てきてくれ、2人に囲まれながら僕はエレベーターに乗り、教室のある5階へ向かって上がって行った。5階に上がると何人かにすれ違った。みんながどうしたの?と言う目で見る。少し、恥ずかしかったが、昨日のヒーローの事を少し考えると、嬉しかったりもし、微妙な気持ちだった。だが、部活で怪我しただけにまわりで部活を我慢して受験勉強をしている人のことを考えると、理由を言いにくかった。クラスには、8時半だと言うのに、5人しかいなかった。35分登校のうちの学校はこれから5分の間にほとんどの人が駆け込んで来る。既に登校してるのは推薦組くらいなのだ。

835分から朝礼が始まり、担任の先生が事務的な連絡をすますと、僕の話に触れた。部活中に…と説明して、高3なんだから言わなくても良いと思うけど、助けてやれよとだけ言った。部活中ってのは余計と思っていると、隣の席の河本が僕に話しかけた。彼は僕と同じテニス部で親同士も仲が良い。

「え、まっとん、テニスで何しれかしたの?」

「クラッシュ、クラッシュ。たいした事ないよ。」

僕は、少し強がった。

「ってか、ボールふんずけたとかそう言う系?」

「いや、ちょっと、サイドボール追いかけた時に膝ひねっただけ。そんなたいしたことないって。」

「マジで。あ、だから、昨日メール返事なかったんだ。」

「うそ、送った?ゴメン、マナーだったかも!」

「送ったって。12時くらいかな」

「マジで。なんて?」

「え、ガット張って欲しいって。うちの姉ちゃんがガット切ちゃって、急がないって言うから頼みたかったんだ。一応、ラケット持ってきたけど。無理ぽいね。」

「いや、良いよ。張るよ!それくらい出来るから。」

ガット張るのが得意というあまり役立たない特殊能力を持つ僕にとって、実はこれが商売なのだ。ガット持ちこみで1回ジュース1本で張る。のどの渇きが癒されて、なかなか良い商売なのだ。

 

 僕は、放課後、林と一緒に部室に行った。ガットを張るためだ。引きうけた時はそんくらいと思ったけど、良く考えると困難だと言う事に気付いた。基本的にガットは立った状態で張る。松葉杖を突きながらの僕にとってはかなり難しい事だ。少し、後悔しつつ、部室へ向かった。

 部室に着くと、後輩達が何人かいた。昨日の事は知っているらしく、何人かが大丈夫ですか?と聞いてくれた。僕は、また、ヒーロー??と少し思いながら、いすに腰掛けた。僕は、

「先輩、大丈夫ですか?」

「大丈夫かって見ての通りだよ。歩けないし、テニスもしばらく出来ないし。」

「ってか、足に何巻いてるんですか?ギブス?」

「違う。ただの包帯。板みたいなの当てて固定してあるだけ。腫れがひいてきたら、ギブスになるらしいけど。ってか、これからどうなるかも腫れがひかないと全然分からないんだって。」

「まさか、手術必要とかそ〜いう系ですか?」

「かもね。それも検査しないと。」

などと、会話を会話しながらガットを張る準備をしていた。極力座って出来ることは全部座りながらやっていた。

 林に手伝ってもらいながら、張り始めた。僕がガット張りをマスターしてるだけに、林はガットを張った事もないし、勿論、張り方も知らない。僕は、この機会に覚えればと言いながら、張っていた。以外と松葉杖でのガット張りはきつかった。両手がいるため、松葉杖をうまく脇でキープできないし、小刻みに移動するため一々松葉杖に手をやらなくてはならないのが辛かった。そして、何より辛いのは立っている事だった。10分も立っていると、左足がくらげに刺されたかのようにしびれてくる。そして、右足も重力方向にたらしているとすぐ痛くなる。我慢するのがなかなか辛いほどだ。しかし、ガットはうまく張れ、とりあえず、一安心と言った所だ。

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Written By M