読み物



Sorry Japanese only
白い檻
september.10.2002

一章


病院の白い殺風景な待合室の開け放たれた窓から、初秋の爽やかな風が吹き込み、舞い上がった埃が陽射しのなかで小さな宝石のように、キラキラと輝き乱舞する。

 受付を済ませ一人椅子に座っていた篠田夫人は、着物の襟を寛げ、胸元に風を入れ一時嬾い微熱を忘れ,ハンカチで額の汗をそっと押さえた。

 緩くウエーブのかけられた黒い髪と、くっきりとした細い眉の下にある、切れ長の大きな瞳、そして顔の下半分を覆い隠している白いマスクが異様である。

 診察室の扉が軋んで開き、制服姿の少女が白い石膏の ギプスを巻いた腕を、細い首から如何にも重たげに三角巾で吊って出てきた。

 少女の後ろから、若い可愛い顔の看護婦が現われ、少女と微笑みながら何事か言い交わし、夫人のほうを見て

「篠田さん、篠田雪絵さん。」と彼女を呼び入れた。

 病院特有の強い消毒薬の臭いが鼻をつく。     「さあ、お掛けください。」と医師の前島は、消毒液に浸した手をタオルで拭きながら、診察椅子に座った和服姿の篠田夫人に身体を向け大きな手を伸ばし、夫人の掛けていた顔のマスクを外すと、無残に赤く爛れ、脹れあがった顔があらわれた。

 前島はこの婦人に、見覚えが有った。

前島の病院から三丁ほど先の、生垣に囲まれた広い敷地の中に、瀟洒な数奇屋風の建物と和風庭園をもった、如何にも金持ちのお屋敷で、以前、前島が患家の往診の時に此の女性が着物姿のままでガレージのダイムラーの運転席乗り込むのを見た事があった。

また、独り者の前島は休診日に、時折ぶらりと駅前の市場へ買出しに、といっても殆ど酒の肴だが、その市場の中でこの篠田夫人が買い物篭を下げているのを見た事もある。

「どれ、ふーん、これは、」と夫人の顔にそっと手を添え、「何時頃からこうなりましたか。」と前島は聞いた。

歳のころは、三十五、六、瓜実顔の美しい顔立ちの、如何にも金持ちの奥さんに見える、上品で淑やかな雰囲気の女性である。


その美しい顔の彼方此方に、奇妙なぶつぶつが吹き出て、処どころ、既に爛れて潰瘍になり、体液が沁みだし、乾いた所が瘡ぶたの様になっている。


「一週間程前からですわ。」医師の穏やかな表情だが、 眼鏡の奥の鋭い視線に彼女は少したじろいだ。

「自分でお薬つけたりしたんですけど・・・。」と自分で巻いた両手の繃帯に目をおとした。

「最近、化粧品を変えたりとかは、していないですか。」

「ええ、わたくしも、そう考えてみたんですけど、何にも思い当たらないんです。」

やがて、前島は「奥さん、どうも此れは、漆にかぶれたようですね。何かお心当たりはありませんか。最近山に行ったとか、藪に入るとか、しなかったですか。」と聞いた。


「ええ、そうお喋られると、この間お友達とハイキングに参りましたの、その時かしら。」と夫人は、可愛らしく小首をかしげた。

前島には、此の和服姿の楚々とした女性が、ハイキングに行くところを俄かには想像できなかった。

やや、肥満の兆しの表われた身体に、地味な色合いの結城紬を上手に着こなし、白い指を頬にあてて、小さく首を傾げる仕草は、無邪気な少女の様である。

「多分、そうでしょう、何かその辺の葉っぱに触った時、漆に気が付かなかったんでしょう。」

あたくし、どれが漆の木か、分らないんです。」

「この季節に山に入る時は、気を付けたほうが良いですよ、漆の毒性が強くなってますからね。

肌の弱い人は漆の傍を歩いただけでやられますよ。」

「はい。」


「それにしても、こんなに酷くならないうちに、お出でになれば良かったんですけどね。すっかり治るには時間がかかりますよ。」

「はあ、・・・」と生返事をして夫人は俯向いた。

 夫人には、病院には来たくない訳があり、自分で薬を塗っていたのだが、日増しに酷くなるので、仕方なく近所にある前島の病院を訪れたのだ。

「兎に角、身体の彼方此方が、痒くて堪らないんです。」と言って、夫人はその痒みを思い出したか、身体をモゾモゾと、くねらせた。

「それじゃあ、お顔の他にも、広がっているんですね。」

「ええ、手とか、足の方にも、それから・・・」

「それから、何処ですか。」

「ええ、あの、・・・」と言ったきり、夫人は顔を伏せてしまった。

「如何しました、あとは何処なんですか。」

「あの、あの、あたくし、・・・」と言い淀んで、白い肌が項の辺りまで、桜色に染まった。

「如何したんです、はっきり言って貰わないと、困りますよ。どんな具合か分らないと、治療出来ませんからね。」

と彼女の方を、覗き込むように言うと、夫人は下を向いたまま、手にしたハンカチを揉みくちゃにして、「あの、・・あそこ、なんです。」と、息も絶え絶え、と云った様子でか細く答えた。

前島は彼女の羞恥の理由を悟って、「あ、これは僕が迂闊でした。でも、奥さん恥ずかしがることは無いですよ。

此処は病院ですからね、何処を見られたって、具合の悪い事は無いんですよ。」と、諭す様に言い、夫人は俯向いた儘、小さく「はい。」と答えた。

彼女の羞恥は前島自身にも感染し、夫人の顔を直視できず横を向いて無愛想な声で「それじゃあ、あちらで、」と言い、「美佐ちゃん一寸、」と看護婦を呼び、その美佐という若い看護婦に何事か指示すると、看護婦はとっくに承知の様に頷いて
「奥さん、どうぞ此方へ。」と夫人を、部屋の隅の、カーテンで仕切られた、ベッドに座らせた。



ベッドの傍らに立った前島が、「美佐ちゃん、奥さんの着物の裾を広げてくれ。」と云うなり、美佐は夫人の着物を素早くたくし上げ、夫人は抗う暇も無く、白いたおやかな下腹部から足先までが、露わになった。

「足を広げてください。」と云う、前島の声と同時に、男の強い力が、抗う暇を与えず夫人の膝を割り、其のまま横に大きく広げ、彼女の秘密の部分が曝け出された。

夫人は目を瞑り、羞恥に身を震わせながら「止めて。」と、叫びそうになるのを、口に当てたハンカチで、抑えて必死に堪えた。


 清潔だが、無骨な男の指が、夫以外の人間には触れられた事の無い、彼女の柔らかい腿の付け根に優しく触れた時、頭の奥に痺れる様な感覚が走り、我知らづ、「呼っ」と小さく叫んだ。

そんな彼女の羞恥を知らぬ気に、如何にも、事務的な声で「うーん、やはり、外陰部にも拡がっているな。美佐ちゃん、もう良いよ。」と、前島が言い、着物の裾が下ろされた時、夫人の眼には薄っすらと涙が滲んでいた。



 手にした手巾で、涙を拭おうとするより早く、美佐と云う看護婦が、ガーゼで夫人の涙を拭き「あーあ、先生、泣かせてしまいましたよ。」とふざけた。

「おいおい、人聞きの悪い事言うなよ、俺はね・・・」と

前島は照れた様に篠田夫人に笑いかけ、「あの、あたくし、取乱したりして、・・」と、夫人はまた赤くなって俯向いた。


 医者と看護婦は、何か小声で語り合うと、「じゃあ、後は頼むよ。」と、前島は煙草をだらしなく口の端に咥え、火を点けづに、白衣を翻して其の侭部屋を出ていった。

 美佐と云う、若い看護婦が夫人に笑いかけながら  「先生照れちゃって行っちゃたわ。それじゃあ、お手当てしますからね、敏江ちゃん、手伝って。」と、もう一人の看護婦を呼び、大きなガーゼを幾重にも畳み、夫人の顔に被せ、目、鼻、口に印をつけて、それを鋏で切り抜いた。

「あの、其れ、如何しますの。」と、恐る恐る聞くと、

「此れですか、奥さんのお顔にお薬塗ってから、ガーゼを顔に被せて、それから繃帯をするんです。」

「まあ、其れじゃあ、まるでミイラの様になってしまいますわ。」愕いて言うと、

「ええ、恥ずかしいかも知れませんけど、顔の皮膚を保護するには、此れが一番なんですよ、だから、暫らく我慢して頂く他ありませんよ、そうしないとお岩さんみたいな顔になっちゃいますよ。」と怖い顔で脅かされた。

幾ら治療の為とはいえ、顔を全部ガーゼと繃帯で覆われてしまうとは、自分のその哀れな姿を想像して、夫人はまた悲しくなった、やるせなく溜め息をつき、まさかミイラの様な姿で三越に、買い物に出掛ける訳にはいかないだろう。当分の間外出は諦めようと思った。


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