三章 病院の待合室で、数人の患者の好奇の視線を浴びて順番を待っていると、昨日と同じように美佐が夫人を呼び入れ、「あら、今日はお洋服ですね。」と言った。 「ええ、着物だと何かと不便のようで。」 「そうですね、私たちも其の方が助かりますわ。」と言いながら、夫人の顔から前の日に巻かれた、幾等か汚れのついた繃帯を手際よく解いてゆく。 美佐は「あら、繃帯巻き直してありますね。」と言いので 「ええ、今朝起きたら緩くなってましたので。他人に頼んで巻き直してもらいましたわ。」と答えた。 幾重にも巻かれた繃帯が取り去られ、ガーゼと油紙の間から白い薬に覆われた夫人の肌がやっと顕われた。 爛れた皮膚から沁み出した体液が乾いて瘡ぶたのようになって、ガーゼに貼り付いている。 丁寧にガーゼをとり、乾いてしまった白い軟膏をクリイムで拭きとってゆく。 「ああ、幾等か腫れが引いてますね。」と前島が夫人の顔に触れ、カルテに書き込みをすると「向うで体を拭いて、後は昨日と同じで良いよ。」と美佐に言った。 「はい、じゃあ敏江ちゃん手伝って。」 部屋の隅のカーテンで仕切られた、ベッドに座らせられ 濡れタオルで身体を拭いて貰い、幾分爽やかな気持ちになったところで、昨日と同じ手順で手当てがされてゆく。 顔中に白い軟膏をベタベタと塗り、穴を切り抜いたガーゼを当ててグルグルと繃帯を巻く。 「敏江ちゃん、ずれない様に繃帯多めに巻いてね。」と美佐が言い、昨日よりも繃帯が分厚く巻かれてゆき 敏江が「苦しくないですか。」と聞くので 「大丈夫ですわ、もっときつく巻いて頂いても宜しいんですのよ。」と答えた。 厚ぼったいガーゼの上からきつめに繃帯が巻かれ、徐々に身体の自由が奪われゆく事に、何か不思議な陶酔がある。 美佐は夫人の秘密の部分を、アルコールを浸したガーゼで清拭しているうちに、夫人のその部分が潤いを帯び始めたのに気付いた。 (あらあら、この奥さんとっても敏感なんだわ、そう言えば旦那さんは留守だと言ってたわ。) 美佐は、この恥ずかしがり屋の綺麗な奥さんを、少し 虐めてやりたくなって、夫人の薄桃色の肉襞を指で押し開き「奥さん、此処、自分で弄ったりしてないでしょうね。」と彼女の耳元で嘲るように言った。 夫人は繃帯で覆われた顔を、ギョッとした様に美佐に向けたが、美佐の眼と視線を合わす事が出きづ顔を俯けた。 (この若い看護婦は、私の昨夜の寂しい遊びを知ってるのかしら、こういう職業の人はその部分をみれば、一目で 判ってしまうものかもしれない、それなら隠しても仕方が無い。)羞しさで身が縮む思いで、「は、あ、あの、少し痒かったものですから。」と口ごもった。 おや、まあ、なんて正直で初心な女性なんだろうと、 美佐は内心愕いたが、もっと羞しい思いさせてやろう、と考え「まあ、それじゃあ、もっと奥の方までかぶれているかも知れませんね、お薬も奥まで塗らなくちゃいけませんね。」と言うと、バターナイフの様な金属のへらにタップリ白い軟膏を塗りつけ、夫人の花弁の奥へと差しこんだ。 軟膏と金属の冷たい感触に、夫人は思わず喜悦の声をあげて、こんな治療ならば毎日されても良い、いっそこのかぶれが何時までも治らなければ良い、と考えた。 「はい、終りましたよ。」美佐の声に我に返り、自分の 馬鹿な考えに顔が火照る。 診察室を出ると、今日も他の患者の視線を浴びながら、 洗面所の鏡に自分の顔を映して、此のミイラの様な姿で 銀座へ行ってみたいと思った。 そして、道行く人たちの目を驚かせるのだ。 好奇の視線が彼女に集まり、まあ見てみて、如何したのかしら、火傷でもしたのかしら、お気の毒に、等と囁きながら彼女を、遠くから見るのだ。 デパートの馴染みの店員の、控えめだが好奇心に満ちた視線が夫人の繃帯に注がれる。 哀れな羞しい姿を見られる事を想像するだけで、身体の奥が熱くなる。今夜も又自分の姿を鏡に映して孤閨を慰めなくては眠れそうに無い。 白い繃帯が彼女の肌を包んでゆくに従い、自分では気付かずかにいた被虐の性が、沁み出した体液のように彼女の精神を緩慢に侵食してゆく。 こうして繃帯に覆われて、哀れな姿になると、まるで 自分が別の人間になった様な気がしてくるのだった。 言われた通りに毎日病院へ通い、夫人の肌は徐々に回復し 一週間ほどで、白い仮面の様なガーゼと腰のお褓は外されたが額と頬のガーゼは其の侭で、相変わらず繃帯が巻かれ 夫人の顔を縁取り、一層美しく痛々しい。 美佐は「奥さん、お綺麗ですね、早く良くなって下さい。」と彼女に繃帯を巻きながら言ったが、夫人にしてみれば日に日に薄くなってゆく繃帯が物足りなく思える。 もっと、グルグルと厚く大袈裟に繃帯を巻かれ、身体の自由を奪われたい。そして、以前のように女の羞しい部分を他人の眼に曝け出して、治療して欲しいと思う。 仮面の様なガーゼと繃帯が無くなって、通りを歩くと近所の人々が、彼女の繃帯からのぞく顔を見ては 「あら、奥様如何なさったのです、お怪我ですか。」 立ち止まって夫人を気の毒そうに見る。 「ええ、ちょっと。」 「お大事に為さって下さい。」 「はい、有難うございます。」 こんな会話をする度に、不思議に身体が火照ってくるのだ。道行く人々の憐れみの視線を感じて、彼女の身体の奥が妖しく燃え上がる。 秋が更まり、街路樹の葉が黄金色に燃え、夫人の病院通いも一ヶ月を過ぎた或る日、前島は繃帯を解かれた彼女の肌 に柔らかく触れて「もう、すっかり良くなりましたね。」と言った。 幾分小皺はあるが、きめの細かな夫人の白い肌が以前の美しさを取り戻していた。 「はあ。」気の無い返事をして彼女は肯いた。 「大丈夫とは思いますが、一応軟膏をだしておきますから 痒く為ったら付けて下さい。」 一ト月ぶりに身体から繃帯が無くなり、鬱陶しさから開放された筈なのに、繃帯を巻いていない身体は何処となく物足りない気がしてならない。 病院の帰り道、数件の薬屋をまわり、大量のガーゼと繃帯を買い入れ、夕方家政婦が帰った後、鏡を見ながら自分で頭から頬そして頚へと、繃帯を巻いていった。 鏡に映し出される、自分の異形の美しさにうっとりと見惚れ、この痛々しい姿を誰かに見て欲しいと思い、人目につかぬ様に裏口からそっと家を出た。 夜の盛り場から裏通りの間を、どの位の間彷徨ったのか 何時男に声をかけられ、待合に入ったのか、暈りした記憶しか無い。気付いた時には、饐えた臭いの布団の上で男に組み敷かれていた。 「奥さん、その繃帯はどうしたんだい。まさか、質の悪い病気にでも罹ってるんじゃあるまいね」 「あの、・・・火傷の跡を隠してるんです。」 男の言葉にたいして、すらすらと嘘がでた。 「本当だろうな。まあ良いさ、脱いじまえば分る事さ。」 酒臭い息を吐きかけながら、男は夫人の白い項に舌を這わせ、彼女の胸元へ手を差し入れ、たわわな乳房を強く揉みしだく。 彼女の形ばかりの拒絶の仕草が男の肉欲を一層煽り立て、男は荒あらしく、彼女着物の裾を割ると白い繃帯を巻いた両足を肩に担ぎ上げ、夫人のたおやかな部分にざらざらした無精髭をおしつけ、黒い爪垢のついた汚れた指が、彼女の秘密の部分を乱暴に掻きまわした。 「おう、もうすっかり用意ができてるじゃねえか。」 男の下卑た言葉に、彼女の頭の奥に閃光が走った。 男の獣じみた吐息と激しい動きに翻弄され、押し寄せる恍惚の波に幾度も浚われながら、夫人は今までの自分が粉粉に砕け散ってゆくのを感じた。 別れ際に、男は彼女の手に幾枚かの札を握らせた。 何の事かと、手の中の紙幣をぼんやりと見ているうちに 男は立ち去り、漸く夫人は自分が買われた事を悟った。 人影も絶えた路地裏の暗い道を歩きながら、少しづつ 繃帯を解き深い後悔の念に涙ぐんだ。 もう、こんな馬鹿なまねは止そう、以前のように普通に生活しようと思う。 その日、夫人は何をするでもなく、唯暈りと時を過した。 「奥様、お加減悪いんですか。」家政婦の言葉にも虚ろな目を向け「いいえ、何処も悪くありませんわ。」と物憂げに返事をするだけだった。 家政婦が帰った後、待ちかねた様に、引き出しの奥から繃帯を取り出し自分の身体に巻いてゆく。 繃帯を巻くと昨夜の惨めな想いが蘇り、身体が熱くなる。 この繃帯を巻いた痛々しい身体を、汚い言葉を浴びせながら乱暴に抱いて欲しい。繃帯の下のある筈も無い幻の傷を 噛み裂いて欲しい。 惨めな思いをするほどに、身体が熱くなるのを止めることが出来ない、燃え上がる被虐の情念の炎が彼女の理性をも焦がして止まない。 鏡の中の繃帯に覆われた、痛々しくも美しいもう一人の自分、見知らぬ男に身を売るふしだらな、自分であって自分でない女。 夫の留守の間の不貞、と云うような月並みな言葉では言い表せない、深い倒錯した愉悦を感じるのだ。 一日おいて、又彼女は夜の街をあてどなく歩き回った。 見知らぬ薄汚れた男に身を任せ、男の放出した体液に繃帯を濡らして夜明けを迎えることを考えると、肌が粟立つ。 貞淑な妻として、夫の留守をまもる平穏な日日がもはや、 遠い過去の事の様な気がしてならない。 秋草も枯れ始めた頃、篠田家の通いの家政婦は「夫が向うへ来い申しますので。」と暇を出され、そして篠田夫人は頻繁に男漁りの夜歩きを始めた。 そんな或る夜、篠田夫人は数人の娼婦たちに囲まれた。 歳の若い、如何にも男ずきのする顔立ちの女が 「ちょいと、アンタ、誰に断って商売してるんだい。」 と口を開いた。 以前の彼女なら、恐怖のあまりその場で卒倒したであろうに、女たちに向き合うと、臆することも無く答えた。 「貴方達のご商売を邪魔するつもりはありませんわ。」 「おや、ご商売ときたね。」 「体中に火傷の跡があるんです。それで結婚出来ずにいたんですけど、・・・あの、こういう場所には、色んな男の人が来るって聞いたものですから・・・。」 夫人は、美しい顔を縁どる様に巻いた繃帯に手を添えて言った。 さすがに女達も、彼女の偽りの身の上に同情し、彼女が夜の街に立つのを黙認する事になった。 もっとも顔を繃帯で包んだ女を買う、と云う物好きな男はそう頻繁に現われるわけも無く、夫人は二三時間の刻を空しく夜の街に佇んだのち、悄然と家路につく。 たまに夫人の異様な姿に興味を惹かれる病的な男もいて、そんな時彼女は男から受け取った金を、みな他の女たちに呉れてやった。 彼女は他の女達に語ったことがある。 「私が欲しいのは、お金ではありません。私が欲しいのはこの繃帯の下にある、焼け爛れた身体を抱いてくれる男性です。」 夜の闇が地上を覆い、背徳の魔物たちが蠢きはじめる刻 体中に繃帯を巻いた篠田夫人の運転するダイムラーが、 ガレージから静々と這う様に滑り出る。 |
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