X-ray氏作
Sorry Japanese only
(2)ギプス 麻帆の悩みはあの時の骨折が原因であった。 麻帆の診察を担当してくれた整形外科の医師、唐橋 誠と、診療放射線技師の半田健一からの熱烈なラブコールに、正直うんざりしていたのだ。 〜Recollection of Dr. Karahashi〜
唐橋 誠、34歳。 長身で彫りの深い精悍なマスクは、患者や看護師たちからも人気が高かった。 養子であったが、人並み以上の経済力と学歴は自慢できるものかもしれない。 しかし、内面での性格は、少々ゆがんでいた。 理想が高く、肉体関係を持ったところで、全ての欲望を満たすことは出来なかった。 この病院では、週に1日ずつ初診外来患者と外来患者を診察するよう医師のシフトが組まれていた。 他にも交代で、夜間救急の夜勤当番や入院患者の手術、診察など、多忙である。 この日の唐橋は、初診外来患者の担当日だった。 この日も初診患者は途切れることなく続き、積み上げられたカルテを横目に唐橋は、少々不機嫌になっていた。 「次の方どうぞ」 高らかに声をかけて、看護師が入口のカーテンを開けた。 最近の傾向として、圧倒的にお年寄りの患者が多い。 次に中年の女性。一見どこが悪いのか? と判断しかねるような患者で、常時、整形外科の待合室は溢れかえっていた。 医者も人間である。 やはり、好みの患者というものがあった。 しかし、美しい若い女性患者など、そうそう訪れることはない。 その時、だった。 車椅子に乗ってカーテンの向こうから現れたのは、「白衣の天使」だった。 唐橋は、うつむきながら入室した彼女の美しさに息を呑んだ。 同僚であり、当然顔見知りの看護師であったが、車椅子に乗る彼女ははかなげで、今までになく愛おしく感じた。 麻帆は、痛む足をかばうように、恐る恐る黒い丸椅子に腰をずらし、移動した。 そしてゆっくりと診察用の台に患部である右足を載せ、痛みに顔をしかめた。 痛々しいその姿が、唐橋の心を釘付けにした。 看護師が、シャーカステンにフィルムをセットして、光源のスイッチを入れる。 唐橋は、フィルムを凝視した。 そして、視線を麻帆の足に落とすと優しい口調で説明を始めた。 「捻挫がありますね。ここにヒビと、それから3、4の中足骨に骨折が有ります。痛みますか?」 唐橋の長い指は、白く細い麻帆の足首を、さするように撫で上げた。 鋏を入れて、人為的に破かれた白いストッキングが悩ましい。 麻帆の足は、捻挫したくるぶしが腫れあがり、足の甲まで青黒い内出血が進んでいた。 靭帯の方は、どうであろうか。 捻挫は、捻った方向に捻ると、強い痛みが生じる。 唐橋は、分かっていてわざと、足首を傾けてみるのだ。 「あんっ、ああっ…くぅぅっ」 痛みに耐えかねた麻帆が、高い声をあげた。 この、悩ましい声を聞くのが唐橋の楽しみのひとつであったのだ。 「ギプスで固定しましょう。痛みもずっと楽になりますよ」 「はい」 「じゃあ、ギプス室に行きましょうか」 唐橋が幼い頃から愛して止まないもの、それは「ギプス」であった。 こうして整形外科の道に進んだのも、ギプスをする女性の姿が好きだったからである。 ギプス室は唐橋の診療室の隣室にあった。 診察室は初診用、再診用、再診用と3箇所有るが、ギプス室は共同で使用する。 外来専用のパート看護師に案内され、麻帆は、ギプス室の診察台にあお向けに寝かされた。 別の看護師が、バスタオルをひざ掛けのように、麻帆の腿に掛ける。 こちらは、処置の最中まくれあがってしまうスカート内部を覆うための気遣いと、防寒のためである。 次に、看護師は、足先のない靴下のようなストッキネットと言うチューブ包帯を、足先から膝の下までの大きさに切り、麻帆の足にハイソックスのように伸ばして履かせた。 このチューブ包帯は、綿100%の素材で、アレルギーにも強く、主に肌の保護のために使用される。 患者のサイズ、患部によって幾通りかの太さの違う物が用意されているのだ。 更に、オルテックスというアクリルの混ざった水色のコットン包帯を巻きつける。 これは、患部の保護のためでも有るが、水色の明るい色がギプスをカットするとき、おおよその目印となるため、大切な役割を果たしている。 一人の看護師が、折り曲げた患者の膝を抱え、もう一人が足先を支えた。 唐橋は、ギプス専用のゴムカッパと薄手の手袋を装着すると、看護師によって開封されたアルミ袋からギプス包帯を受け取った。 膝下のSLC(short leg cast)の場合、唐端は7.5cm幅のグラスファイバーギプスを4〜5本使用する。 以前はギプスと言えば石膏ギプスが主流であったが、プラスチック製のギプスの方が石膏ギプスに比べ軽く、固まるまでの時間が早い。 当然、患者への負担が軽減される。 そんな理由から現在では、一般的な病院で最も広く使用されているギプスなのだ。 裏返せば医者も手早く巻かないと、すぐに固くなってしまうので、慣れを要するギプスでもあるのだが。 唐橋は、空気と反応して温かくなって来たギプス包帯を、手馴れた手付きで麻帆の足に巻きつけていった。 正面に立つと、スカートの奥のふくらみまで、はだけたタオルから覗くことも出来る。 まさに、今、唐橋にとって、至福の時であった。 唐橋は、自分が最も優れたギプス職人だと自負していた。 どの部位のギプスを巻いても、芸術品さながらの出来栄えであるのだ。 もちろん今回のSLCも絵に描いたように美しく仕上がったのは言うまでもない。 何よりモデルが素晴らしい。 形が良くすらりと伸びたふくらはぎは、ギプスの最も似合う足と言えよう。 純白のナースキャップと制服が、いっそうギプスの白さを引き立てた。 乾燥して固まるまでは、看護師が足を支えていなければならない。 パシャッ 突然、カメラのフラッシュが光った。 実を言うと唐橋は、気に入ったギプス患者の写真も集めていた。 「先生、何ですか?その写真」 驚いた麻帆が半身を起こして尋ねた。 「ああ、それはギプスの状態を観察し保存するためですよ」 もっともそうな説明でごまかしたが、あくまで個人で楽しむために収集していた。 唐橋は、美しいものが好きだった。 当然、関係を持つ女性も、容姿端麗であるのが最大の条件であった。 そして、残虐なシーンを女性に重ねてイメージする。 暴行、強姦、殺人など、恐怖に怯える女性を想像して楽しんでいた。 メスでグチャグチャに切り裂いてみたいと思っていた。 看護師の中でも一際美しい麻帆に対しては、前々から特別の関心があった。 もちろん、心の奥底に想いを寄せるだけで、思いを伝えることなど出来なかったが。 もしも、この潜在意識が何かの拍子に表に出たら? 患者を苦しめてやりたいと思ったことはなかっただろうか? 自己願望の恐ろしさを戒めるように、唐橋は大きく頭を振った。 我に返った唐橋は、手にしたデジタルカメラを胸ポケットに収めた。 (前々から、小西麻帆がギプスになったらいいと望んでいたが、やはり素晴らしいギプス姿であった!何とか自分だけのものに出来ないだろうか?彼女なら、LLC(long leg cast)が似合うだろう。両足を骨折させて、LLCで身動きできなくなったらどれほど美しい姿を見せてくれるのだろうか) 次の患者が通されても尚、唐橋の脳裏から、麻帆の白い足が離れなかった。
〜Recollection of Mr. Handa〜
半田健人は、診療放射線技師だった。 ひと昔前は、「レントゲン技師」と呼ばれていた職業だが、現在の正式名称は「診療放射線技師」である。 25歳、独身。 半田はサラリと伸ばしかけの前髪をかき上げた。 長い睫に細い顎、どちらかというと女性的な顔立ちである。 170pと小柄では有るが筋肉質のしなやかな体躯を持っていた。 彼もまた、ギプスを愛する一人であった。 きっかけは、中学2年の時。 ある朝、クラスメイトの女子がギプスを巻き、松葉杖で登校してきた。 実際に半田がギプスを見たのは、それが初めてだった。 それほど目立つ娘ではなかったが、白いギプスによってクラス中の同情を集め、 すれ違うたびに学校中の注目を集めていた。 気が付くと、半田の視線の先には必ず、彼女の白いギプスがあった。 両手に松葉杖を持たなければ歩くことが出来ない彼女は、荷物も満足に持てない。 移動教室の僅かな距離の歩行すら、苦しそうに顔を歪め、歩んでいた。 一段、一段、確かめるように上り下りする階段。 何故だか分からなかったが、その不自由な動きの一つ一つが心を熱くさせた。 毎日、友人に悟られないように注意しながら、そっと近寄り凝視していた。 いつしか憧れとなったギプスに触れることが出来たのは、1週間後の午後だった。 避難訓練。 2年生も3階の教室から、上履きのまま校庭に避難しなくてはならない。 席の近い半田が、足の悪い彼女を背負って避難するよう担任から依頼されたのだ。 けたたましい非常ベルが鳴り響いた! 机の下にいったん避難した後、廊下に並ぶ。 打ち合わせ通り、半田の背中に彼女はおぶさった。 華奢な彼女の体重はそれほど気にならなかった。 そして半田にとって、ただ見ているだけだった憧れのギプスが、自分の腕の中にあった。 歩くたびに、手の甲がギプスに触れる。 ザラザラとした手触りと、ギプスの重みが嬉しかった。 陽を浴びてきらめくギプスを気遣いながら、半田は慎重に階段を下った。 …それ以来、半田はギプスをはめた女性が、気になり始めた。 ギプス女性を見たい一心で、自ら足を折ってみたこともある。 そうまでして病院に通い、ギプス女性との接点を見出そうとしたのだ。 将来は、どうしてもギプス患者と関わりになれる職業に就きたかった。 医師を目指そうとしていた半田だが、成績は芳しいものではなかった。 それでもあきらめずに苦労して、診療放射線技師の資格を会得したのだ。 幸い、就職したこの病院では、胸部写真だけでなく整形外科も受け持つレントゲン室の担当になれた。 ギプスやシーネを付けた女性患者が訪れるたびに、半田の心は弾んだが、所詮それも瞬時の出来事である。 毎日ギプス患者に対応できる、整形外科医や看護師が羨ましくてならなかった。 …そんなストレスを抱えたある日の午前中に、車椅子の麻帆が現れたのだ。 白衣姿の患者を受け持つのは、もちろん初めてだった。 (以前から美しいと思っていた小西さんが、ギプスになるのか?) 信じられないといった顔つきで半田は、沸きあがる興奮を飲み込んだ。 今、この部屋でこの時間、麻帆を担当できる偶然が嬉しかった。 恥ずかしそうに麻帆が会釈をした。 半田は、平常心を装いながら麻帆に隠し切れない微笑を向けた。 「大丈夫ですか?ビックリしましたよ」 「うん。でも半田君、何か嬉しそう」 「ええ?そ、そんなことないですよ。あ、立てますか?捕まって…」 撮影のため、ブッキー台に移動しなくてはならない麻帆を、半田がサポートした。 激しい胸の高鳴りが、麻帆に聞こえてしまいそうで怖かった。 半田は、麻帆を抱き上げるようにして立たせ、麻帆にプロテクターを装着した。 防護用プロテクターは、レントゲン照射時に被爆を防ぐため用いられる。 体幹用、頚部用(甲状腺保護)、前掛けのような形をしている男性用などが代表的だが、半田が間帆に被せたプロテクターは、体幹用で、丈長い野球の審判が付けているような形をしていた。 中身は鉛であるため、ずっしりと重い。 ブッキー台まで誘導し、麻帆を座らせると、痛みの有る足の膝を立てるように指導した。 半田が毎回行っている、慣れたサポート行為でさえ麻帆のギプス姿を想像すると、緊張のため、ぎこちない動きとなってしまう。 不自然な動きを悟られないようにしなくちゃマズイな。 半田は必死で冷静を装い、フィルムをセットした。 「じゃ、そのまま動かないで下さいよ」 サンダルを滑らせながら、小走りに隣室の撮影部屋に戻り、カメラのスイッチを押した。 こうした気苦労を重ねて、角度を変えた六つ切りレントゲン写真2枚を撮り終えた。 撮影者のサインを書き込むと、半田の作業はそこで終わりだった。 すぐに、次の患者の撮影を行わなければならない。 当然といえば当然の話だが、この時の半田は簡単に諦めきれなかった。 これじゃ、小西さんのギプスは見られないじゃないか! 先ほど、明らかな骨折の像を確認したばかりだった。 不満がつのる。 心から医師になれなかった自分が悔しかった。 すでにレントゲン室は、半田にとって魅力有る職場ではなくなっていた。 上役の同僚とも、放射線科医とも馬が合わない。 それでもどうにか自分を押さえ込んで、増幅する不満を蓄積させながら撮影を続ける半田であった。
麻帆はこの骨折以来、唐橋と半田から頻繁に食事に誘われるなど、強烈なアプローチを受けるようになった。 二人から同時期に告白され、交際を迫られたが、元来の優柔不断さも手伝い、曖昧に断っていた。 しかし、競い合うように二人は麻帆に執着し、尾行、待ち伏せ、プレゼントなど段々にエスカレートした兆しを見せ始めていた。 そして正体不明の恐怖の影は、静かに麻帆に向け、忍び寄っていた。 ◆next◆ |
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