読み物

X-ray氏作

Sorry Japanese only
恐怖の廃虚病院 第3話

      

     Escape

 

 

 

11月○日(木)7:00p.m.

凍るような冷気と消毒薬の臭いで、よし恵は目を覚ました。

天井、ベッド、点滴…。

確かに病院であるのに、どんより暗く物々しい。

 

そうだ!

思い出した!よし恵は悪夢のような現実(リアル)を思い出した。

 

あいつ、家まで送ると私を騙して…これじゃぁ、犯罪じゃない!

あたしは骨を折られて…ああ、早く、帰らなくちゃ!

 

起き上がろうとして、よし恵は自分の手足がギプス固定されていることに気が付いた。

よし恵には、はっきりと見えなかったが、それは石膏ギプスであった。

まだしっとりと湿った質感が残る。

 

あいつの正体を知っているあたしは殺される!逃げなくっちゃ!

 

急に恐ろしくなった。

今は、この場所から逃げることしか考えられない。

空をつかむように、左腕を伸ばした。

そのとたん、

 

ガシャーーーン

 

勢いよく点滴台が倒れた。

はっと息をのむ。

しかし、病室中大きく鳴り響いた音にも、何の反応もなかった。

 

誰もいない??逃げるなら今だわ!

よし恵は痛みをこらえて起き上がり、座る姿勢で、恐る恐るギプスの足をベッドから下ろした。

 

「あ、あああっーーっ」

 

骨折した足を下げることによって、急激に血液が下腿に流れ出す。

それだけの動作でも、ズキズキと激しく痛んだ。

 

動悸と重なるように響く激痛と戦いながら、床に足を着いてみる。

しかし、固定されたギプスで膝が曲がらない上に、骨折した足にはまるで力が入らない。

プルプルと震えるだけで、言うことを聞いてくれないのだ。

ギプスを巻かれた両足は、何の役にも立たなかった。

 

カビ臭い埃の積もった床を、蛇のように這い出す以外、逃走手段はないようだ。

 

ドスン ゴツッ

 

今度はためらわず、すべり落ちるよう転がった。

 

ギプスが床と接触して、固く乾いた音が響いた。

振動で耐え難い痛みにも襲われたが、よし恵には、まだ生きる意欲が残されていた。

 

少しずつ、暗闇にも目が慣れてきたようだ。

 

この廃虚病院に拉致されてから、すでに丸一日が経過していたが、むろんよし恵に時間の感覚はなかった。

 

上着を着ていないことも、下着を脱がされて、下半身が裸であることも、もうどうでもよかった。

この場所から一刻も早く逃げ出したい一心で、痛みや寒さ、飢えからも耐えて這い進んだ。

不安と恐怖で今にも壊れそうな自分を励ましながら。

 

病室と思われた部屋は、手術室とつながった小部屋のようだ。

苦労しながら片手でドアノブを回し開くと、見覚えの有るおぞましい手術室のライトがぼんやりと見えた。

 

あいつは、あのドアから出て行ったはず…。早く、早く、あのドアだわ。

よし恵は方向を定めた。

 

異臭の漂う闇の中で、その時、聞き覚えの有るメロディが流れた。

 

あ!これ、私の携帯のお知らせアラーム音じゃない。

携帯…そうよ携帯。

どこにあるの?

 

今にも消えそうなかすかな音ではあるが、どこかで、よし恵の携帯電話が鳴っている。

 

潰れたカエルのような姿で、半円を描くよう必死に手を伸ばした。

 

何??

左手が、何か固く冷たいに触れた。

驚いて左手を引っ込めたが、おそるおそるもう一度手を伸ばした。

 

頭髪と額、眉、鼻梁らしきものが、よし恵の震える指に触れた。

 

「誰なの?誰かいるの?」

 

声に出して問いかけたものの、固く冷たい物体(それ)は、返事はしないだろうという確信が、看護師のよし恵にはあった。

 

そうだ、携帯。バッグはどこだろう?

 

結婚して今年から、内科外来のパート勤務となったよし恵は、夫の帰りに合わせ、平日の午後8時にアラームをセットしていた。

愛する夫が、帰宅しないよし恵を思い、心配していることだろう。

 

遺体のすぐ脇に、よし恵のバックは転がっていた。

祈るような気持ちで、ハンドバッグをまさぐった。

 

あった!

 

左肩で身体を支えたまま、左の指先で折りたたみ携帯をこじ開けた。

 

その瞬間だけ、暗闇に蘇る光。

よし恵は、かすかな安堵と小さな灯火を手に入れた。

 

しかし…

圏外エリアの携帯電話は無用の長物だった。

 

 

ゴン、ズルッ、ゴン、ズルッ

 

L字に固定され、三角巾で吊られたギプスの右腕は、床に着くたびに鋭く痛み、音を立てた。

外部との接触は諦め、手術室から這い出して来たものの、方向感覚はまるでない。

 

仕方なく進みやすい左方向に逃げ道を定め、廊下らしき床を手探りで這い進んだ。

 

階段?

突然、床が途絶えた。

体制を整えて、進もうとした時、階下から物音が響いた。

 

来た!あいつだ!ここにいたら捕まっちゃう!

 

激しい動悸と目眩が苦しい。

カラカラに乾いた喉からは、ひきつった声にならない呼吸が止まらない。

 

ああ、早く…

 

ところが、両足のギプスが重く、容易に方向転換ができないのだ!

 

コツ、コツ、コツ…

 

足音は確実に迫っている。

 

早く…

 

動けなかった。

男の懐中電灯が、ついによし恵を捉えた。

 

もう、駄目…見つかった!

 

男が、大きく両目を見開き、狂気の眼差しでよし恵を睨み付けている。

絶望の瞬間だった。

脇を掴まれ、強引に引きずられながら、今来た道を戻された。

腕が、足が、腰が…体中が軋み、張り裂けそうに高鳴る心臓が苦しかった。

 

ドンッ

 

荒々しく手術台に投げられた。

 

「助けてよ…お願い。秘密は守るから」

「………」

 

涙と鼻水でグチャグチャになった顔で、必死で懇願するも、やはり返事はなかった。

 

男は、ゆっくりとした動作で懐中電灯を床に置くと、よし恵に背を向け、ロウソクに火を灯し始めた。

一本、また一本と、白く長いロウソクの炎は幻想的に揺らめいた。

ライターを擦る音が無音の空間に火花を散らし、ロウの焦げる匂いが辺りに漂った。

 

まるで自分が邪悪な宗教の生贄になった気分だ。

生贄…。

はっと思い出して、視線を床に落とした。

その時、点けられた新たなロウソクの炎が、横たわるの遺体の顔を照らした。

 

前田さん!

 

硬直したまま、息を呑んだ。

 

見覚えの有る顔が、髪を振り乱し白目をむいていた。

彼女は、前田順子。

整形外科の看護婦であった。

よし恵の後輩であり、同僚。

同じ整形で働いていた頃は付き合いも深かったはずなのに…

 

絶望的な気持ちで振り返ると、男がメスを並べながら言った。

 

「これから着替えて、手術しよう。難しいオペになると思うから、君もそのつもりでね」

 

 

         (3)友情

 

------------------Nurse's gossip

 

 

11月○日(木)1100p.m.

ナースステーション。

消灯時間を過ぎても、まだまだ看護師の仕事は終わらない。

人手不足に加えて、無断欠勤が続いている看護師が2人もいるので、過酷なスケジュールの上に、やらなければならない仕事は山ほどあった。

今夜も本来ならば、麻帆は夜勤の予定ではなかったのだが、応援看護師の都合がつかず、少々残業をすることになってしまった。

 

3人の看護師は、それぞれのやるべき仕事に忙しく手を動かしていた。

それでも、女の職場である。

たわいのないおしゃべりでもしなければやりきれない。

 

「ね、小西さんは唐橋先生と半田君、どっちが本命なの?」

 

主任看護師の北村に、真剣な顔で尋ねられた。

麻帆は、同僚から「主任は、唐橋のことを狙っている」と聞いたことが有った。

 

「案外、仮面ライダーが本命かしら?」

 

答えに困った麻帆は、宏美を見た。

宏美はすぐ隣で、点滴の袋に患者名を書く作業をしている。

しかし、宏美は顔をあげなかった。

 

「篤君は芸能人だし、私なんて本気にしませんよ。年下だし」

「それなら半田君だって年下じゃない」

「いえ…うん、そうよね。年なんて関係ないかも」

 

少し考えるように上方に視線をずらすと、麻帆は続けた。

 

「ずるいかもしれないけど、はっきり決められないんですよね。この年になるとやっぱり結婚を意識しちゃうし」

「結婚??あなた、唐橋先生にプロポーズされてるって言うの?」

 

ボールペンを握りしめたまま立ち上がった北村が、麻帆をにらみつけた。

 

「いえ、まだですけど、私、旦那さんがドクターって嫌なんです。友達にドクターと結婚した人がいるんですけど、どうしても対等になれないっていうか、喧嘩しても「看護婦の癖に」みたいな雰囲気になっちゃうらしいんです。なんとなく分かるので、ドクターはパスかな?って」

 

「じゃあ、半田くんは?」

「う〜ん、ハンサムだけどちょっと頼りないかなぁ。メールもしつこい感じだし」

 

「んじゃ、仮面ライダーは?」

「そうですね…ちょっといいかも。私、東京に憧れてるとこあるし」

 

北村はフンと鼻を鳴らした。

 

(最近の若い子は贅沢なのよ。あんただっていつまでも若い訳じゃないのよ!)

 

少し間を置いて、今度は麻帆が宏美に問いかけた。

 

「ところで、山下さんはどうなんです?」

 

「私?恋人?私なんて全然よ。男でも女でもいいから、今は相談できる相手が欲しいかな。だって…前田さんも笹岡さんも何も言わずに居なくなっちゃって、私、どうしたら…」

 

北村と麻帆は言葉に詰まった。

宏美と仲の良かった前田と笹岡という看護師の無断欠勤が続いているのだ。

しかも、家族にすら行く先を告げていないという。

 

二人は、同僚の心配もせずに、不謹慎だったと反省した。

宏美が2人と懇意にしていたことを忘れていた訳ではない。

涙を浮かべる宏美に、かける気のきいた言葉は見つからなかった。

 

その時、気まずい空気を断ち切るように、病室からのナースコールが鳴った。

麻帆が立ち上がり、迅速に応対する。

宏美は化粧室へ行くために、油性マジックを置いて、席を立った。

 

 

------------------Smoking place

 

 

11月○日(金)400p.m.

半田と篤は、中庭に続く通路に設けられた喫煙スペースに来ていた。

再会以来、二人は毎日会っていた。

懐かしさもあったが、篤としては、暇を持て余していたのだ。

半田が麻帆を目当てに、篤の病室を訪ねることが多かったが、こうして中庭に出ることも度々あった。

 

現在、禁煙化は国際的に進み、我日本国も、総合病院が率先して禁煙を推奨していた。

ここ、M記念病院も例外でなく、各階にあった灰皿は素早く撤去された。

舗装された通路の一画のみが、患者、見舞い客、病院職員を含む全てに対して、喫煙することを許されたスペースであった。

 

「おお、今日は貸切りじゃん」

 

篤は松葉杖を立てかけて、ベンチに腰を下ろした。

ベンチの前には、水の入った置き型灰皿が備えられている。

半田は篤に缶コーヒーを手渡すと、煙草を銜え、自分もプルトップを抜いた。

 

立ったまま、真剣な表情で篤と向き合う半田。

 

「なぁ篤、お前整形の看護師が行方不明になってるって話、知ってるか?」

「え?行方不明?」

「ああ、しかも2人。内科でもパートの看護師の消息が分からないらしい」

「そう言えば、整形の看護師さんたち忙しそうだ」

 

僅かな沈黙。

日陰のベンチに、冷たい風が吹き付ける。

思い出したように篤が煙草に火をつけて、ゆっくり紫煙を吐き出しながら言った。

 

「小西さん、ヤバくないか?」

「ああ、もし誘拐とか、そんな事件が起こってるんなら、狙われる可能性大有りだよ」

「かわいいもんな」

「俺なら、真っ先に狙う」

 

篤も半田も、お互いが持つの麻帆への感情は、語ることなく伝わっていた。

 

「余計な心配であって欲しいけど」

「守ってやりたいよな」

 

どちらからともなくその言葉が出た。

 

「だけどオレ、もうすぐ退院なんだ。心配だけど、撮影もこれ以上休めない」

「ああ、分かってる。でも、人類の平和を守るのは、お前の仕事なんだぜ」

「そうだよな。ギプスだし、オレ、歴代イチ情けない仮面ライダーかも」

 

「篤、今日、小西さんはちゃんと来てんのか?」

「いや、午後からの準夜勤だって。過酷なスケジュールみたいだよ」

「そりゃ過酷だろうな。夕べ、部屋の電気が消えてたのは、疲れて眠ってたんだな」

 

「え?お前、部屋まで行ったりしてんのか?彼女、一人暮らしだろ?」

「大丈夫、ストーカーまがいで外から見るだけだから。結構硬いよ、彼女」

 

「唐橋先生も振られたらしいね」

「当然。唐橋は小西さんのギプスが目的だから。ギプスフェチらしいし」

「ギプスフェチ?」

「彼女が骨折してギプスになったことがあったんだ。ギプスフェチは、ギプスに興味がある奴って意味さ。ギプスを見ると興奮するらしいぜ。変態だな」

 

そこまで話した時、通路から灰皿を目指して来るであろう老人の姿が映った。

半田は、飲み残したコーヒーを一気に呷り、腕時計を見た。

 

「あ、俺もう行かなきゃ。休憩おわり。じゃ、明日病室行くから」

 

言い残すと半田は小走りで走り出した。

 

 

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