読み物

X-ray氏作

Sorry Japanese only

         恐怖の廃虚病院  

(4)それぞれの夜

 

------------------Night shift

 

11月○日(金)6:00 p.m.

病棟では土日の区別なく、24時間仕事を中断するわけには行かない。

そのため、看護師は事務系と違い、一日を8時間に分けた3回の交代制勤務を強いられることとなる。

 

日勤   午前9:30〜午後5:00

準夜勤  午後4:30〜午前1:00

夜勤   午前0:30〜午前9:00

 

実際には引継ぎに多少の時間がかかるので、残業となる。

休日、休暇に関しては、休、祝日や有給休暇、土曜日休などの休みもあれば、土曜相当日(5時間勤務)や半休(半日の有給休暇)、更に日勤者と休日や土曜日休が振り分けられる。これは、婦長によりパソコンソフトで管理され、作成されていた。

 

看護師予定表

 

月曜日

火曜日

水曜日

木曜日

金曜日

土曜日

日曜日

北村正子

日勤

休み

夜勤

準夜勤

準夜勤

日勤

準夜勤

山下宏美

準夜勤

日勤

日勤

夜勤

日勤

休み

準夜勤

笹岡 香

日勤

準夜勤

夜勤

休み

夜勤

日勤

日勤

小西麻帆

夜勤

夜勤

準夜勤

日勤

準夜勤

夜勤

休み

前田順子

準夜勤

準夜勤

日勤

夜勤

休み

準夜勤

夜勤

 

 

勤務表(看護婦がいる時間)

 

月曜日

火曜日

水曜日

木曜日

金曜日

土曜日

日曜日

午前

北村
笹岡
前田

山下
小西

山下
小西
前田

北村
笹岡
小西

山下
前田

北村
笹岡

笹岡
小西

午後

北村
山下
笹岡
前田

山下
笹岡
前田

山下
小西
前田

北村
小西

北村
山下
小西

北村
笹岡
前田

北村
山下
笹岡

山下
小西
前田

笹岡
小西
前田

北村
笹岡
小西

北村
山下
前田

北村
笹岡
小西

小西
前田

北村
山下
前田

 

 

麻帆たち正看護師の後に、準看護婦、ヘルパーなどの勤務表が続いて記載されていた。

 

唐橋は、ナースステーションのパソコンを閉じた。

 

このように唐橋は、麻帆の勤務表のチェックを頻繁に行っていた。

勤務表には、まだ前田と笹岡の名前が記してあったが、他の科から応援の看護師が、交代で笹岡と前田の勤務をフォローしている状態だ。

彼女たちの消息は依然不明だった。

 

「先生…」

 

突然、声をかけられた唐橋は驚いて振り返った。

別に悪いことをしているわけではないのだが。

 

麻帆だった。

丸い壁時計の針は、午後の6時を指している。

引継ぎや交代も終了して、閑散としたナースステーション。

 

何か言いたげな様子で、唐橋に声をかけて来た。

唐橋は立ち上がり、麻帆に熱い視線を送る。

 

「あの、やっぱりいいです」

「言いかけて止めるなんて、君らしくないな」

「本当に大したことじゃないですから…」

 

唐橋は、麻帆の手を取った。

そのまま、少し強引に、奥のドアの陰まで移動する。

 

「やっぱり君は、僕が気に入らないのかな?」

「気に入らないなんて、そんなこと…」

「じゃあ、何故付き合ってくれないの?」

 

唐橋は、苛立ちを隠しきれなかった。

医師としても、男としても、自信があった。

躓くことなく、思い道理に進んできた自分の人生を思った。

もちろん女性に対しても。

 

「本気なんだ。結婚を前提に交際してもいいと思っている。君は、まだ僕の事をよく知らないだろう?なぁ、一度付き合ってくれよ」

「せっかくですが私、忙しくてとても時間がありません。先生が見ていらしたパソコンの勤務表をご覧になれば、お分かりになりますよね。残業を頼まれたり、ゆっくり眠る時間もないくらいですから」

「も、もちろん、急がないよ」

「それでもたぶん、私、お断りすると思います」

「何故?」

「先生に興味がないからです。では、勤務中ですので」

 

するりと腕を抜けていく麻帆を、唐橋は引き止めることは出来なかった。

言い返す言葉が見つからない。

情けない自分にも腹が立った。

きっぱりと断られた今、望めぬ愛であるというのに、まだ諦められない。

 

その麻帆への想いは、やがて形を変えて麻帆に迫っていくことになる。

唐橋は、クールな自分に戻れるよう、必死で憤りを押さえつけた。

 

 

------------------The whisper of night

 

 

麻帆は、自分が毅然とした態度で、唐橋に返事をできたことが嬉しかった。

 

好意を持ってもらえるのは嬉しいが、熱心すぎるのは逆効果である。

交際する、しないよりも、まず、気持ちの繋がりが欲しい。

そう思っていた。

今まで友達だった人を、ある日突然好きになることも有り得るのだから。

 

逆に、女というのは、一度「嫌だ」と思った相手とはなかなかうまく行かない。

永遠の愛を誓った翌日に、覚めてしまうことだって有り得る。

それでも、誰かを想うのはとても幸せなことだと麻帆は思う。

 

麻帆は思い出したように、篤の病室へと足を向けた。

 

「篤君、お願いがあるんだけどちょっといいかしら?」

 

遠慮がちにベッドに腰掛け、雑誌をめくる篤に近づいた。

篤の足は順調に回復し、転院許可も下りていた。

 

「どうしたの?」

 

怪訝そうに尋ねる篤に、麻帆が、くるりと後ろを向いた。

 

「落とすといけないと思って、首に時計を掛けたら、髪にからまっちゃったの。見て欲しいんだけど、構わない?」

 

身を屈めて、髪をかき上げるような仕草で、篤に首筋を向けた。

実は、先ほど、唐橋に言いかけて止めたのはこのことだった。

 

「ここに座ってよ。よく見えないから」

 

麻帆をベッドに腰掛けさせた篤は、初めて麻帆の髪に触れた。

結い上げた細い髪の根元に、咬む銀の鎖が見えた。

麻帆の甘い香り。

 

それはほんの少し、篤が指先で撫でただけで、意外なほどあっけなく、後れ毛から外れた。

懐中時計のチェーンは、残された重みで麻帆の胸の中にするりと落ちる。

 

人目を避けるように俯く麻帆のシルエットが美しかった。

後ろから篤が、麻帆だけにしか聞こえない声で優しく囁いた。

 

「好きだよ」

 

篤は、麻帆の左肩にそっと手をかけた。

驚いたように振り返り、篤を見つめる麻帆。

見つめあった刹那、篤はためらう麻帆の唇をキスで塞いだ。

 

驚いて麻帆はすぐに立ち上がったが、嫌だという気持ちは微塵もなかった。

突然のキス。

困惑と羞恥に身がすくむ。

 

それを見透かしたように、篤が、はにかむように笑った。

 

麻帆は、真っ直ぐ見つめる篤の瞳に、ときめきを感じた。

屈託のない笑顔が愛しいと心から思った。

 

「篤君は芸能人だし、こんなこと挨拶程度のことなのよね?」

 

僅かに首を振り、少し寂しそうな目を伏せて麻帆が尋ねた。

 

「そんなことない。オレ、小西さんと本気でつきあいたいと思ってる」

 

篤は、静かにベッドを降り、立ち尽くす麻帆を抱きしめた。

麻帆の揺らめく気持ちまで抱きとめるように、両の腕で優しく包み込んだ。

 

「今、行方不明事件が起こってるんだろ?思い切って東京に来る気はない?

このまま離れたくないし、小西さんが狙われたらどうしようって、本当に心配なんだ」

 

耳元に囁く篤の声が、麻帆の胸の深いところまで流れ込んできた。

篤の背中越しの窓に映るネオンと、赤く繋がるテールランプの帯が、幻想的に煌き揺れた。

麻帆は、そっと指を伸ばしてカーテンを引き、篤から離れた。

 

 

------------------Homicide

 

 

11月○日()1100p.m.

廃虚病院。

唯一の入院患者である加藤よし恵は、まだ生きていた。

男が現れた後に残して行った、僅かな糧を啜りながら。

 

室内とは思えぬ、凍てつくような冷気に震え、身を縮める。

手足を砕かれた肉体的な痛みより、自由を束縛された、精神的に耐え難い時間が苦痛だった。

 

男は、長時間姿を消す。

恐らく、何事もなかったかのように、病院勤務を遂行しているのであろう。

 

よし恵は、手術台にギプス患部を縛られ、拘束されていた。

右手、右足、左足は動かすことが出来ない。

 

よし恵は、器用に腰を上げ、唯一動かせる左手で、与えられた尿瓶を操り、自らの尿を取った。

幾度も男から受けた、訳の分からない注射や点滴の投与のせいなのか、体調はすこぶる悪く、発熱によって時折意識が朦朧としていた。

 

風の音だろうか?

耳を澄ますと、うめき声のような声が聞こえて来る。

 

よし恵は、看護学生時代の、内科病棟で行った症例研究の臨床実習を思い出していた。

病室のほとんどの患者は、末期がん患者であり、死の神に魅入られた人々は、腕を伸ばし白目をむいて全身の苦痛を訴える。

何やら叫びながら褐色の液体を嘔吐する者、喉に痰が詰まり喘鳴に喘ぎもがき苦しむ者、喀血に枕カバーを真っ赤に染めて、こみ上げて来る咳をこらえる者。

 

深夜に亡くなる患者も多く、断末魔の叫びはいつまでも耳を離れなかった。

ターミナル・ケアを学ぶ内科実習は、地獄絵図のような現実であった。

 

その、苦しみ喘ぐ患者が、自分と同じように、この廃虚病院に入院しているような気持ちになってくる。

 

薬の副作用なのかもしれないが、血にまみれた人影が、助けを求め、よし恵にすがりつく…といった恐ろしい幻覚に、幾度となく襲われた。

 

長時間吊り上げられたままの手足の指先は、感覚がなくなっていた。

自由が利かない肩や腰はこわばり、引き裂かれるような痛みを伴った。

 

何よりも、一人きりの孤独に、気が狂いそうになる。

逃げ出そうと、何度も試みはしたが、四肢を縛る戒めはどうにもならない。

あと、どれぐらいここでの時を過ごしたら楽になれるのだろうか?

 

恐らく、次に男が現れたとき、自分は殺されるのだろう。

殺される?

私が?

 

私がいったい、あの男に何をしたというのだ。

理不尽な思いに、強く唇を噛み締めた。

 

男の目的も分からない。

ただ、何の疑いもなくあの男の車に乗り込んでしまった自分が悪いのか?

 

耳の奥で、患者のうめき声がこだまする。

次第によし恵の生への意欲が薄れてゆく…。

静かに時は流れた。

 

 

------------------Selfish illusion

 

 

11月○日(土)200 a.m.

夜も更けたというのに、半田は眠れなかった。

明日の仕事を思って、眠らなければならない。

そう思えば思うほど、目が冴えてしまう。

身体は疲れているに違いないのだが。

 

半田はベッドから抜け出し、起き上がった。

一人暮らしの侘しいアパートである。

 

クローゼットから、大きな紙袋を取り出し、床の上に下ろした。

ゆっくりと袋からギプスを取り出す。

目下、半田の宝物である、麻帆が使用していたギプスである。

 

今度は、二つに割れたショートギプスを、白いテーピングテープで、丁寧に張り合わせた。

入手以来、もう何度も匂いを嗅ぐために、開けては閉じ、開けては閉じを繰り返してきた。

 

脛の中央に、黒いハートマークの落書きがある。

これは、当時、半田がふざけて麻帆の足に書いた、言わば目印だった。

ギプスは、時間の経過と共に、やや黄色に変色し始めていた。

 

使用済みギプスを含めた主な医療廃棄物の処理は、専門の外部業者に委託している。

半田が見つけた麻帆のギプスも、大型のポリバケツにまとめて捨てられていた。

たとえゴミであれ、私用にギプスを持ち出すのは、もちろん違法行為である。

 

しかし、半田にとって麻帆のギプスは特別だったのだ。

どんな危険を冒しても手に入れたかったのだ。

 

半田は、貼り合わせたギプスを抱きしめてキスをした。

ザラザラとした間隔が頬を滑る。

脳裏に浮べるのは、かつての麻帆の松葉杖で歩く不自由な姿。

 

半田は、タンクトップの細い肩に、そっと手を伸ばした。

なすがままに目を閉じる麻帆。

麻帆が、松葉杖を脇に添えたままで、半田の首に両手を回しキスをした。

慌てて麻帆を抱きとめる。

 

重なる二つのシルエット。

半田が支えた麻帆の腰からゆっくり手を伸ばし、すでに濡れそぼった真珠を探り当てる。

ゆるやかに伝わる柔らかな感触と温もり、震える吐息、喘ぎ声。

 

半田の指が強弱をつけて蠢く。

押し寄せる高波に、全体重を支えていた麻帆の健康な足がよろめいた。

両手を半田の背中に回したまま、膝から崩れ落ちる麻帆。

 

すでに、半田の下半身は熱く、固かった。

 

想像上の麻帆は、妖しい仕草で服を脱ぎ、半田を誘う。

 

「来て、お願い」

 

半田は、ギプスの足先の穴にペニスを挿入した。

 

長い睫を震わせて麻帆は、半田の執拗な指先の攻撃に耐え忍ぶ。

半田は、甘い唇から下に下にと、舌と唇でたくさんのキスを贈る。

首筋に、肩に、乳房へと滑る半田の舌が、傷ついたギプスの足先へと辿りついた。

 

麻帆は眉間に皺をよせて、いやいやをするようにビクンと首を傾ける。

 

ギプスを抱きかかえた半田は、白い足指の一本一本を、丁寧に口に含み、味わった。

そしてゆっくり引き寄せて、ギプスの足を肩に担いだ。

突然、強引に開脚され、恥らい、声を上げる麻帆。

デリケートな刺激で、ねっとりとした蜜壷を、ついに半田のペニスが征服した。

怒張した篤の肉茎に貫かれ、麻帆の腰は大きくうねりを描いた。

 

「ああ…いく…」

 

こみ上げる妄想は最大限に膨張し、

…弾けた。

 

幾度目かのバイブレーションを繰り返した後、半田は果てた。

 

疲れ果て、それでも半田は、眠ることが出来なかった。

 

オレンジ色の薄灯りの中で一人麻帆を想い、見えない嫉妬に苦しんだ。

限りない孤独が、心を迷わせる。

今頃、彼女はどうしているだろう。

淡い夢を抱きながらも、叶わぬ夢に挫折する。

すり抜けてゆく満たされない想いに、胸を痛めながら。

 

半田は、立ち上がり、身支度を整えるとヘルメットを取った。

軋む階段を駆け下りて、バイクのカバーを外す。

 

暖機もそこそこに、身を切るような冷たい夜に飛び込んだ。

こんな時間、何処に半田は向かったのだろうか?

低い1000ccの排気音が、オイルの匂いを残し、悲しげに遠ざかっていった。

 

 


 

 

-------------------In an apartment

 

 

11月○日(土)300a.m.

深夜1時までの準夜勤を終えた麻帆は、ようやく自分の部屋に帰ることが出来た。

このところ麻帆は夜勤が多かった。

 

経験の長い麻帆が、準夜勤、深夜勤を任されてしまうのも仕方のないことだが、突然失踪した2人分の負担は麻帆の肩に重くのしかかり、婦長には悪いと思うが、仕事を投げ出してしまいたい夜も多かった。

 

食事を済ませて来て正解だった。

病院では几帳面で丁寧な看護を誇る麻帆だが、料理はもちろん、こうして誰も居ない部屋に帰ると、何もする気が起きないのだ。

 

特にやりたいことが見つからないまま、看護婦であった母に影響されて行きはじめた看護学校だった。

しかし、やり始めるとこれほどやりがいのある仕事はないだろう、と、すっかりハマってしまったのである。

 

遮光カーテンを引いた。

母もこんな、コウモリのような生活をしていたのだろうか?

 

今でこそワンルームマンションに住めるようになったが、父母の元から通うときは忍び足で準夜勤から戻ったものだ。

元来派手な顔立ちのため、水商売だと近所で噂されたのも一度や二度ではなかった。

 

両親の反対を押し切って始めた一人暮らしだが、一人娘を心配する親の気持ちも分からなくもない。

麻帆とて、両親の健康は心配である。

 

ああ、兄弟がいたらよかったのに。

一人娘なだけに、将来の不安も大きい。

 

もし、弟か兄が居たら将来は両親に、孫に囲まれ賑やかに暮らしてもらえるのに。

ドロドロに疲れた身体をベッドに横たえながら、叶わぬ夢を空想してみる。

 

実際、麻帆には兄がいたらしい。

母は後妻であり、亡くなった先妻には息子がいたという。

しかし、幼いときに行方不明になったまま消息不明だという話を聞かされた。

幼かった麻帆にはまるで記憶がないのだが。

 

そのまま麻帆は、瞼を閉じて泥のように眠った。

今夜もまた、夜勤が待っている。

脳裏に、篤の顔が浮かんで消えた。

 

 

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