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X-ray氏作

Sorry Japanese only

        

 (5)失踪

 

------------------Internal organs

 

11月○日(土)000a.m.

男が廃虚病院へ戻ってきた。

すでに男は、見慣れたグリーンの手術着に着替えていた。

男は、燭台を持ち込み、幾つものロウソクを灯し始めた。

 

混沌と澱む重苦しい空間に、不似合いなほど幻想的に浮かぶキャンドルライト。

張り詰めていたよし恵の緊張感が、少しずつ諦めへと傾き始めていた。

 

二重人格?いや、もっと奥の深いものかもしれない。

この男は私を殺すのに、ためらうことなどしないだろう。

 

暗闇から解放され、少し冷静になれたようだ。

どこかに隠してしまったのか、前田順子の遺体は見当たらなかった。

彼女もまた、自分と同じような目にあったのだろう。

そして自分もまた、同じように犠牲になるに違いない。

 

男は、睡眠不足のためだろうか、憔悴した面持ちである。

しかし、その表情は明るく、精気が漲っているようだ。

 

ああ、早く、せめて苦しまないよう、ひと思いに殺して!

心からそう願った。

心配しているであろう夫や両親の顔が、涙に滲んで浮かんだ。

生きたい。

生きて家に帰りたい。

 

その思いにすがりつき、今まで必死に耐えて来た。

しかし、これ以上の苦痛を与えられるのならば、せめて正常な精神でいられるうちに殺された方が、楽になれるのではないだろうか?

 

ぼんやりと天井を見つめていると、終始無言だった男が、よし恵に語り始めた。

 

「次の入院患者を決めたよ」

 

この男は、まだ次の犠牲者を出そうと言うのか。

また誰か他の看護師を連れて来るつもりなのだろうか?

 

男の声が、響いた。

 

「いつにしようかと思ってたんだけど、今日、ちょっとあってね。ブッ殺してやりたくなったんだ。ああ、早くきれいな顔を引き裂いてやりたいよ」

 

「こ、小西さん?」

 

もしかしたら…?と思う一人の看護師の名前を口にした。

彼女は美人だし、男ならきっと彼女を狙うだろうと、思った。

 

「そうそう。よく分かったね。彼女は特別だから、特別な歓迎しなくっちゃ」

「いつまでもこんなこと…」

 

続かないわよ…言いかけて、止めた。

意味がない。

 

「私を殺すの?」

 

男が、怪訝そうによし恵を見た。

よし恵は首を振って、叫ぶように続けた。

 

「何故、何のために私はここに連れて来られたの?」

 

 

よし恵の悲痛な声を背中で聞いていた男は、腰を落とし、持ち込んだバッグからブルゴーニュの瓶を取り出した。

 

「前田さんも笹岡さんも君も、素晴らしい看護師だし、素敵な同僚だよ。でも、小西麻帆は特別なんだ。彼女のために骨折のさせ方とか、いろいろ勉強しておきたかったし、ここに残ってる薬がどの程度使えるのかも試しておきたかったんだ」

 

(練習台…)

 

あまりに身勝手な男の返答だった。

 

「さ、飲もう。君との最後の夜に乾杯だ」

 

慣れた手つきで栓を抜き、放心状態にあったよし恵の唇に、男は口移しでワインを注いだ。

よし恵の髪に、ゴム手袋の指がそっと触れた。

右手に握られたメスが光る。

 

「ありがとう。君には感謝しているよ。君の声は少し母に似ていたし、ギプスも綺麗だった。とっても楽しかったから、綺麗に終わろうね」

 

耳に届く声は、かつての彼と同じ、優しい口調だったのに、左腕を拘束した腕の力は荒々しく、とても抵抗できるものではなかった。

 

よし恵は強く目を閉じた。

心の中で今までの思い出が一気に溢れ、涙と共に流れ出した。

 

 

その時だった!

鋭いメスの切っ先が、首筋から真っ直ぐに下りてきた。

避けられるはずもなく、メスはよし恵を切り裂いた。

 

胸部は肋骨が当たって深くは切れなかったが、やわらかい腹部は脂肪を散らせながら、

ぱっくりと口を開けた。

 

「いやぁあああああああーーーーーー」

 

鮮血がぱっと飛び散り、すさまじい激痛がよし恵を襲う。

男は腕を差し込み、腸を掻き回すようにしながら、ステンレスが鈍く光る台の上に、湯気でも立ちそうな生々しい臓器を引っ張りだした。

 

異臭が漂い、おびただしい出血と体液は更に量を増した。

 

よし恵は途絶えかける意識の中、なんとか飛び出した臓器を戻そうと、無意識のうちに腹部に左手を当て、生温かい小腸をわし掴みにして動かしていた。

しかし、大量の出血により、それ以上動けなくなった。

 

男は、水色のポリバケツに、よし恵の内臓を切り取り、集めては入れた。

脂肪と血液でどろどろとなったゴム手袋を忙しく動かしながら。

心臓だけは、切り取ってからもしばらく動きを止めなかった。

 

しばらく元同僚のよし恵の顔を眺めていたが、思い出したように、空っぽになったよし恵の腹部の縫合を始めた。

 

「ああ、やっぱり赤いギプスは綺麗だね」

 

そうつぶやいて男は、糸の着いた縫合針を投げ出し、満足げな笑顔を浮かべた。

 

 

男の足元に、すっかり気化してしまったホルマリン漬けのビンがいくつも転がっていた。

それは、長い年月を経て、カサカサに乾いてしまったようだ。

 

そのホルマリン漬けのビンのラベルには、20年以上前の日付が記載されていた。

 

 

 

        (5)失踪

 

------------------Face to face

11月○日(日)100 a.m.

麻帆は、土曜日もまた夜間勤務であった。

日曜日が休みであるというのに、日曜の午前0時から働き出すのはおかしな話だが、土曜日の夜勤として勤務しているのだから仕方がない。

 

麻帆は篤の病室に向かっていた。

点滴の交換もなく、重症患者でもない篤を、わざわざ見回る必要もないのだが、休みを挟み、暫く病院を離れるので、顔が見たかった…というのが正直な理由であった。

 

消灯時間は午後10時。

1時となるとすでに、深夜の時間帯である。

全病室の電気は消され、静まり返っている。

消灯より1時間過ぎくらいであれば、イヤホンを使いテレビを見ている患者も多いのだが、朝の早い入院患者は、必然的に早く休むこととなる。

 

篤は眠ってしまったのだろうか?

横に扉を軽くスライドさせて、覗き込んだ。

そっと足音をたてないように、気をつけながら入室。

 

ベッドに向け、懐中電灯を照らしてみた。

 

「小西さん」

 

ささやくような声がした。

 

「まだ起きてたの?」

 

本当は、篤君が起きているのを期待して来たんじゃないの?

麻帆は、自問自答してみる。

答えはYES。その証拠に身体が火照っている。

 

「小西さん、休みはいつなの?」

「今日よ。朝になったら帰るわ」

「これ…」

 

渡そうとする、篤の手元を照らす。

入院案内書?

麻帆は手渡された紙を受け取った。

 

「オレの携帯とメアド。裏に書いてあるから」

「ありがとう。でも私、東京に行けるかは、分からないわよ」

「うん、でも、十分気をつけて。後つけられたり、何かあったら電話して。確かにこんなギプス男じゃ頼りないけど、一応仮面ライダーだし、小西さんを守りたいから」

 

麻帆にしてもこのところ身近で起きている事件に、十分に警戒しているつもりだ。

ギプスで松葉杖の患者が、健康な自分を守りたいというのもおかしな話だが、篤の気持ちが嬉しかった。

 

篤は起き上がり、ベッドに腰掛けるように座った。

立ったまま向かい合う麻帆。

廊下から僅かに入る薄明かりの中、映す篤の輪郭が笑顔になった。

 

麻帆は自分から身を屈めて、篤に軽くキスをして頬を合わせた。

体温が伝わるのと同時に、ほのかに爽やかな干草に似た匂いを感じた。

何か伝えたい気持ちはあったが、言葉にならない。

 

篤の腕が、麻帆の背中に伸びた。

甘く酔ったように下半身が疼く。

しかし、麻帆は理性でそれを振りほどいた。

 

「おやすみ」

 

笑顔で挨拶するのがせいいっぱいであった。

何してるの、勤務中なのに!

戒めるように、自分で自分を叱咤する。

 

「月曜日、待ってるよ。たぶんオレ、水曜には退院しちゃうから。でも会いに行く、必ずここまで会いに来るよ」

「分かった。じゃ、そろそろ行くね」

 

束の間の抱擁に、篤もまた、胸が熱くなった。

麻帆への気持ちは、一時的なものだと思っていた。

しかし、半田や唐橋というライバルが現れた時から、誰にも渡したくないという感情に、確実に変化した。

 

病室を出て行ってしまうの麻帆を見て、少し寂しく思った。

篤は、頬に触れた麻帆の温もりを確かめるように、手のひらを頬にあてがった。

 

 

------------------Painful night

 

 

12月○日(月)1130 p.m.

日曜の朝、夜勤勤務を終えた麻帆は、確かに従業員専用通路を通り帰路についたと言う。

警備員からも、タイムカードに記された時刻に病棟を出たと確認が取れている。

しかし、麻帆は月曜日の夜勤申し送りに姿を現さなかった。

 

交代の看護師やナースステーションに集う看護婦、準看護師たちは、姿を見せない麻帆を心配して何度も一人暮らしの自宅、携帯電話に連絡を試みた。

婦長にも連絡を取り、指示を仰いだ。

しかし、ついに全くの消息不明となったのである。

 

ナースステーションの慌しい動きと、何より麻帆が現れないのを確認した篤は、半田に携帯電話で連絡を取った。

しかし、入院中の篤に出来ることは、それが精一杯であった。

 

篤にとって、長く、眠れない夜だった。

 

昨夜抱きしめたばかりの麻帆はいったい何処へ行ってしまったのだろうか?

明日の予定さえも尋ねなかったことが、悔やまれてならない。

教えたばかりの携帯電話を握り締めて、狭い部屋を右往左往した。

 

果たして、昨日渡した携帯番号に、連絡は来るのであろうか?

彼女が救いを求めて来たところで、自分に何ができるだろう。

 

入院患者という、あまりに無力な自分が悔しかった。

昨日も、その前も、懐中電灯を携えて訪れた麻帆が今夜は来ない。

もどかしさだけが、残された真夜中につのる。

 

篤は、長い時間天井を見つめていた。

 

夜明け前。

ふいに起き上がった篤は、冷たい床に足を下ろした。

膝上まである、ロングギプスの足に故意に体重を乗せてみる。

 

「うっ…」

 

骨折した足首から、全身を貫くような鋭い痛みが走った。

篤は、身体を支えきれずに、固く冷たい床に両手と右ひざを着いて崩れた。

 

明日の診察時間に、膝下のショートギプスに巻き替えが予定されていたが、巻き替えをしたところで、この痛みが消える訳ではない。

自分の身体すら支えきれない無力さに、焦燥感ばかりが押し寄せた。

痛みをこらえて立ち上がり、カーテンを開ける。

 

今、何処にいるのだろう?

今、誰といるのだろうか?

 

ガラス越しに映る、降り出した細かい雨に、麻帆の無事を祈った。

 

 

------------------Derangement

 

 

11月○日(月)1100a.m.

数時間の長いドライブの末、麻帆は暴力に屈して車を降りた。

気温が低く、空気が冷たかった。

薄手の白いセーターにスカート、その上に軽いコートを羽織っただけの軽装である。

そこは、下界の青空を疑いたくなるほどに、暗雲広がる霧が霞んでいた。

 

荒んだ風景に溶け込み、苔むした石板を踏み進みながら、不気味な敷地内に飲み込まれて行く自分があまりにも非日常的であった。

これは夢?

 

しかし、叩かれた頬の疼痛が恐ろしい現実に引き戻す。

 

男に手を引かれ、麻帆はついに、廃虚病院のエントランスへと足を踏み入れた。

黴臭い、重苦しい空気に阻まれて足がもつれる。

 

暗闇が麻帆を待ち受けていた。

バリケードで塞がれた窓から、かすかな光が漏れるだけで、室内の明細な様子は伺えない。

しかし、機能していない「病院」であることは、独特の雰囲気とかすかな消毒薬の匂いで予想が着いた。

 

この男の目的は何だろうか?

見慣れた背中、足取り。

麻帆は、数歩前を歩む男が、見知らぬ別人であるように思えてならなかった。

 

階段を3階まで上り着くと、明るさを取り戻すことが出来た。

長い廊下の白壁に沿うように、規則的に並んだ幾つかの扉が見渡せる。

どうやら、入院患者の個室のようである。

3階の廊下側の窓はバリケードがなく、廊下をやわらかな陽が照らしていた。

 

しかし、男と建物の異様な雰囲気は、前にも増して高まり、麻帆に襲い掛かる。

 

怖い!

本能的に危険を察知し、足を止めるが、麻帆の腕は、渾身の力で握り絞める男の力を振り解くことは不可能であった。

引き摺られるようにして、幾つかの扉の前を通過した。

 

不意に男の足が止まった。

鉄の扉のひとつに、男が手を掛ける。

フスマのように軽くスライドして、扉は開け放された。

 

男が目で合図する。

「中に入れ」と。

 

隔離病棟?看護室?

そこは、精神科の独房のような個室だった。

 

鉄格子。

灰色の冷たいコンクリートの上に置かれた、ひとつきりのベッド。

その奥に剥き出しの便器が覗いた。

 

「こんなところに連れて来て、私をどうするの?」

 

ここへ着くまでに、何度同じ質問を繰り返しただろうか?

何を問いかけても、男は無言の回答だった。

 

「傷つけないよ、今はまだ」

 

不意にぽつりと男がつぶやいた。

 

こんなところに居ると、自分まで精神科の患者になったような気持ちになってくる。

まさかこの男こそが、精神異常者であるのか?

今まで、そんなことをおくびにも出さずに、勤務していたと言うのか?

 

困惑して立ち尽くす麻帆。

今まで、素直に男に従ったのも、どこかに「同僚」という気安さがあった。

たとえレイプをされたとしても、それだけで済むだろうという、甘い考えがあった。

 

確かに、いつもの彼とは違う。

明らかにおかしい!!

 

とたん凄まじい嫌悪感と恐怖が麻帆を襲った。

 

ガシャーーーン

 

大きな音をたてて、鉄の扉の閂がかけられた。

牢獄に監禁されてしまったのだ。

 

男は、何か急いでいるようだった。

麻帆を閉じ込めると、男は逃げるように姿を消した。

 

改めて、室内を見回す。

この部屋は、精神病棟で、他人、あるいは自分に危害を加えてしまう恐れのある患者を、隔離する目的のために存在する「隔離室」だろう。

今は、「保護室」と呼んだだろうか。

麻帆は、精神科に勤務した経験は皆無であった。

 

今はまだいい。

しかし、陽が落ちたらどうなってしまうのだろう。

何の目的で、自分が監禁されているのか理解できない。

粗末なベッドに腰掛けて、麻帆は携帯電話を取り出した。

 ◆next