読み物

X-ray氏作

Sorry Japanese only

 

(7)開放骨折

 

------------------Compound fracture

 

11月○日(月)8:00 a.m.

螺旋階段で、麻帆に先行された男は、ようやく麻帆に追いついた。

麻帆は、鉄製の階段で転倒した後、バリケードとなった廃材に激しく身体を打ちつけ、崩れたコンクリートブロックの上に、横向きになって倒れていた。

 

男は、冷ややかな視線で、麻帆を見下ろす。

 

逃げ出さなければ、こんなところから落ちなくて済んだのに。

ゆっくりと酷い目に合わせてあげようと思ってたのに…。

 

男が、抱き起こそうと腰を屈めたとき、麻帆の身体の異常に気が付き、眉を寄せた。

 

「ああああ…痛い…足…」

 

麻帆がうめき声をあげた。

バイタル反応はあった。

軽く腕を取り、脈を取る。

 

殺すつもりで追いかけていた麻帆の脈を、思わず取ってしまった自分が可笑しかった。

まったく、習慣とは恐ろしいものだ。

改めて、受傷部位に目をやる。

 

この時点で、かなりの血液が溢れ出していた。

ひどい挫傷だ。

右下腿部のストッキングが破れ、鮮血が噴出している。

裂けた三角形の切断面からは、骨折した脛骨が割れた状態で大きく露出していた。

開放骨折だ。

さらに観察すると、右大腿骨の変形も見てとれた。

 

このまま、放置してしまおうか?

 

自分が、止血を試みなければ、失血死もできるかもしれない。

あるいは感染症の危険。

多発骨折で起きる外傷性ショックの可能性もある。

 

男は、座り込んで麻帆の髪を撫でた。

 

飛び散ったガラスの破片が煌き、肩に落ちる。

青ざめていく横顔を美しいと思った。

 

 

大人になった麻帆を抱き上げるのは、初めてだった。

と、言っても、幼少時代の麻帆とは、あまりふれあうこともなかったのだが。

 

男は、一定の距離を置き、麻帆を見守るようにして生きてきた。

遠い存在であった頃は、初恋にも似た、憧れの存在であったのに、同じ病院で働き始め、

近しいものとなった時、あまりにも自分の想像する理想の女性とかけ離れていた。

 

次第に憎しみを覚え、気が付けば殺してやりたいと、再び思うようになっていた。

この場所にも、苦しめて殺すつもりで誘い出したのである。

 

しかし、実際に腕の中で眠る麻帆を掲げると、忘れかけていた愛おしさがこみ上げて来て、非常に複雑な心境であった。

 

再び手術室に戻り、処置台の上に横たえる。

少しの振動でも傷に響くのか、激しく、それでいてせつない声をあげる麻帆。

見た所、打撲や擦過傷はあるものの、右足以外の骨折はないようだ。

しかし、この骨折こそが問題である。

 

もしここが、救急病院であるならば、すぐに創部の圧迫止血、ルートの確保、採血(血液検査)、モニター装着(BP、ECG)、バルーンカテーテル挿入、レントゲン撮影、着衣の除去と保温、家族への連絡依頼、カルテの作成、問診…といった手順で治療にあたるだろう。

 

骨折は、体表と連続していれば、「開放骨折」という。

最近では、使われなくなった単語だが「複雑骨折」ということだ。

複雑骨折は、骨が粉々に砕け散ることではない。

 

骨は細菌に非常に弱い。

細菌が傷口から入る前に、整復固定を行わなければならないのだ。

開放骨折は、骨折後6時間以内のゴールデンタイムに処置を終えなくてはならないと言う。

下腿開放骨折のおおよその出血量は10002000ml

男は、腕を組み考えていた。

まだ、麻帆が誘拐されたことを知る者はいない。

病院関係者は、夜勤明けで帰路につき、休んでいると思うに違いない。

麻帆は襲いかかる激痛に、もがき苦しんでいる。

出血のために、意識が朦朧としているようだ。

果たして、この廃虚病院で、麻帆の治療を行うことは出来るのだろうか。

男は麻帆を、このまま放置して行ってしまうのだろうか?時刻は8時半。

6時間以内に、ぱっくりと割れてしまった右脛の適切な処置は、行えるのであろうか?




------------------Activity start

 

麻帆の消息が途絶えて直ぐに、日付は変わった。

朝になって、半田が病室に訪れたが、彼の顔色もまた酷いものだった。

何の手がかりも見つけられないまま、ただ時間だけが悪戯に流れていった。

 

予定通り、担当医の唐橋の診察を受けた篤だったが、唐橋もまた憔悴した面持ちで、赤い目をして現れた。

せつない想いは皆、変わらないのだろう。

 

 

11月○日() 2:30a.m.

言葉少なに診察を終えた篤の足には、ロングギプスが外され、膝下のショートギプスがぴったりと巻かれていた。

ギプスを外した時に見た自分の足は、思った以上に筋肉が落ち、細くなっていた。

 

長い間曲げられなかった膝が少々痛んだが、歩行は随分と楽になった。

しかし、麻帆のことを考えると胸が苦しくなる。

松葉杖の自分に何かできるだろうか?

ギプス室からの帰り道、病室に戻る足取りは重かった。

 

病室の前の廊下まで戻った時、突然、携帯のバイブレーションをポケットで感じた。

立ち止まり、松葉杖が倒れるのも厭わずに、慌てて携帯を取り出す。

着信メールは半田からだった。

 

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退院を早める事はでき

るか?大至急!!

俺のアパートに行って

車を取って来て欲しい。

小西さんの手がかりを

見つけた。

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短い文章に、篤は興奮した。

小西さんの手がかりが見つかった?

 

震える親指で、半田に返信する。

 

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了解。手続きは要らない。

お前の家、教えて。

今すぐレントゲン室に行く

から。

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そのまま病室に戻り、急いで着替えを済ませた。

ジーンズを履き、デニムのジャケットを羽織る。

私服に着替えただけで、傷が完治したような気分になるから不思議だ。

人目を避けて、篤は、エレベーターに乗り込んだ。

幸い、ナースステーションの看護師に見咎められることはなかった。

すぐにでも、退院許可は下りるであろうが、手続きの時間が惜しかったのだ。

 

放射線室前の廊下で、半田からパジェロのキーとアパートまでの略地図を受け取った。

 

「詳しい話は後でするから。なるべく急いで!頼む」

「ああ」

「無理するなよ」

「大丈夫」

 

心配そうに鍵を渡す半田に、篤は笑顔で答えた。

 

短いやり取りでは、半田がどんな手がかりを見つけたのか?尋ねる暇もなかったのだが、麻帆のためにすべきことが出来たのは、半田に感謝する外ないだろう。

 

正面玄関の前には、常時、数台のタクシーが待機している。

煙るような細かい雨が降っていた。

ひと月前より遥かに冷たい空気に、篤は時の流れの早さを感じた。

 

 

------------------Prepares.

 

 

車の運転は、思ったより簡単に行うことが出来た。

半田のパジェロがオートマだったのと、骨折が左足だったことが幸いした。

クラッチのないオートマティックの車なら、アクセルとブレーキは健康な右足で操ることができるからだ。

 

長い病院生活が続いたので、ハンドルを握ることは新鮮だった。

 

市街地は商店が立ち並び、僅かに活気を見せていたが、ほんの少し街から離れるだけで、もの悲しい寂れた雰囲気に景色を変える。

念のため、ガソリンを補給し、食料や飲料水も買い求めた。

半田はどこへ行くつもりだろうか?

 

見知らぬ街で、半田のアパートを探すのに多少時間を費やしたが、無事、パジェロを病院の裏手に停車させることが出来た。

サイドブレーキを引き上げると、半田の携帯にメールを入れる。

 

勤務中の半田は通話することはできない。

本来なら携帯を病棟に持ち込むこと自体、禁止されているのだから。

 

----------------------------------

今、病院の裏だ。

駐輪場の前。

これからどうすれば

いい?

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半田から、すぐに返信メールが来た。

 

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駐輪場の裏に従業員用

Pが有る。No19そこに

今から10分後。遅れるな

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10分後。

篤はコンソールの時計で時間を確認した。

 

510 p.m.

 

半田の勤務は終わったのだろうか?

いったい手がかりとは何か?

灰皿に煙草を押し付け、深呼吸をした。

篤はギアをドライブに入れた。

 

すでに辺りはほの暗く、夕闇が漂い始めていた。

 

思いのほか広い駐車場だった。

警備員は不在のようだが、空きスペースが少ないようだった。

目を凝らして番号を確かめる。

 

No19の駐車スペースは、駐車場入口のすぐの角であった。

打ち合わせ通り、車を入れる。

篤がサイドブレーキを上げると同時に助手席のドアが開き、着替えを抱えた制服姿の半田が乗り込んで来た。

 

「篤、シートを倒せ。隠れろ!」

 

-----------------Tailing pursuit

 

11月○日(火)52 0 p.m.

篤と元同級生の半田は、パジェロのシートを倒し、隠れていた。

事態を把握していない篤は困惑したが、黙って時が過ぎるのを見守った。

半田がかすれた声で囁く。

 

「足、大丈夫か?」

「ああ。それより、手がかりって…」

「これさ」

 

半田がズボンのポケットから、難しい体勢で何やら丸いものを取り出した。

刻一刻と暗くなる薄暮に透かして見えたものに篤は息を呑んだ。

 

興奮して起き上がろうとする篤を抑止しながら、半田はそれを篤に手渡した。

 

篤の手には、丸い、銀の懐中時計が握られていた。

いったい半田はこれを何処で見つけたのだろうか?

篤は、問いただしたい気持ちを抑えた。

 

「来るぞ」

 

半田の言葉に身が硬くなる。

息を殺した数分間が過ぎ去った。

 

一台の車のエンジンがかかった。

とたん、半田が跳ね起きる。

 

「篤、お前、運転大丈夫か?」

 

篤も起き上がり、シートを立てた。

すばやくイグニッションを回し、アクセルを吹かした。

 

「行け、あのセルシオだ」

 

視界からたった今消えたばかりの、シルキーホワイトのセルシオを指した。

 

大概の地方都市は、マイカー通勤者が少なくない。

ましてこの街は、都市と呼ぶには小さすぎる。

従って、朝夕の時間帯の主要道路は、渋滞が常となっていた。

 

パジェロのスモールライトを点けた篤は、吐き出すように問いかけた。

 

「いったいこの時計、どうしたんだよ。あのセルシオは何者だ?」

「唐橋だ」

 

半田の短い答えに篤は、耳を疑った。

懐中時計は、ハンドルを握る篤の膝の上にあった。

 

「喫煙所で、白衣のポケットからそれを落としてった。それが誰のものかは分かるよな」

「本当に唐橋先生が?」

「お前に嘘を言っても仕方ないだろう。あ、気づかれるなよ、あまり近づき過ぎないで」

 

セルシオの2台後ろにパジェロを並べ、赤信号を待った。

 

「相変わらずの霧雨が、フロントガラスを滲ませる。

シルキーホワイトのセルシオは、緩やかな車の流れに乗って、北へと向かっていた。

車線変更を繰り返しながら、セルシオの位置を確認する篤。

 

「俺は、いつもバイク通勤だから、この車は俺だってバレないと思うけど、目立つ運転はするなよ。地味に走れよ。地味に」

「ああ」

 

「車もバイクも持ってるなんて、お前、金持ってんだな」

「持ってねーよ。この街じゃ他に楽しむものなんて何もないし、車は中古だし。比べて、ヤツはセルシオだぜ。C仕様のFパッケージの値段知ってる?700万以上すんだぜ」

 

半田は、ことあるごとに唐橋をなじるが、篤は、別の意味で半田に対して罪悪感を抱かずにはいられない。

そう、麻帆と深夜に交わしたキス、告白したことも…何ひとつ篤は半田に言い出せずにいた。

 

僅かな沈黙に、半田が煙草に火を点けた。

 

渋滞は相変わらずだった。

間のもたない篤も、煙草を銜えた。

 

行きかうヘッドライトが、速度を増し始めると、下りの車道も滑るように流れ出した。

篤は、踏み込むアクセルを巧みに操り、信号で離されないよう速度を調節した。

 

渋滞を抜けると、急にセルシオのスピードが増した。

右左折を繰り返すセルシオ。

それを離すまいと、篤は必死でハンドルを握り締めた。

 

果たして、唐橋の運転するセルシオは何処へ向かおうとしているのか。

 

 

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