第13話

 

次の日。

目覚めると、あたしが寝ていたベッドの隣に、雛が座っていた。

「おはよ。早いね。・・・アルバム?」

「うん。懐かしいなぁ。」

雛は、あたしたちがちいさいころのアルバムを見ていた。

「ちっちゃいね。あたしも雛も。」

「10年以上も前だもん・・。」

親子4人で遊園地に行ったときの写真。

お母さんの実家に遊びに行ったときの写真。

雛が、拾ってきた子犬を抱きかかえている写真。

たくさんの笑顔が、そこにはあった。

だけど、雛とあたしが一緒に写っている写真は

すべて、10年前の7月29日以前のもの。

それ以後の写真には、雛は写っていない。

雛が写っていないだけじゃなく、写真自体がとても少ない。

小学校高学年くらいから、あたしが眼帯を意識し始めたからだ。

・・あたしが意識し始めたんじゃない。まわりが意識し始めたんだ。

まわりが、あたしを特別視するようになった。

「触ったら病気がうつる」なんてことを言われたりした。

担任の女の先生が、病気じゃないって何度も言ってくれた。

だけど、まわりが特別視しなくなる、なんて奇跡は起きなくて・・。

あたしは、左目を眼帯で隠していることがいやになって、

写真を撮ることを避けるようになった。

そのときのキモチは、今でもよく分かる。


「家族との写真かぁ・・。」

雛は、ボソッとつぶやいて、ため息をついた。

「撮ろっか。」

「え?」

「家族写真。」

「撮ろう。10年ぶりに。」

「え・・。」

「いいじゃない。あたし、撮りたい。」

「・・琳ちゃんと2ショットなら・・。」

「うん。それでもいいよ。撮ろう。」

雛を元気付けたいのか、ただ写真が撮りたいだけなのか、よくわからないけど、

期限が切れる寸前の、3枚しか撮られてないインスタントカメラを取り出した。

「撮るよ。」

「うん。」

「10年ぶりの再開を祝って・・はい、パシャリ。」

そう言ってあたしはシャッターを押した。

「プッ!」

フラッシュが光ったとき、雛が吹き出した。

「な、なによォ。」

「だって・・はい、パシャリって・・クスクス。」

「え・・じゃあ、なんて言うの?」

「ハイ、チーズ。とか・・。」

「あ、そっかぁ。」

「琳ちゃん・・変なの・・クスクス。」

「もう。何だっていいじゃない。」

やっと雛が笑ってくれたことに、あたしはひそかに喜んだ。


「あ。学校遅れるかも・・。」

「あたし・・学校行かない。制服もないし。」

「・・・そっか。」

雛は、何も持たずにあの家を出たんだ・・。

「琳ちゃん、行くの?」

欲しいものをねだるように、上目遣いであたしを見てそう言う雛。

小さいころからの癖・・。あたしの服のそでを、ギュッとつまんで・・。

「あたしも、今日は行かないでおく・・。」

結局、雛のワガママを受け入れてしまう、だめなあたし。

雛は、ニコッと笑った。

だけど、こんな関係がとてもうれしい。

もう2度と、こんな日が来るとは思っていなかった。

10年前のあの事件が起きたときから・・。




そのころ、学校では・・。

「安部智。」

「はい。」

「亜矢音琳・・は、欠席だ。井沢有希。」

「はい。」

「遠藤伊織。」

「・・・。」

「遠藤。遠藤はいないのか?」

「遅刻じゃないっすかー?」

「伊織のことだから、すぐ来るんじゃない?」

「・・まぁいい。次。川村麻奈美。」

先生も生徒たちも、遅刻してくると思っていたが、

遠藤伊織はその日、学校へ来なかった。




夜。

「ただいまー。」

お父さんが帰ってきた。

その大き目の声は、2階の奥のほうにあるあたしの部屋まで聞こえた。

「あ・・お父さん・・?」

雛が、不安げな顔をした。

「どうしよう・・あたし・・突然来て・・。」

今にも泣きそうな顔で、そう言う。

「大丈夫。お母さんからちゃんと言ってあるんだから。」

そう。雛とお父さんは、まだ会っていなかったのだ。

「ゴハンできてるはずよ。行こう。」

「やだぁ・・。」

「何言ってるの・・あたしたちのお父さんだよ?

 雛だってちゃんと覚えてるでしょ?怖がることないよ。

 お父さんだって、ずっと雛に会いたがってたんだよ?」

「・・うん・・・。」

「大丈夫。ヘタに気はつかわなくていいよ。

 あたしたちは、正真正銘の家族なんだから。

 ちょっと離れて暮らしてたくらいで、

 赤の他人に接するみたいにはならない。」

「うん。そう・・だよね。」

あたしたちは、階段を一段ずつおりた。

玄関についたとたん、お父さんが、突然表情を変えて駆け寄ってきた。

「雛!」

「あ・・・。」

雛は、あたしの後ろに立ちすくむ。

少しおびえている雛を見て、お父さんは我に返った。

そして、静かにこう言った。

「おかえり・・・。」

「・・ただいま・・。」

今、あたしの背中に顔を隠すようにたっている雛が

どんな表情をしているのかが、あたしには分かった。

お母さんが笑顔で「ごはん、食べよう。」と言った。

結局、ちゃんと話もできないまま夕食は終わったけれど、

心なしか、雛が嬉しそうな顔をしているような気がした。




雛がオフロに入っている間、あたしたち3人は話し合った。

これから、どうすればいいのか・・。

「雛はきっと、もうその人たちには会いたくないと思うの。」

あたしが、最初に意見を言った。

その人たち、というのは、雛の言う『おじさん』『おばさん』のこと。

「うん・・私も、その人たちと雛とは会わせたくない。」

お母さんが言った。

「そうだな・・だけど・・。」

お父さんが、うつむいて考え込む。

「・・どうしたらいいの?」

「あまり・・大きな騒ぎにはしたくないわね。

 雛を傷つけるのは、もう2度といやだから・・。」

あたしは静かに頷く。

「日曜日にでも、その人たちに会いに行く。」

お父さんの突然の意見に、あたしとお母さんは戸惑った。

「そ、そんな・・会いに行ってどうするの?」

「もう雛に近づかないでくれ、とお願いしてくるよ。」

「だって・・危険よ・・。」

「・・雛を高校に入れてくれたんだ。極悪人ではないだろう。」

そうだ・・雛は、どうして高校へ通っているんだろう。

普通だったら働かされるはず・・おかしい・・どうして?

「あたしがお金を作ったのよ・・。」

後ろから声がして、ハッとした。

「雛!!!」

「どういうことなんだ?」

お父さんが問い詰めると、雛は静かにソファーに座った。

「去年の春・・高校に行きたいって、そう言ったの。

 『自分で稼いだ金で入れるなら勝手にしろ。』そう言われたわ。」

「どうやって稼いだの・・・?」

なんとなく、予想がついた。だから、本当は聞きたくなかった。

だけど、口が勝手に動いてしまった。

「簡単なこと・・体を売ったの。」

『ズキッ』なんて音じゃ表せない、大きなショックがあたしを襲う。

お父さんもお母さんも、下を向いている。

きっと、あたしと同じようなキモチなんだろう。

「ジジィが次々に紹介してくるサラリーマンたちと、毎晩寝た。

 だって・・それしかなかったのよ・・・。高いお金がもらえたし、

 ソレを続けていれば、暴力は受けないから・・殴られるよりマシだと思ったの。」

「・・・。」

あたしは、泣き出しそうな雛にかけてあげる言葉を見つけられず、

今にも目から零れそうな涙を、必死でこらえていた。


雛は、顔を両手で覆った。泣いてるのかな・・?

できることなら、慰めてあげたい・・だけど・・。

あたしが考え込んで、時計の音だけが響くようになった。

沈黙を破ったのはお父さんだった。

「とにかく・・日曜日、一人で行く。」

「なんて言ってくるつもりなの!?」

雛が、顔をあげて言った。目が少しだけ赤い。

「どこか遠くへ行ってくれ、と。」

「・・・それで簡単に引くと思うの・・?」

「汚いやり方だけど・・脅すしかない。

 警察沙汰にはしたくない、って・・・。」

たしかに、それは汚いやり方だ。

だけど・・弱いあたしたちには、仕方の無いことだと思う。

「そう・・。」

お母さんが、やっと口を開いた。

「きっと大丈夫だ。」

ムリをして笑顔をつくるお父さん。

それをフォローするように、また笑顔をつくるお母さん。

そんな両親を見て、あたしはせつなくなった。

「明日も早いでしょう。布団、敷いてあるから・・。」

お母さんがそう言うと、お父さんはため息をついてから、

「そうだな・・今日は早めに寝るよ。」

と言い、ゆっくり階段を上がっていった。

こんな父の姿を見て、『おやすみなさい』すら言えないなんて・・。

お母さんは、お父さんが飲んだ紅茶を片してから、

小さく『おやすみ』といい、二階へあがった。

ただ呆然と座り込むあたしに、雛が声をかけた。

「あたしたちも・・部屋にいこっか・・。」

「うん・・。」




雛にベッドをゆずり、あたしが床で寝ることにした。

電気を消して、あたしが眠りかけたころ・・。


「ねぇ、琳ちゃん・・。」

「ん?」

「あたし・・戻ってこないほうがよかったかな・・。」

「何言ってるの。」

「だって・・あたしのせいで、みんな悩んで・・悲しい顔するから・・。」

「バカ。」

「何よぉ。ひとが真剣に相談してるのに!」

「・・・雛は、キライな人のために悩んで、悲しむ?」

「え?」

「いないほうがいい人のために、みんなで真剣に話し合ったりする?

 あたしたちが、悩んだり悲しんだりしながら、話し合ってゆくのは、

 雛のことがホントに好きだから、雛にこの家にいてほしいからなの。

 戻ってこないほうがよかったなんてバカなこと考えちゃダメ。分かった?」

「・・・わかった。」

「わかったならよし。おやすみ。」

「おやすみ・・。」

雛が、何度も何度も鼻をすすってたから、「泣いてるの?」って聞いたら、

雛ってば「鼻風邪ひいてるの!」なんて言うから、あたしは思わず笑ってしまった。
NEXT