第14話

 

次の日は、ふたりで一緒に学校へ行った。

あたしと雛が一緒に歩いていることに、雛のクラスメイトたちは驚いたみたい。

そりゃぁ、そうよね。まわりのみんなは、何にも知らないんだから。



「安部智。」

「はい。」

「亜矢音琳。」

「ハイ。」

「井沢有希。」

「はぁい。」

「遠藤伊織・・は今日もいないのか?」

「えー?今日もいねーのかよ。」

「どうしたのかなあ?伊織ってば。」

あたしは、まわりの言動にハッとして、ななめ後ろの遠藤伊織の席を見た。

・・いない・・。

そういえば・・いつもなら、朝あたしが教室に入るころにはもう座ってて、

あのフザケた口調で、「オハヨー琳ちゃん!」とか言ってくるはずなのに・・。

『今日も』ってことは、きのうもいなかったのかな・・?

まぁ、あんなやつ、どうだっていいけど・・・。



昼休み。

「琳ちゃん!!」

雛が、今にも泣きそうな顔であたしのクラスに来た。

「な・・どしたの?」

「伊織・・学校来てないの!!??」

「うん。」

「う・・そォ・・。」

そう言って雛は、その場にしゃがみこんだ。

「え・・何?どうしたの?」

「あ・・あたし・・・。」

雛が、両手で顔を覆って泣き出す。

まわりがざわついてる。

きっと、雛があたしを訪ねてきたのが不思議だったのだろう。

「・・裏庭行こう。」

「う・・ん・・。」

雛があまりにも不安げな顔をするので、あたしまで不安になった。

一体、遠藤伊織と雛の間に何があったんだろう・・。



「一昨日の夜・・琳ちゃんとコンビニで会ったでしょ?」

「うん。」

「あのとき・・コンビニに着く前に、あたし・・伊織の家にいたの。」

「・・。」

「ジジイから逃げて・・もうダメってときに、伊織と会った。

 それで・・自転車の後ろに乗って・・伊織の家まで行って・・。」

「・・それで・・・どうしたの?」

「全部・・打ち明けた。

 だって、そうじゃなきゃ、伊織がワケわかんなくて

 困ると思ったんだもん!・・だけど・・・。」

「だけど?」

「伊織・・・ぜんぶ知ってた。」

「え!?」

「全部知ってたの・・あたしのことも・・琳ちゃんのことも・・。」

「ウソでしょ・・?」

「ほんと・・だって・・伊織は・・。」

そのあとの雛の言葉が信じられなくて、

ちゃんと理解するまで、あたしには時間が要った。



5時限の間中、あたしはずっと遠藤伊織のことを考えていた。


『だって・・伊織は・・琳ちゃんの目を切りつけて、

 あたしをさらっていった、あの男の息子だったんだから・・・。』


そんな・・・信じられるわけが無い。

雛が、泣きながら話してくれたあの言葉をウソだって思うんじゃないけど、

信じられないよ・・・だって・・・。


あたしは、言葉にできない悲しい思いでいっぱいだった。

あたしのことを特別視しないでくれたのも、

ミナってコからかばってくれたのも、

あの日、傘を貸してくれたのだって、

全部・・あたしのことを知っていたから・・。

父の罪を償うために、あたしにやさしく接してくれてたのね・・。

すべて・・父の罪を償うためだけに・・。



帰りの電車も、雛と一緒に乗った。

早めの電車で、あまり人はいなかったので、座って話をした。


「あたし、伊織から逃げちゃったの。」

「え?」

「分かんないけど・・怖くなって・・。

 伊織の顔が、あの男の顔に見えてきたの・・。

 それで・・苦しくて堪らなくなっちゃって、

 気が付けば、走って伊織の家を出てた・・・。」

「・・そっか・・。」

「・・だからね、伊織が学校来ないのは、きっとあたしのせいなの。

 あたしが、逃げ出したりなんかしたから・・。

 伊織の心の傷みたいのを、もっともっと深くしちゃったから・・・。」

「そんなに自分のこと責めないでよ。

 雛は悪くない。仕方ないことなんだから・・。

 たしかに、その行動で遠藤伊織を傷つけたかもしれないけど、

 これからの雛の行動で、その傷は癒せると思う。うん、癒せるよ。」

「・・どうすれば・・いいかな・・?」

「自分をさらっていったのは遠藤伊織の父であって、

 遠藤伊織とは別人だって、ちゃんと認識しなくちゃね。

 あの男をかさねて考えちゃダメよ・・。

 伊織は伊織、父親は父親。そう思って接しなくちゃ。

 すごく・・ツライかもしれないけど、

 これ以上傷つけたくないでしょ?・・好きな人なら、なおさら。」

「うん・・そうだよね・・。」

それから、少しの間沈黙が訪れた。

あたし自身、とても大きなショックを受けたのに、

こんなにも冷静に、雛と話すことができたのが、信じられなかった。

もしかしたら、雛に言った言葉は、自分に言い聞かせるためだったのかも・・。


家に着いてすぐ、あたしは病院へ向かった。

いつもの視力検査を受けて、傷口を消毒してもらうために。



「これは?」

「右。」

「じゃあ、これ。」

「左下。」

「えッ?違うだろ!」

「あたしには左下に見える。」

「んー・・じゃ、コレは?」

「えーッ・・上?」

「まぁ、ギリギリ大丈夫かな。こっちは?」

「・・・わかんないよ、そんなちっちゃいの。」

「はは!じゃぁ1.0だな。」

「前は1.2だったのに・・。」

「1.0見えてるんだったら全然ヨユウだって。」

「まァねェ。」

今日は、先生がいないので、代わりに佐久間くんが視力検査をしてくれた。

左目の傷の消毒は、看護婦さんにお願いしたけど・・。

だって、左目の傷を佐久間くんに見せるなんて・・出来るわけない。

 

検査室を出て、リハビリルームのソファーにふたりで座った。

「佐久間くん・・あのね・・。」

「ん?」

「雛って・・覚えてる?」

「覚えてるよ!・・・どうしてるんだろうな。」

「あの子・・いま家にいるの・・。」

「え?」

「あたしと同じ学校に・・今年、入学してたんだ。

 偶然ソコで再会して、雛だってことが分かって・・・。」

「どこで暮らしてたんだ?」

佐久間くんの顔が、おもいっきりマジメになった。

「雛のはなしによると・・40代後半くらいの夫婦の家。

 今まで、何度もいろんな家を盥回しにされてきたんだって・・。」

「・・・・。」

「この前・・ちょっとモメたみたいで、

 雛、はだしのままその家を飛び出してきたの。

 コンビニで会って・・おもわず連れて帰ってきちゃった・・。」

「そっ・・か・・。で、どうするんだ?」

「お父さんが・・雛が今までいた、その夫婦の家に行くって。

 ちゃんと話し合ってくるつもり・・みたい・・。」

「・・一番いい考えだな。」

「うん・・だけど・・。」

「だけど?」

「雛がね・・きのう、あたしに言ってきたんだ。

 自分は戻ってこないほうが良かったんじゃないか、って。

 もちろん否定したんだけど・・そういうふうに悩んで、

 ひとりでイロイロ抱え込んじゃってて・・・。

 ・・・雛は・・あのコはね・・いっぱい酷い目に遭ってきたけど、

 それで強くなったわけじゃない。分かるんだ。

 仕草とか、言動とかで。雛は・・すごく弱いんだよ。

 10年前、連れ去られる前の、泣き虫で甘えん坊のあのコのままなの。

 だから・・・もうこれ以上、悲しい思いをさせたくないの・・。」

あたしは、そこまで言うと辛くなってしまって、

下を向いて涙を堪えた。

「・・大丈夫。雛が傷つきそうになったら、琳が守ってやればいいんだから。」

「守る・・って?」

「・・昔、雛が近所のコにいじめられたとき、琳はどうしてた?」

「え・・走ってって、追い払ってた。」

「それと同じ。雛を悲しくさせるものを、いじめっこだと思って、

 その存在を雛の頭から追い払ってやればいいんだよ。」

「え・・どうやって?」

「それくらいは、分かるだろ?」

そう言って佐久間くんはニコッと笑った。

この笑顔があるからいつだって安心できるんだ・・。

緊張感のない、大好きな笑顔。

「・・うん。ありがとね。」

佐久間くんの顔を見て、少しだけ笑顔になった。

安心したせいか、気が緩んで目頭が熱くなった。

「ぅゎ・・どうしよう・・。」

あたしが焦って下を向くと、佐久間くんは

「大丈夫だから。」

と言って、あたしの頭に大きな手を軽く乗せた。

「うん・・・。がんばる。あたしが泣いてちゃだめだもの。

 雛を・・ちゃんと守ってあげるんだ。」

「うん。その意気だ。・・だけど、泣きたいときは泣けよ?

 琳は、自分がしっかりしなくちゃ、って意識が高いから、

 何でもひとりで溜め込んじゃうとこがあるだろ?

 それは、決して悪いことじゃないんだけど・・・・、

 たまには、泣きたいときだってあるじゃん。人間なんだし。

 そういうとき、堪えずに泣くことだって大切なんだからな。」

佐久間くんは、笑ってそう言うと、

あたしのおでこに軽くキスをした。

・・・どうして?

「じゃぁ帰るか。」

また・・そうやって逃げる。

海のときもそうだった。

キスしたくせに、何もなかったみたいに「帰ろう」なんて言って・・。

「・・待ってよ。」

「え?」

「今のキスは・・どういう意味?」

「ガンバレってことだよ。」

あたしの顔を見もしないで、歩きながら彼はそう言う。

「・・・じゃぁ、この前の海のときは・・

 どういうキモチであたしにキスしたの?」

「・・・・・。」

「ねぇ、答えてよ。」

あたしがそう言うと、佐久間くんは突然振り返ってこう言った。

「・・・今は言わない。」

「何よソレ。納得できない!」

「いつかちゃんと言うから。」

佐久間くんはまた歩いていってしまった。

「何よ・・ソレ・・・。」

あたしはひとり、ソファーに寝転んだ。
NEXT