第16話
ブランコで揺れていると、ひざの上に雫が落ちた。

あたしの涙・・じゃない。

見上げると、顔にもそのつめたい雫が落ちてくる。

雨だ・・。

もう、あたりは薄暗くなってきていて、

公園で遊んでいた子供たちは、走って帰っていった。

ちっちゃい、赤い色のシャベルと黄色のバケツが、砂場に寝そべっている。

あたしは、茫然とソレを見つめながら、ある日のことを思い出した。



「パパー。あたし、これ欲しいー!」

そう言って子ども用のプラスチック製のバケツセットを手に取るあたし。

「よぉし、それじゃあ、おつかいできるかな?」

「できるよ!ママとおなじことすればいいんでしょ!」

「そうかそうか。それじゃあ、お店の人にこれ渡して、ちゃんとレシートももらってくるんだぞ。」

あたしの小さな右手に、1000円札を4つに折って、握り締めさせた。

「パパぁ。雛もー。」

「琳と一緒で間に合うだろ?」

「やだぁ!雛も欲しいのぉぉ!」

あたしと同じバケツセットを抱きしめて、泣き出す雛。

「やれやれ。仕方ないなぁ。」

パパがそう言うと、雛は、顔を上げ、ニッコリと笑った。

「でも、バケツは1コで十分だろう?」

「え〜・・・。」

「シャベルは買ってあげるから、な?」

「うん!!」

雛は、喜んで、ピンクのシャベルを棚から持ち出してきた。

「はい、じゃあこれを、お店の人に渡すんだぞ。」

今度は、雛の右手に500円玉をおき、また握り締めさせた。

あたしは、1000円をぎゅっと握り締めて、胸を躍らせてレジまで急いだ。

生まれて初めて、自分の欲しいものを自分で買って、おつりとレシートをもらう。

こんな、どうでもいいようなことが、あたしにはとても嬉しかったのだ。


その日の夜は、枕もとにバケツセットを置いて眠った。

雛も、あたしのマネをして、シャベルを枕もとに置いていた。


次の日、さっそくバケツやシャベルが使いたくなって、

あたしたちは近くの公園へ行き、砂場で遊んだ。

・・・そして・・あの事件に遭った。



「はァ。」と小さくため息をつき、ブランコから降りた。

こんなこと、今さら思い出してどうするんだろう・・。


東明埜駅に着き、時計を見ると、ちょうど6時30分をさしていた。

みんな、もう戻ってるかな・・・。

家に電話してみたが、留守電のままで、誰も出なかった。

お父さんのケータイは、マナーモードになっていて、

お母さんのケータイには、何度やっても繋がらなかった。

みんな、まだ戻ってないんだ・・。

あたしは、フクザツな想いのまま、電車に乗った。


6時53分。柳坂駅トウチャク。

駅の南口から出て、あたしはとぼとぼと歩いた。

いつもの交差点を、左に曲がって、細い道を通って・・・。

3つめの曲がり角を右に行くと、見慣れたマンションの前に着いた。

・・・佐久間くんのマンション。

別に、これと言った用があるわけじゃないけど、家には誰も居ないと思うと、

無意識のうちに、足が勝手に動いて、ここに着いてしまったのだった。


彼の部屋は、3階の2号室。

早足で歩くあたしのクツの音は、雨の音の中に埋もれずに、しっかりと響いていた。

302号室。表札に名前はかかれていない。

インターホンは壊れていて、音が出ないので、あたしはドアをノックした。

いつもなら、1.2.1の合図で、すぐに出てきてくれる。

だけど、今日は出てきてはくれなかった。

でかけてるのかな・・?

あたしは、ベランダから、マンションの駐車場を見た。

佐久間くんの黒い車は、ちゃんと止めてある。

眠ってるのかな・・それだったら、起こさないほうがいいかな。

あたしは、302号室のドアの前に、しゃがみこんだ。

雨の音についウトウトとして、気が付けば、あたしはしゃがんだまま眠っていた。


あ・・これは・・どこかで見たことのある風景・・・。

公園の砂場に座り込んで、お城をつくるちいさな姉妹。

現実なのだろうか、それとも、夢なのだろうか。

あ・・!おじさんが近づいてきて・・あぁ・・お城を踏み潰しちゃった。

ちいさいほうの女の子が、連れ去られてゆく・・あれは、雛だ!

はやく、はやく雛を助けてあげて・・誘拐されちゃう・・。

あっ・・ナイフが・・!危ない!

いや!やめて!目が、目が見えなくなっちゃう!

おねがい・・やめて・・・!

そのコの目を、傷つけないで・・!


「や・・いやぁああ!」

「・・ん、琳!!」

強い声に起こされ、ハッとした。

「さ・・くま・・くん・・。」

「大丈夫か?そんなにうなされて・・何か悪い夢でも見たのか?」

弱弱しいあたしの肩をガッシリと抱きかかえ、

あの優しくて、光に満ち溢れた瞳で、じっと見つめる。

「ふ・・ふえぇ・・。」

思わず力が抜けて、頼りない声を出して泣いてしまった。

どうして・・あんな日の夢を見てしまったのだろう・・。


彼に誘導されるままに、家の中へ入り、テーブルの前に座った。

「新しい紅茶、飲んでみる?」

「おいしい?」

「うん、すげえいい香りだし。」

「うん・・じゃあ、それ飲みたい・・。」

あたしが、お砂糖もミルクもたっぷりじゃなくちゃ

紅茶が飲めないってことを、彼はちゃんと知っている。


「ハイ。あちィから気をつけろよ?」

あたしの前に、そっとカップを置く。

「・・いい香り・・。」

佐久間くんはオトナの笑顔ってやつを見せた。

子どもの笑顔と、オトナの笑顔をウマク使い分ける彼。

あたしをなだめるときはいつも、オトナの笑顔なんだから・・。


「おいしい・・。」

「よかった。」

「うん、スゴクおいしい・・いい香り。」

「ははは。気に入ったなら、一缶持って帰れよ。いっぱい買ったから。」

「うん・・アリガト。」

佐久間くんは、あたしの隣に座って、テレビをつけた。

「どこか行ってたの?」

「あ、うん。米買いに。」

「お米・・そう。」

「琳は?何か用があって来たんだろ?」

「・・用がなくちゃ・・来ちゃいけない?」

「いや、そういうことじゃなくてさ・・。」

「クスッ・・冗談。そんな困った顔しないで。

 聞き分けの無い子どもみたいなこと、本気で思ったりしないわ。」

今度は、子どもの笑顔で苦笑した。

「あのね・・。」

「ん?」

「雛をさらっていった犯人の・・息子の家に行ってきた・・。」

「え・・それって・・琳の目をきりつけた・・・。」

「そうよ。」

「な・・なんでそんなヤツのところ行ったんだ!?」

突然、あたしの腕を掴んで、マジメな顔で問い詰める。

「あたしが・・助けてやらなくちゃって思って・・。」

「え?」

「あたしに・・一人ぼっちだったあたしに、

 最初に話し掛けてくれたひとだから・・・。

 雛がね、そいつのこと、傷つけちゃって、

 学校に・・5日もずっと無断欠席してて・・。」

「そ・・っか・・。」

「だけど・・あたし・・行かなきゃよかった・・。」

「どうして・・?」

「わかんない、けど・・余計傷を深くしちゃったかもしれない・・。

 どうしよう・・あたし・・あんな・・あんなことしたかったんじゃないのに・・。」

傷を見て欲しかったんじゃないのに・・・。

そんなことで傷ついて欲しくなかったのに・・・。

ただ・・ただ・・手を差し伸べてあげたかっただけなのに・・・。

「琳・・。」

「もう・・どうしたらいいのか分かんない・・・。

 ・・これが父さんがつけたキズなのか、って

 そう言って・・・あいつ、泣いてたのよ・・。」

「え・・!傷・・見せたのか!?」

「見せたわけじゃない・・ただ・・眼帯はずれちゃって・・。」

正式には、はずされちゃったんだけど・・。

「そんな・・・なんで、そんなやつに傷を・・。」

佐久間くんが、うつむいて、静かに言う。

「さく・・まくん・・。」

 どうして・・そんな悲しそうな顔するの?

「・・とにかく、そいつにはもう近づくなよ。」

「え・・・そんな・・。」

「分かってるのか?琳の左目を失明させたやつの息子なんだぞ?」

 怒鳴りつけるように、あたしの目を見てそう言う。

「父親は父親、息子は息子よ・・。

 あいつだって・・父親の犯した罪を背負って苦しんでるのよ。」

「そんなこと言って、そいつが立ち直ったとして、

 その先、何かあったらどうするんだよ!」

「遠藤は・・そんなことしない・・。」

「どうして言い切れるんだよ!現に、そいつの父親は・・。」

「だからァ!父親は父親、息子は息子だって、

 ちゃんと思ってあげなくちゃいけないのよォ!

 そんな目で見てたら、いつまでたったってあいつは

 たちなおれない・・それじゃ・・それじゃダメなのぉ・・。」

「琳・・ちゃんと、冷静になって考えろよ!」

「な、何よ・・あたしはちゃんと冷静になってるわ!

 だいたい佐久間くんは、いつだってそうよ。

 あたしのこと子ども扱いして・・所詮、妹分でおしまいなのよ。

 いつだって・・いつだってあたしは子どもで・・。」

「何・・急に言い出すんだよ・・。俺はただ、琳のことが心配だから・・。」

「あたしのことが心配?そんなの、ただの父性愛からくる感情じゃない。

 そんなの、ちっとも嬉しくない!あたしが欲しいのは、父性愛なんかじゃない!」

もう・・一度バクハツしたものは、とめることができない。

あたしの口からは、言いたくも無い言葉がどんどん飛び出してゆく。

「琳・・・。」

「もう・・もうヤダァ・・。」

思わず、顔を両手で覆って泣いてしまった。

「琳、違うよ。俺が琳のことを心配するのは、

 父性愛なんかじゃなくて、ただ、琳のことが・・。」

「待って!!」

きっと、次に佐久間君が言うのは、あたしが一番欲しがっていた言葉。

だけど・・・

「続きは・・言っちゃダメ・・。佐久間くんは・・あたしを知らないの。」

「知ってるよ・・。小さいころからずっと遊んでたんだ。」

「ちが・・ちがうの・・。あたしの傷を見たら、

 絶対、絶対目を背けたくなるんだから・・。

 自分でも、何度も見てるから分かってるの!!

 みんなが、思わず目を手で覆っちゃうような・・ひどい傷なの。

 あたしの左目は・・ううん、あたしは・・醜いのよ・・。」

涙が、古風なマンガのギャグみたいにどんどん流れて、

本当に・・本当に、部屋が涙で水浸しになっちゃうんじゃないかってほどすごくて・・。


あたしの右の頬に、佐久間くんの大きな左手がやさしく触れる。

と、思った瞬間、今度は、耳の裏側に手をやり、耳にかけてあるヒモを取った。

「・・!だめぇ!」

あたしがそう叫んだときには、もうすでに、眼帯は外れていた。

「いや・・・見ちゃだめ・・だめなのぉ・・。」

もう、手で顔を覆う気力さえ出なくて、あたしの両手は下に垂れたままだった。

ただただ、泣きじゃくっているだけ。

悲しみの奥深くに、ずーっとすいこまれていくような、

なんとも言えない、絶望という2文字だけで構成されているような・・。

だけど次の瞬間、彼の言葉が、あたしをソコから救ってくれた。

「やっぱり・・眼帯を取ったって、何も変わらないよ。

 どんなカッコしたってどんなキズがあったって琳のままじゃん。」

どうして笑えるの?そんな子どもみたいな笑顔で。

無邪気な笑顔で・・どうしてそんなことが言えるの・・?

ずっとコンプレックスになってたこのキズや、それを隠すための眼帯。

誰かに話し掛けることすら怖がって、友達もできなくて・・。

それなのに・・・なんで・・なんで佐久間くんは・・

長い年月を経て大きくなっていったあたしのコンプレックスを、

そんな、いとも簡単に、一度に取り払うことが出来るの?


下を向いて、ただただ涙を流すだけのあたしを、彼はやさしく抱き寄せた。

驚いて顔を上げたそのとき、目と目が合った・・。

あたしの瞳をじっとみつめる彼。

その彼の瞳を、覗き込むあたし。

どうしても、彼にだけは見せられないと思っていたこの傷は今、

何にも覆われていない、そのままの状態で、彼の目の前に剥き出しにされている。


不思議と、怖いという感情は、あたしの中からすっかり消え去っていた。


彼の唇が、とても自然に近づいてくる。

あたしは、ゆっくり目を閉じた。

唇がそっと触れて、離れて、また触れて・・。

イタズラに、あたしの唇を弄ぶ。

そして、もう一度目を開いて、瞬きを3回して、目を閉じて・・。

あたしたちの唇は、しっかりと重なり合った。

あたしは、自然と彼の首に腕を回した。


唇がまた離れて、目を開くと、そこには、

いつもと同じような、佐久間くんのやさしい笑顔があった。

あたしの首に彼の唇が触れ、耳元でこうささやいた。

「好きだ・・・。」

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