第19話

「琳ちゃん、早く早く!」

朝8時26分。4分以内で学校に着かなければ、遅刻。

雛は、あたしを追いてどんどん走ってゆく。

「待ってよ。あたし走れない・・。」

あたしのカラダには、きのうの痛みが、まだ残っている。

速歩きでもズキズキするのに、走るなんてムリよ!

「もぉ、急がないとチコクしちゃうじゃん。」

そんなこと言ったって・・。


やっと、校門が見えてきた。

「あれ??」

雛が立ち止まる。

「どうしたの?」

「いつもなら、この時間は学年主任が校門に立ってるのに・・。」

「いないの?」

「ウン。」

「なぁんだ・・走ってきた意味ないじゃない。」

あたしは、ハァ、とため息をついた。

「琳ちゃんは走ってないじゃん。」

「そうだけど・・。」

とつぜん、後ろからパトカーのサイレンの音がした。

と思うと、今度はパトカーが、校門を入っていった。

「え??何?どうしたの??」

「何かあったのかな。」

あたしたちは、急いでパトカーのあとを追った。

すると、校庭にたくさんの人だかりができている。

「え?何の騒ぎ??」

あたしたちが、状況をつかめないでいると、

パトカーから4人の警察が出てきた。

「何なの・・?」

「琳ちゃん!!」

雛が、突然大きな声を立てた。

「え?」

雛は、屋上を指差した。

そこに立っていたのは・・。

「遠・・藤・・。」

何・・してるの・・?


『君ィ!聞こえるかい?』

呆然と立ち尽くすあたしの隣で、警察が説得をはじめた。

『さあ、バカなことはやめて、今すぐ降りてきなさい。』

ドラマや映画で見た、あの場面とおなじ。

いつだって・・警察の説得で、泣いて、降りてくる。

「私、生きてて良かった・・。」音楽が流れて、ハッピーエンド。

だけど、現実はそんなに簡単じゃない。

本気であいつを救う気なんてない、そんな警察の説得なんて、まるで無意味。


あたしの足は、誰は見ても判るくらいガタガタ震えた。

あたしのせいだ。

あたしが、あたしがあいつを訪ねたりしなければ・・。

涙がボロボロと零れ落ち、足の震えはいっそうヒドクなる。

遠藤伊織をみつめることすらできない。

そのとき。

とつぜん、隣に立っていた雛が、走り出した。

「・・雛!」

あたしは急いで追いかけようとした。

ズキッ!

あたしの体を痛みが襲う。

雛の姿が、だんだん小さくなってゆく。

だめダ・・痛いなんて言ってられない・・。

あたしは、必死で走り出した。

非常階段を駆け上がる雛。

「雛ァ!」

雛の耳には届かない。

どうしよう・・雛・・どうするつもりなの??


「ハァ・・ハァ・・。」

あたしが息を切らしながらやっと屋上へ着いたとき、

雛は、1歩1歩、屋上の柵をつかんで、今にも飛び降りそうな遠藤伊織に近づいていた。

「雛・・・。」

あたしは、その後姿をじっとみつめる。


「伊織。」

「来るな・・。」

「どうして?」

雛は立ち止まった。

「いいから・・来るな。」

「飛び降りるつもりなの?」

遠藤伊織の表情が変わる。

「ねぇ。どうなの?」

遠藤伊織は、雛から目をそらした。

「死ぬつもりなのね。」

遠藤は、雛の目を見た。

「どうして学校を選んだの?」

「3階からなら・・確実に死ねるとおもったから。

 それに・・俺は、家より学校のほうがスキなんだ。

 家で、ひとりで虚しく死ぬなんて・・耐えられない。」

「・・言い残したい言葉は、ある?」

「・・・。」

「あたしは、いっぱいあるわ。」

「え?」

「もしあたしが、今死ぬのなら、言いたい言葉はいっぱいあるわ。

 まず。こんなあたしを再び家族として受け入れてくれたひとたちに。

 たくさんのありがとうと、たくさんのあいしてるを言いたいとおもう。」

雛・・。

あたしは、雛の後姿を見ているだけで涙が零れそうだった。

「それから、あたしをひどい目にあわせた、あのクソジジイやクソババアに。

 本当に最低な毎日だったけど、生かしといてくれてありがとう、て言いたい。」

「雛・・。」

「最後に・・あんたに。」

雛は、遠藤伊織のほうへ歩いていく。

「来るな!」

「いや!」

「来るなよ・・。」

「だって・・伊織の目を見て言わなきゃ意味がないもん!!」

雛は叫ぶ。そして、走りよった。

「来るな!飛び降りるぞ。」

「伊織が飛び降りるんだったら、あたしはその前に飛び降りる!」

「何言ってんだ!」

「だって・・伊織がいなきゃ生きていけないんだもん・・。

 チューガクのときから、ずっと伊織のことが好きだったんだもん。

 家に帰ればクソジジイのセックスの相手で、クソババァの召使いで!

 最悪な毎日だったけど、あんたのことが好きだったから生きてたんだもん。」

「雛・・おまえ・・。」

「あたしを生かしつづけたくせに勝手に死ぬなんて許さないわよ!」

「訳わかんねえこと言ってんじゃねえよ!

 どうせ、心の中じゃ俺のこと恨んでるんだろ!!」

「な・・何言ってるの?訳わかんないのは伊織のほうじゃん!

 なんであたしがあんたを恨まなきゃいけないのよ!バカあ・・。」

「俺の父親さえいなければ、お前は最悪な毎日を送らなくて良かったんだ・・。」

「そんなの今さら言ったってどうにもなんないじゃん!

 伊織のお父さんは、たしかにあたしにヒドイことをしたわ。琳ちゃんにも。

 だけど・・だけどねえ、後ろばっか見てたってどうにもなんないのよ!

 あたしは今、もとの家族に戻ったし、これからはしあわせに暮らせるのよ。

 過去のことをダラダラ言ったってどうしようもないじゃん。ほんとバカね!

 なんで伊織は、過去ばっかり見て、今を見ないの?

 あたしを見なさいよ。今、目の前にいるあたしを!!

 このあたしが、伊織のことを恨んでるように見えるっていうの?

 バカなこと言わないで。あたしは、あたしは伊織のことがすきよ・・。」

あたしは、その場にしゃがみこんで、顔を両手で覆って泣いてしまった。

ずっと、弱くて、甘えん坊で、どうしようもないと思っていた雛は、

こんなにも強い精神を持っていたなんて・・知らなかった。

あたしも・・ずっと、ずっと過去ばかりみていた。

今の雛を見てなかった・・。

雛は、過去に、いろんな可哀想なことがあったから、だから、

傷つけちゃいけないって、やさしくしてあげなきゃいけないって、

気を使ってばかりで・・全然みてあげてなかったんだ・・。

「ねぇ伊織・・まだ飛び降りる気?」

雛は、ゆっくりと、遠藤伊織に近づいてゆく。

遠藤伊織は、泣いてばかりで返事もしない。

ただ、下を向いて、ばかみたいに声を上げて泣くだけ。

これが、これが遠藤のほんとうの姿なのかもしれない・・。

雛は、柵を越え、遠藤伊織の隣に、同じ体制で座り込んだ。

「ねえ、伊織・・。」

遠藤伊織は、顔をあげた。

「あんたが死ぬんだったら、あたしだって死ぬ。だいすきよ。

 気が狂ってるって思う?・・・そうかもしれない。

 たしかに、あたしの気はメチャメチャに狂ってるかもしれない。

 だけど、あたしは・・これでいいと思ってる。」

「雛・・。」

「ねえ、死ぬの?」

遠藤伊織は、かすかに頷いた。

「そう・・判った。それなら、最後のお願い。

 ・・・キスして。」

遠藤伊織は、何も言わず、雛の唇に唇を触れた。

「だいすきよ。」

雛は、かすかに微笑んで言った。

「天国で、あたしをみつけてね。

 じゃあ、ちょっとの間、ばいばい。」

そして・・・飛び降りた。

まっさかさまに落ちてゆく雛に導かれるように、

遠藤伊織も、柵から手を放した・・・・。

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