2000年12月24日。 「世間は今世紀最後のミレニアムクリスマスイブだなんて浮かれているけど、そんなもん糞食らえだ。 だいち神様がいるんだったらあたしにだって暖かいお部屋で一緒に過ごせる彼氏の1人くらいいたって いいじゃんかぁ。」 知香子はそんなぼやきを呪文のように繰り返しながらバイト帰りの自転車を走ら せた。 時計は10時半を過ぎようとしていて雪国の寒さが鼻先に染み入る。 彼女が機嫌を損ねたのも無理はない。 よりによって 彼女のバイト先は「ケンタッキーフライドチキン」。イブにはやっぱチキンっしょと、来る客来る客バカップルばかり。 ほんの先日フラレてしまった彼女にはとてもブルーな一日になってしまった。 こんな一大イベントの日にバイトしてくれたみんなにって店長がプレゼントしてくれた2ピ−スのチキンが どこか淋しさを助長してくれてる。 知香子は昨日から降り出した雪の上、微妙にタイヤを滑らせながらライトも付けずに自転車をこぎつづけた。家までの道のりは10分ほど。 それでも体を冷やしきるには十分な距離だった。 ようやくたどりついた札幌郊外のアパート、凍てつく階段をいつもの調子で上がりきり誰もいない部屋の 明かりをともす。きょうもやっぱりチキンの匂いが髪に染み付く。 「あーん、くっさぁー」 店長が持たせてくれたチキンの匂いまでもが恨めしい。 バスルームで雪に濡れたダッフルコートを脱ぎながら湯船に湯を張った。 冷蔵庫にはアイスクリームと梅干くらいしか入ってなかったが、今から買い物に行こうにも寒すぎてまた外に出る気にもなれなく、いつも見ててあまり食べる気になれないチキンをボソボソと食べ始めた。 今年から親元を離れて1人暮しを始めた彼女にとって人生最悪のクリスマスイブは携帯一本かかってこないまま終わってしまった。 明けて12月25日。 今日は月曜日でバイトは休みだ。 大学も今日を最後に今年のゼミが終わる。知香子の大学はアパートから自転車で15分ほどのところにあって、途中のコンビニで朝ごはんを買っていくのが日課のようなものだった。 今日はサンドイッチとお茶を買ったが店員がおつりを間違えて余計にくれたのに店を出てしばらくした所で気づいた。 「ホントなら返さないといけないけど、昨日は最悪だったからその穴埋めだよね、あはは。」 などとワケのわからんことを考えながらいつもより少し速い目に自転車を走らせた。 昨日丸一日降り続いた雪はすっかりやんでいて、雲の切れ間から覗いた太陽は強い冬の光線を浴びせて通りに積もった雪を完全に溶かしている。 「やっば、もう50分じゃん!」 遅刻寸前の彼女はぐんぐん自転車を加速して校舎に滑りこんだ。 今日の授業は午前中の退屈な2時限だけで、午後は所属している写真部のミーティングだ。 学祭が終わってからのサークルはどこか気の抜けたサイダーのようで、普段ピリピリした先輩達は最近 どうもだらけぎみだ。 これといったイベントもなく、出てきた数人の部員はみなそれぞれネガチェックしたり、フィルム現像したり。 一年生の知香子はヒマを持て余したのか、部室の掃除を始めた。 すると、 「おーい知香、72と76つくってよー」 3年生の和之が狙っていたかのように声を掛けた。 「はーい。」 知香子はこのテの仕事が苦手だ。ましてや現像液を作るとなると容器を洗うときのヌルヌルした感触がたまらなく許せないのだ。 しかしここだけの話、知香子はサークル一番のルックスを持つ和之にちょっぴり恋心を抱いていて、彼の頼みにまんざらでもないようだ。 また一方の和之も決して美人ではないがちょっとした仕草がかわいらしい知香子を少し気に入っていた。 ひとしきり処理液を作ったり暗室の掃除をしていたらいつのまにか時計は5時を指していた。 冬の北国は夕暮れも早く辺りはすっかり暗くなってしまっていた。冷たいほかの部員たちはもうさっさと帰ってしまっていて部室に残っていたのは知香子、和之のふたりだけになってしまっていた。 「先輩、なんか食べいきません?」 知香子は和之を夕食に誘ってみた。 ところが和之は 「わり!俺今日5時半から駅前の中華屋でバイトはいってんだー。ホンットゴメンな。また今度いこ!」 「えー、そうなんすかー?」 知香子は少しがっかりした様子で応えた。がっかりした知香子の様子に済まなく思ったのか和之は、 「なぁー知香、9時過ぎでもいーかー?」 予想外の答えに知香子は満面の笑みを浮かべて 「ホントですかぁ〜?」とはしゃいだ。 「じゃぁー終わったら携帯に電話すっから」 そう言って和之はバイト先に向かって走って行った。一方の知香子は何を思ったのか 「部屋の掃除しなきゃ。」と、アパートに向かって自転車を走らせた。 一人暮しの学生の部屋は女の子だからと言ってキレイとは限らず、知香子の部屋もまたそのようである。 部屋の窓際には物干しにぶら下がったパンツやTシャツ、床には昨日食べかけてやめたチキンの食べかけ。まったく親に見せたいもんである。部屋についたらさっそくゴミを拾って掃除機を掛け、干されたままだった 洗濯物を畳みはじめた。そして片づけを終えた頃部屋の電話が鳴った。 「もしもし!?」 少々上ずったような声で話した。 すると電話口の向こうは驚いた様子で 「あんた、どうしたーん?」 電話の主は実家の母親だった。 「なぁーんだぁー」 知香子はつぶやいた。 「なんだとはなによぉー。いやねぇ、知香がちゃんとご飯食べとるか心配なってぇー」 母親は言った。 「ちゃんと食べてるってぇ、今日もこれから先輩とご飯食べいくとこっ」 「そー?ならいいんやけど。これから寒なるから体には気ぃつけなさいよー」 「はいはい、んじゃ電話待ちだから切るよっ」 少し強引に電話を切った。 「心配性なんだからぁー」 母親の気遣いが嬉しかった。掃除をしている時に見つけた写真ファイルをパラパラとめくっているとまた電話が鳴った。今度こそは和之からだ。 「もしもし、今終わったんだけどさ、駅前にいるからこいよ!」 「はいはーい」 そういって受話器を置いたか置いてないかの内にダッフルを羽織り部屋を駆け出して行った。 アパートから駅までは10分ちょっとだ。朝と同じ道を自転車でダッシュした。 雪のやんでしまった夜の街は昨日よりも断然寒く、冷たい風はコートの隙間から容赦なく体を冷やしにかかる 。「ヴ〜、しばれるぅー!!」 朝買い物をしたコンビニを通りぬけ、角を曲がった広い通りに出た。が、その瞬間、いつもと違うハンドルの感覚とともに前輪がいきなり持って行かれた。 『げっ!!!』 次の瞬間、歩道に止めてあったバイクや自転車の列に激しくぶつかってしまった。どれくらい時間が経ったのだろう。一瞬貧血にも似ためまいを感じながら、倒れてしまった自転車を起こそうと手をつき立ち上がろうとした瞬間なんとも不自然な動きをしようとする気持ちの悪い左膝の感覚を伴ってその場に突っ伏してしまった。 「............!?」 人は本当の痛みを感じた時、声もだせないもんだと彼女は冷静に分析した。が、コンビニにいた客らが物音に気づいて集まってきた。 「だいじょぶかッ!?」 しかし知香子はもう何もできずに横たわり、ただうなずくだけだった。そして数分後救急車が到着し、救急隊員によって応急処置が始まった。知香子は冷たいコンクリートの歩道からストレッチ ャーに移され両足のブーツを脱がされた。 「ひ〜」 なんとも情けない声とともにじんわりと涙があふれた。そしてビニール製の簡易副木に左足全体をくるまれ、動かなくなった自転車をその場に残したまま学校の付属病院救急センターに搬送されて行った。 第2章 |
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