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Sorry Japanese only

The youthful days for CAST

2002.10.17 C.G.J. アシスタントディレクターM

僕の彼女ゆきちゃんの経験したギブス体験です。

 

ゆきちゃんは、運動が好きで活発な女子高生です。8年間、アメリカに住んでいた事もあり、バスケが好きで、中学・高校とバスケをやっていました。

去年のことです。彼女は、長崎への修学旅行を1週間後に控えたある日、いつもと同じようにバスケの練習をしていました。練習も終盤、時計は、すでに5時半近くでもう最後の練習と意気込みながら、実戦練習をしていました。そのときのことです。彼女が、ディフェンスをやっているときに左から大きなパス、そして、相手の選手がシュートを放ちました。そのとき彼女は、リバウンドを取ろうと、大きく、ジャンプをしました。彼女は、あまり背が高くなく、人一倍常にジャンプしていました。そして、リバウンドを取り損ねて、着地した時のことです。彼女は、右足をくじき、さらにバランスを崩して、左手を地面についてしまいました。その瞬間彼女は、左手に嫌な感覚を覚えました。それはちょうど以前に、別の場所を骨折したときのものと一緒でした。

 

彼女は、すぐに、顧問に申し出て、病院へつれて行ってもらうことになりました。そして、いざ病院へというときに、今度は右足首に嫌な感覚がはしりました。彼女は、まさかここまでと思いながら、車で20分ほどの病院に行きました。病院に着いたとき、顧問の先生が、親切に車椅子を借りていてくれました。彼女は、松葉杖をついた経験はあっても、車椅子に乗るのは、初めて。戸惑いながら、のり、診察室へ入っていきました。そこの病院は、彼女自身は、初めてなものの顧問の先生とは10年来の仲らしく、すぐに見てくれました。両方折れてるかもしれないと言われ、レントゲンを6枚ほど撮影し、10分ほど車椅子の上で待ち、診察室へ招かれました。そのとき、看護婦さんが、処置室に、ギブスを運んでいる風景を見たとき、自分がやはり骨折してるのだと悟りました。先生は、優しく、彼女にいいました。「左手首は、残念だけど、折れてるよ。右足首は、少しひどめの捻挫だね。全治は、6週間と2週間かな」と、レントゲン写真を見せながら、言いました。「そうだね。とりあえず、両方このままでは、心配なので、ギブスするよ。どうする?車椅子でも生活できる?そうじゃなかったら、足のギブスはかかとつけて歩けるようにするけど…」彼女は、間髪いれずに、歩けるようにしてもらえるよう頼みました。

 

そして、彼女は、処置室に入りました。すぐに、彼女の身体に、左手にLACを右足にSLCを装着しました。(彼女は、ギブスが固まって行くときに熱くなる感覚がとても好きだといいます。)彼女は、ギブスを装着して立ったとき、まるで、自分が宇宙にきてるような感覚になりました。右足の感じはおかしいし、左手は動かない。しかも、自分の姿を鏡で見ると、首からは、三角巾が垂れ下がり、足には、白いもの。その姿は、自分自身凄く痛々しく感じられ、嫌で仕方がありませんでした。

 

その夜、彼女のケータイには、メールが何通か入りました。彼女は、それに、ちょっと涙しました。みんな優しーーー、と。

そして、次の日、学校では、もっぱら彼女の話題になりました。不格好なギブス姿について。修学旅行のことなど。彼女は、困りながら、応対しました。そのとき、彼女は、ふと思いました。足が、2週間って言ってた。じゃあ、まさか私高校最後の思い出をこんな格好で迎えるの?彼女は、不安になり、帰りに、急いで病院に向かいました。

 

 

明日の朝、羽田に8時半ね。京葉線利用の生徒は、時間に注意しなさい。東京駅の乗り換えは時間かかるから。それに、飛行機は、待ってくれないんだから、遅刻はなし。

彼女は、その言葉を思い出しながら準備をしていました。そして、彼女は、テーピングのテープも一緒にかばんに入れました。と、そこで、思いました。旅行かばんどうやって持つの?と、母親に借りた、ヴィトンのバックを見ながら、思いました。まだ、左手には、ギブスがあり、持ちにくくて、仕方なさそうなのです。結局その日は、それを悩み寝れませんでした。

 

次の日、彼女は、羽田空港に8時35分に着きました。足のせいもあり、東京駅で、乗り換えるのにてこずってしまったのです。

「駄目でしょ。遅刻。まあ、足があれだし。許容範囲ね。」と先生。

「あれ、そう言えば、○○さん、足のギブスは?」

そうです、彼女の足には、昨日まであったはずのギブスが、ありません。彼女は、病院の先生と話し合い、修学旅行に間に合わせて、なんとか、ギブスが外せるようにしてたのです。テーピングだけで、何とか歩けるように彼女は頼んでありました。しかし、あとで、あんなことの原因になるとは。

 

飛行機は、定刻どおり、長崎に入り、彼女の3泊4日の修学旅行は、幕をあけました。左手は、悪いままでも、歩く速度は遅くても、長崎の名所と呼ばれるところを回りまくりました。

ただ、困るのは、夜でした。まだ、テーピングなしでは、うまく歩けない、しかも、左手の使えない彼女は、ある部分で苦労しました。お風呂です。友達に右手だけで、しがみつきながら、移動し、まだ1週間たってもなれない、片手でのお風呂。彼女は、苦労の連発でした。3回のお風呂で、彼女は、5回こけてしまいました。また、こんな事件もありました。ギブスカバーに使っていたビニール袋が、初日の入浴中に破れました。そのとき、水が流れ込み、ギブスの中に浸水。スキットネットが、びしょびしょになり、彼女は、最悪に気持ち悪く、また、長崎から帰る日になっても、まだ、内部が湿っていました。そして何よりの問題は、ギブス内の浸水によって、ギブスのひじの部分が、柔らかくなってしまいました。しかし、その部分を触るのが、彼女にとって、すごく気持ちの良いものでした。彼女がそこをさわっているうちに、へっこんでしまったくらいです。

 

このようにして、少々の事故ですんだ修学旅行が終わり、やがて、怪我からちょうど一ヶ月でギブスが取れました。修学旅行から帰った直後、ギブスがやわらかくなり、巻きなおしましたが、外す日には、彼女は、習性的に鼻をふさいでしまいました。元から人一倍汗をかく、彼女は、ギブスがかなり臭いと悟っていました。予想通り、臭く我慢しがたいものでした。

 

 

このように、順調に回復した彼女の骨折でしたが、その後、ある後遺症に悩まされました。捻挫癖です。彼女は、修学旅行のためにギブスを早くとってもらった代償に、捻挫癖を持つことになりました。そもそも、医者に捻挫癖を持つ可能性があると言われ、ギブスを外すことを渋られていました。

 

そして、彼女は、バスケで少し、足をひねるだけで、歩けなくなることがしばしばで、その怪我の後、1年半で、6回の松葉杖生活を経験しました。だから、彼女の腕は、テニスをやっていた僕と同じくらい筋力があるのですが…

 

実は、その彼女と来年から、一緒に生活することになりそうなのです。僕は、彼女への思いと同時に、捻挫する彼女の姿を見たいと密かに期待しています。

 

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